第135章「いじめは社会主義学校の平等苦からの逃避」
1994年時点の「いじめ」を題材にした回。
いじめとは「排除をゲームにする差別確認遊戯」であり、
「みんな平等の中」では、少しでも自分の優位性を確認して安心するには、
いけにえを作っていじめ続けねばならないという差別論を展開。
いじめ加害者に対しては
「殺人まがいのことをやった今、とことん罰を与えないでいつどうやって人間の良心を教える!?」と『罪と罰の必要性』を訴える。
この作品発表から20年以上経過した現在も、
いじめの構造は変わらず、
それは子供の世界のみならず大人社会においても同様に抱えている問題だと感じた。
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