『戦争論』出版21年まだ続く増刷
週刊SPA!9月3日号
ゴーマニズム宣言 第57章
「『戦争論』出版21年まだ続く増刷」
カ:今回はSPAゴーマニズム宣言第57章「『戦争論』出版21年まだ続く増刷」です。
た:21年間、単行本のまま増刷し続けているってすごいですよね!
カ:普通は文庫本になりますよね。
た:小林よしのり先生が「戦争論の悪口ばっかり言われるから、よっぽどヒドイこと描いていたのかな?と思って読み返してみたんだよ」という場面があるじゃないですか?
カ:あれは笑ったね!(笑)
た:「こりゃーとてつもない本だぞ!」と言って、ガクガクぶるぶるするシーン(笑)
カ:作者とは思えない客観性だ!(笑)
た:実は僕もはじめて読んだ時、ガクガクぶるぶる震えたんです。
◆◆◆
カ:たっちゃんは『戦争論』をはじめて読んだのは、いつですか?
た:僕が『戦争論』を読んだのは高校3年生の時です。本屋で『戦争論』というタイトルが目に入った時は、「戦争」という言葉の響きが恐くて、条件反射的に目をそらしてしまいました。
カ:当時の感覚というのは、そうだったんですね。
た:それで『戦争論』の隣に並んでいた『脱正義論』の方を買ったんです。
カ:そうでしたか。だけど結果的に『戦争論』を読む前に『脱正義論』を読んだのは理想的だと思いますよ。
た:『脱正義論』を読み終えたあと、「このすごい作家から目を逸らしてはいけない」と思い、『戦争論』を読みました。そして衝撃を受けました。
カ:どのようなところで衝撃を受けたんですか?
た:『戦争の反対は平和ではなく話し合いである』というところ。『戦争はあくまで手段であり外交の延長である』というところ。
カ:それは、今週号のゴー宣でも取り上げられていましたね!
た:今週号の漫画の中で『なぜこんな当たり前のことが未だに社会の基礎知識にならないのか!』と言っていましたが、僕も、戦争論を読む前までは、そんな風に考えたこともなかったです。
カ:そして『平和の反対は無秩序・混乱という状態』ですよね。『戦争論』の発売当時は、オウム真理教や阪神大震災の記憶が生々しかったですし、その言葉の意味はスッと理解できましたね。
た:『戦争・話し合い・平和・無秩序』という4つの座標軸の話が心に残りました。
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カ:座標軸といえば、私は『個と公』が心に残りました。『公・私・集・個』もまた4つの座標軸になりますね。
た:確かに、それは『戦争論』の大きなテーマだと思います。
カ:普通の社会人であれば「公人性」「私人性」「集団性」「個人性」は全て兼ね備えていると思います。
た:今、ゴー宣道場でも話題になっていますね。
カ:私は「集」も大切だと思っています。ただTPOに応じてそれらを適切に発揮できるかどうかが問題だと思うんです。
た:うーーーん、それは、どういうことですか?
カ:「集団性」というのは、例えば会社組織や地域の役割、あるいは家族。周りと協調しながら、役割を演じることで団結力を発揮する。こんなことは普通の社会人ならば誰でもやっていることですよね。
た:なるほど。
カ:ただし同調圧力という「空気」によって、個を埋没させてしまったり、私益に堕落することがある。そこが問題なんです。
た:『脱正義論』で描かれたテーマですね。
カ:そう。つまりは、エイズ入りの血液製剤を子供に売りつける鬼畜に堕ちるくらいなら、『個』を覚醒し『集』への固執を捨て去らなければならない!
た:そして『戦争論』で描かれたのは、戦争に行く兵士は『公』のために『私』を捨て、『個』として命を投げ出したわけですね!
カ:はい、そうですね!
た:僕は『戦争論』を読んで初めて『公(おおやけ)』という言葉を意識しました。そもそも『公(おおやけ)』ってすごい言葉ですよね?
カ:確かに『戦争論』を読む前は、意識してこなかった概念かもしれないですね。パブリックマインドという概念は『電車の中』などで無意識レベルには理解はしていましたが。
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た:それにしても『戦争論に影響されてネトウヨになる』って一体なんでなんでしょうね?
カ:私は、戦争論を読んでも「自己肯定される感覚」にはならなかったですけどね。
た:今の日本人が偉いなんて全然言ってない。だから『戦争論』を描いたことで小林よしのり先生が『ネトウヨの生みの親』なんて言われるとすごく腹が立ちます!
カ:うーーーーん。でも、あえて言うなら「戦争論がネトウヨを生んだ可能性はある」と思います。
た:えっ?
カ:『戦争論』によって、当時のマスコミ・知識人・教師・政治家たちによる【嘘】が、たくさん暴かれてしまったわけです。
た:それはそうですね。
カ:嘘が支配していたことに対する《怒り》が湧いて、いつの間にか《絶対正義》を背負ってしまい、《敵》を徹底的に糾弾したい感覚になるのは・・・分からなくもない。
た:正義の側に身を置いて、悪を叩く感覚ですね。
カ:その気持ち自体は分かります。だけどその前に「自分はどうなんだ?」という視点が必要です。
た:それを聞くと、『戦争論』を読む前に『脱正義論』を読んだ僕はラッキーでした(笑)
カ:まったくその通りだと思いますよ!『戦争論』を読む前に『脱正義論』を読んでおくべきです!
た:『戦争論』は、そういった「誤読」も含めて、とにかく影響を与える本ということかもしれないですねぇ。
◆◆◆
カ:戦争論を読む前、私は完全にサヨクだったんです。
た:やっぱり、みんな、そうですよね。
カ:僕の小学校時代。夏休みには登校日というのがあって、毎年必ず『平和教育』を受けさせられました。
た:大阪はそうだったんですね。
カ:『南京大虐殺の写真展』だったと思うのですが、日本軍が中国の人々の首を切り落として山にしている写真を大量に見せられました。
た:それって、戦争論の中で『ニセ写真』だと論破されているモノかもしれないですね。
カ:写真展を見た後に感想文を書かされて・・・、私はおじいちゃんの悪口を書いて、二重マルをもらいました。
た:うわぁ・・・。
カ:当時の私は祖父のことは尊敬しつつも『昔は、国に洗脳されて、人殺しをしたんでしょ?』という感覚を持ってました。
た:戦争論の発売前は『戦争イコール人殺し』というのが当たり前のような雰囲気だったかもしれないですね。
カ:だから私が『戦争論』に感謝しているのは、祖父に戦争の話を聞くことができたことです。
た:偏見を持ったままでは、話を聞くこともできなかったわけですよね。
カ:はい。祖父との絆を繋げてくれた小林よしのり先生には、恩義を感じています。
た:そうでしたか。『歴史という縦の糸と、社会という横の糸が交差する点が個人である』という話に繋がりますね。
カ:ん?それって『戦争論』でしたっけ?『中島みゆき』じゃなかったっけ?
た:いやいや『糸』の話をしているわけではないですよ!!(苦笑)
カ:「歴史という縦の糸」。自分が生まれる前にも『先人』はいたわけで、自分が死んだ後は『子孫』がいるのだと理解しました。「自分が死ぬときは世界が死ぬ時」とでも言わんばかりのハルマゲドン思想は、間違っていると感じました!
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た:『戦争論』出版21年まだ続く増刷ということでしたけど。
カ:完全に世代を超えて読み継がれる作品になりましたね。
た:そういえば、今週号のゴー宣で、関西設営隊の大学生のヒロ君のことが載ってましたね。
カ:彼は小学4年生の時に、お母さんから『戦争論』を手渡されて読んでいますからね。
た:よしりん先生は冒頭に『ひょっとしたら、わしの死後も、この本を読み継がれるのかもしれない』と述べておられましたが、もうすでに、そのようになっているわけですね。