《新企画》
ゴー宣読んだでよしりん
ゴー宣を読んだ感想を、かしこまらずに、
気楽に書いてみるコーナー。
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週刊SPA!10月20・27日合併号
ゴーマニズム宣言 第101章
『ピーチ航空と全体主義』
【読者】
名前:希蝶
性別:男性
【感想】
ゴー宣101章の感想ですが、なんと言ってもショッキングなのは、SPA!P64からP65にかけての、「ナチスの時代だったらこういうことが起こり得ただろう」です。九州道場で、よしりん先生の「ナチスの映画は必ず見にゆく、そして、自分だったらどうするか考えてみる」という発言を聞いた直後だけに、この描写は衝撃的で諷刺のきいた、なおかつ悲しいものでした。
自分もこんなふうに流されてしまうのだろうか? 何だか分からないけれども、廻りに迷惑をかけたみたいだから、取りあえず拍手しておけ、みたいに判断してしまうのだろうか、と。
人は一人一人異なり、個々人の間では似ているようで違った思想を持っているはずなのに、こういう場の雰囲気が決定してしまうと、それに抗うのが難しくなってしまうのだろうか?ならばなぜ、憲法改正とか、日米安保反対とかで、こういう雰囲気が生じず、理屈から外れたコロナウイルスやマスク云々といったつまらないことで、意見が一致してしまうのだろうか(自分が同じことをしようとすると、「意見を押しつけるな」と言われ、確実に失敗しますが)。
人間は猿の境遇から進歩などしていないのではないのか、と。あるいは鸚鵡や九官鳥以下なのかもしれない、と。
「かぐや様は告らせたい」の石上優のことは、つたないながらも交流掲示板の方に記しましたが、あれも一種の全体主義ではないか、クラスの人気者で人徳者と思われている荻野コウの意見の方を大多数が信じ、石上の言葉には誰も耳を傾けない、強いて言えば伊井野ミコが影で庇うような行動をしたけれども、担任教師も荻野の方ばかりを気に掛け、石上に謝罪文を書くように強要した。このことも、人が個を有しているようでいて、簡単に一人のデマを信じ込んで、全体に流されてしまうことを証明しているように思えます。
何とか集団に流されないよう、流されるのだったら、ゆきつくところを恐れずに自分の心に素直に流されたい、そのように願います。そんなことを考えさせてくれた章でした。強要されない限り、病院や仕事場など、必要とされるところ以外ではマスクをしないで外出するのは、頑張ってつづけてみようと思います。
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