「花束みたいな恋」は作るもの~恋多ければ恥多し~
タッチ&ゴー宣
《収録参加》
皿:皿うどん
え:えみりん
カ:カレーせんべい
《収録日》
2021年4月27日
《司会・編集》
皿うどん
FLASH5月11日・18日合併号
よしりん辻説法 説法52
「花束みたいな恋」は作るもの
~恋多ければ恥多し~
カ:『幻想力があればイケメンに見えるし、美人に見える』というセリフのコマ、なぜか、よしりん企画スタッフのトッキーさんがモデルになっているのが、メッチャ面白かったです(笑)
え:これは笑いますよね(笑)
カ:トッキー、ここは怒っていいところだ!(笑)
皿:そのコマの横に描いている、みなぼんの不細工な方の顔もなかなかインパクトありますよね(笑)
カ:え?これ、みなぼんなの? 私はみなぼんとは思わへんかったけど・・・。
皿:トッキーさんと並べて描いてあるから、みなぼんさんかなと思ったんですけど・・・。
カ:そ、そうなのかな? でもこの女性の不細工の方の顔はインパクトありますね。美人の方の顔は、めっちゃ美人です。
皿:ですよねえ。
カ:イケメントッキーに関しては、メガネまで変わってるんですよ! もはや幻想力というより妄想力(笑)
皿:髪型と鉢巻とそばかすと、眉毛が太いところ以外は共通点がないですね。
え:ホンマやね(笑)
カ:「幻想力があればイケメンに見える」というのは分かる気がします。とあるキッカケでその人を意識しだすと、美人に見えたり、可愛く見えたりすることは、自分の体験でもありますから。その一方、一度、嫌いになると、顔までブスに見えたりしますからね。
◆◆◆
皿:今回も読者が考えた「創作よしりん語」が採用されましたね!
カ:『いいかげんにしてクロサイ!』と『いいかげんにシロサイ!』はめっちゃおもろい!考案したのは「ただし」さんなんですよ。
皿:「ただし」さんって、新潟の人ですよね?
カ:そうそう、新潟の人。このよしりん語は、サイになっているりか坊さんの髪形がおもろいねん(笑)
皿:『抱っこすフンドーッ!』も笑いましたね。
え:「ダックスフンド」がいよいよ派生しましたね。
カ:『抱っこすフンド』からの『いいかげんにシロサイ!』がええツッコミや。この1ページは滅茶苦茶面白かった。ギャグに昇華させたよしりんの絵がもちろん凄いんだけど、ただしさんもセンスあるよなあ。
◆◆◆
カ:今週のよしりん辻説法は「性欲」を肯定するのが、まるで厳格和尚のようでした。私は痛快に感じましたが・・・、女性のえみりんさんはどう思ったのかが気になります。えみりんさんの感想を聞いたあとで、後出しじゃんけんで自分の意見を語りたいです(笑)
え:まず「プラトニック」は西洋式で、「色恋」は日本的だと述べられていました。プラトニックという観念は海外から来たことに驚きました。
カ:そうですね。
え:「恋愛」は心でするわけですが、「色恋」はまず身体の繋がりがあっての「恋」なんですね。そういうことが描いてあったのでびっくりしました。
カ:江戸時代はそうだったんですね。『現代人が「恋愛」と呼ぶものは、「色」「情」「恋」「愛」などと呼ばれていた。「色恋(いろこい)」というのが本来の日本人の感覚だな』というよしりん和尚の言葉を読んで「え~、そうなんや~」って思いました。勉強になりました!
え:日本の江戸時代には「春画」というのがあって、かなり「そのまんま」描いている絵なんやけど、そういえば海外にはこんな絵は無いなって思いました。
カ:そうか、そう言われたらそうかも。「裸婦」とかはよくありますが、「春画」とはかなり違うよね。
皿:芸術・文化からして表現が違うということですね。
え:そう考えたら、日本人ってやっぱりスケベなんかなあって思いました(笑)
◆◆◆
え:「色恋」と「プラトニック」は、どちらが自分の感覚に合っていると思いますか?
カ:私個人の恋愛観の形成は、まず漫画やドラマから影響を受けたと思います。たとえば【タッチ】や【めぞん一刻】、この漫画は2つともセックスの描写とか無いんですよね。
皿:【めぞん一刻】は、直接的な描写は無いけど、前後のコマで分かるような描写はありましたよ。
カ:確かに最後の最後ではありましたね。だけど直接的な描写は作中ほとんど無かったです。せいぜい「キス」までなんですよね。それは漫画以外のドラマなんかでもそうです。
皿:トレンディドラマはセリフで直接的なことを言わせるくだりは多少ありましたけど、描写は流石に時間帯的にも無かったですね。
カ:だから中学の時とか「スケベな気持ちを持ってしまう自分」が心底卑しいなと思ってました(苦笑)「この気持ちは何とか隠さんといかん」と真剣に悩んでました(苦笑)
皿:前に「ゴー宣」で、AKBの河西智美の「手ブラ」写真が話題になった時に描いた章を思い出しましたね。「性」に対する本来の日本的な感覚と西洋的な感覚との違いの話。銭湯の混浴の風習も明治になって西洋化が進んでから無くなってしまったということとか、そう考えていくと男女の在り方そのものが日本人が本来持っていたものと西洋人の感覚とでだいぶ違っていて、今の日本はかなり西洋化されているんだけど、ルーツを辿っていくとやっぱり違うってことなんですよね。
え:なるほど。
皿:一つ疑問に思ったのが「命令婚」についてですね。「命令婚」は大正時代まで風習が続いていたという話で、江戸時代までは自由恋愛は一般的ではなくて「命令婚」だったという話なんですが、これはどれくらい昔からだったのかな?と。
カ:これは結局「家」が原因だと思います。「家」っていうものを繁栄させて存続させる為に「命令婚が必要」ということじゃないでしょうか?
皿:その「家」の感覚というのが、儒教の影響が日本で強くなってから強まったのかな?と、ふと思ったんですよね。儒教の影響が強まる前と強まった後ではだいぶ違うんじゃないのかなと。勿論、儒教の影響があったとは言っても、支那や朝鮮ほどじゃないんですけど。
カ:うーーん、儒教の影響がゼロとは言わないまでも、命令婚とは”損得勘定”や”政治”とかから来る感覚だと考えます。例えば織田信長が妹を浅井家に嫁がせましたが、それは京都に上洛するうえで・・・
皿:いや、信長の頃は戦国~安土桃山時代で、大体、中世くらいの頃じゃないですか。僕が言いたいのは、古代のことですね。平安時代とか、それよりももっと前の奈良時代とか大和朝廷の頃とか、その頃ですね。妻問婚とか通い婚とかが普通だった時代から、もう「命令婚」だったのかな?と疑問に思ったんですよね。まあ僕が勉強不足なのもあるんですが(苦笑)
カ:平安時代でも「家」があるところは、やっぱり「命令婚」だったんじゃないのかな?
皿:貴族とかはそうでしょうね。庶民レベルでもそうなのかな?
カ:うーん、それはよく分からんところですね。
◆◆◆
カ:今回の恋愛論。性欲を肯定するあたりは、ある意味では「身も蓋も無い」と思ったんですけれども、しかし真実をついていると思いました。それにしても、「恋愛のチャンスが無い」とか「出会いのきっかけが無い」という話は、本当によく聞きますよね。
え:そうですね。
カ:実際、仕事場と家の往復だけで日々の生活が終わってしまう人は多いと思います。ところがよしりんがまさか『コンパでもいいし、自治体の婚活支援の会でも、出会い系アプリでもいい』と述べたのは驚きました!特に「出会い系アプリ」の推奨はビックリしました。『誰かと知り合ったら即、惚れればいい!』というセリフは斬新で痺れました!
皿:よしりんは「保守」として、「少子化になれば国が亡びる」という感覚があるから、若い男女の出会いを力いっぱい推奨してるのかなと思いました。
カ:なるほど!それは感じますね。
皿:まあ、よしりん自体が「肉食系」というのもあるんでしょうけれども(笑)
カ:なんか「けしかける」というか「後押し」をしているかのような感じがします。「じじい特権」を使ってね(笑)よしりんの真の目的は、若者を励まし、少子化を少しでも食い止めたいという思いだと、行間から感じますね。
皿:「恋愛の狂気」の阿部定とか八百屋お七の話とか、僕は時代劇とか時代ものが好きなこともあって、確かにな、なるほどなと読んでいて思いました。
カ:作中に紹介されてたハイネの言葉も凄いですよね。『恋に狂うとは言葉が重複している。恋とは既に狂気なのだ。』これまた真実の言葉だなぁ。
◆◆◆
え:今の時代は女の人からも、アプローチにいかなアカンねんなあと思いました。
カ:女性がそう思ってくれるなら、うれしいなぁ(笑)
え:ただ、「出会いが無い」とか口では言ってても、本当は「恋愛が面倒くさい」というのもあるよね。
カ:あぁ、それも分かるなあ。
え:私の友達は婚活してますけど、「結婚まで行く間の恋愛が面倒くさい」と言ってる人がいます。良い人だったら出会ってすぐに結婚したいけど、その「恋愛」の期間が要らないって言ってました。
カ:んんー?「恋愛が面倒くさい」という意見にはちょっと納得しましたが、結婚願望があって、そこに至る期間まで面倒臭がってたら、仮に結婚してもうまくいかない気がしますよ。
え:私もそう思います。
カ:だって、結婚の方がはるかに面倒臭いですからね。
え:恋愛期間があるから、相手がどんな人間かを知ることができて、幸せになれるか不幸になるかを見定めるところがありますよね。結婚という形にしても、男女の絶対的な真理ではないと思いますし。
◆◆◆
カ:今週のよしりん辻説法では、性欲を肯定して、出会い系アプリでも良いから、相手に惚れたらいいっていうのは、さっき皿うどんさんがおっしゃてた通り、少子化を食い止めるっていう保守的な思想もあって賛成なんですけど・・・。
え:カレーさんは、今回のよしりん辻説法に何か反対意見があるんですか?
カ:「恋愛とは性欲だけか?」という疑問がどうしても残るんです。
え:なるほど。
皿:いやいや。「性欲を原動力とする」とは描いてますけど、全部が性欲とは言ってないんじゃないですかね? 日本古来の「色恋」については。明治になって強い西欧化の中で影響を受けて来た、西洋式のスタイル・考え方に捉われ過ぎずに、日本古来からあった男女の在り方のルーツに思いを致して、もうちょっと見直してもいいんじゃないかっていうことを、よしりん流に強めに描いたのが今回の章なのかなって思いますよ。
カ:むむ、なるほど。それは恋愛至上主義に対する「カウンター」であるなら有効だとは思うけれども・・・。
え:実は私も『わしは理性で女にアタックしたことなどない。性欲でアタックしたのだ!』が読んでて分からないです。例えば夜に街を歩いていて、自分の好きなタイプの女性をナンパする場合は「性欲でアタック」と思いますけど、じゃあ毎日会ってる人で社内恋愛になった場合に、それは性欲でアタックしてるんかなって疑問です。その相手の人柄まで全部見て好きになったってことだと思います。性欲でアタックってことにはならないって思ったんですよね。
皿:これも多分、言い回しの妙というか、性欲という言葉が100%悪い言葉のように捉えられがちだけど、そうじゃないっていう風に言いたいのかな。性欲がゼロとか、普通に考えてあり得ないということを言いたいのかな。それはゼロになってるんじゃなくて、人間として常識や理性があるから抑えているという話であって、それは人間だけじゃなくて、生物としてなら本能として持っている「子孫を残したい」ということは悪いことではないよねって。
カ:それが生物としての「バイタリティー」だとは思います。そもそも異性にアタックするのってものすごい勇気が必要です。フラれた後は今までの関係性すらギクシャクするしね。だけど何かを得るためには、ギアをローに入れてアクセルをふかすんですよ。一歩前へ進もうとするエネルギーこそが「性欲」かもしれません。
皿:「プラトニック」という観念は西欧から入って来たというのがあるし、キリスト教的な考え方と、日本古来からの考え方にはもともと大きくギャップがあって、明治以降の西欧化で日本も西欧に大きく寄っていってはいるんだけれども、もう一回ルーツを確認しよう、ということなのかなって思ったんですよね。
カ:しかし、難しいのは、私達自身が「明治後の人間」だということです。明治最後の年から109年も経ってますからね。その時間を経た後の現代に生きているだからから。
皿:それはもちろんそうなんですけど・・・。日本の古代の物語とか、そこまで行かなくても時代劇とか、今でも作られたり放映されたりしますけど、そういうのを理解する感覚っていうのも、西欧で生まれ育った人が日本の時代劇を見た時と、日本で生まれ育った人が日本の時代劇を見た時とでは、根本的な感覚っていうのが違ってくると思うんですよね。それぞれの国・民族に文化・風習というのがそれぞれあって、それはグローバル的に同じにはならないというか。日本人、モンゴル人、ロシア人、アメリカ人、イタリア人、というのはあるけど、世界人というのはあり得ないということに繋がってくるのかなと。辻説法の女性論の中で「男女平等」じゃなくて「男女公平」ということを言っていきたい、よしりんの思惑というのはそこらへんに通じるのかなと思ったりするんですけどね。「男女平等」だと西欧的な思想になってしまうから。「フェミニズム」というのも西欧から入って来た観念だと思うんですよね。そこに疑問を感じて突き詰めていくと、歴史を紐解いていくような感覚に繋がっていくのかなと思ったんですけどね。
カ:なるほど「知っとかないといけない」とは思います。自分たちのルーツを知っておかないと、たとえば慰安婦問題を考える時にもミスリードしてしまうことにもなってくるから。それこそ西洋式に「慰安婦は性奴隷」だと心から思ってしまう可能性すらあるわけです。ただ私は、自分自身が西洋流のロマンティックな観念による恋愛観というのをスタンダードに持ってしまっていると自覚するわけです。だから日本の元々の恋愛観のルーツについては知っておいた方が良いとは思うものの、今更、自分の感覚をどうこう出来ないと思っています。そういう物語を楽しんで来ているわけだから。いろんな漫画にせよ、映画にせよ。江戸時代の「色恋」とは全然違います。やっぱり西洋式の「恋愛」でサブカルチャーを楽しんで来ちゃってるし、実生活においてもそれに影響されている。「色恋」について知っておくことは大事ですが、実践は出来ないということかな。
◆◆◆
カ:これから恋愛する若者にやや同情するのは、さっきえみりんさんが言ったように「面倒くさい」というキーワードがあるからです。
え:人と心を通わせたりするのが面倒くさいというところまで来てしまっているのかな?
カ:それも近代化の罠だと思います。恋愛やセックスが面倒臭いというのも分からなくもない。
え:みんなネットで繋がりたがるやんか。それが良く分からへん。
カ:ネットだけの繋がりというのはあくまで「疑似友情」であり「疑似知り合い」なんです。恋愛というのは「ガチ」であり、もっと濃いですからね。
え:それが正しいあり方だと思います。
カ:しかし、若者にはしんどいんじゃないのかなあ。たとえばtwitterが普及したがために140文字までしか読めなくなっているとか、本が読めなくなっているとか、気の毒と言えば気の毒なんです。そんな若者にとって、恋愛なんて無茶苦茶キツいですよ!相手の機嫌や心変わりなど、まさに不条理の世界ですから。
皿:コロナ禍というインフォデミックのせいで人と人との距離がまた遠ざかってしまっている気もしますよね。
え:そうですね。
カ:今ちょうど【めぞん一刻】を視聴しているんですよ。
皿:アニメでですか?
カ:そうそう、アニメで。
皿:アニメと漫画とでだいぶ違いますよね。
カ:【めぞん一刻】が画期的だったのは、漫画の中で「女性の性欲を認めたところ」なんです! って、何かの論評で書いてたんだけどね(笑) 当時のラブコメは、女性の性欲なんて一切認めなかった。しかし高橋留美子は、ヒロインの音無響子さんの性欲もちゃんと描いてるんですよね。それが当時は相当衝撃だったらしいです。
皿:作者が女性っていうのもあったし、高橋留美子自身が、女性にそういうのが一切無いって嘘だと思って描いたんでしょうね。
カ:そうそう。そもそも高橋留美子には反骨精神を感じます。主人公の五代くんを童貞にはさせたくなかったらしいです。ところが編集者が強硬に反対したんです。ラブコメの主人公は童貞であるべきだって。だから間接的に風俗に行った描写とかそういうコマを入れることで表現していました。だから、結構、欺瞞なく描いてたんですよね。音無響子さんがスキンシップに弱いくだりがあって、それもめっちゃリアルだなと思いました。
皿:女性の作者が描いてたから、女性キャラの、男から見て憧れるところだけじゃなくて、女性の性格の生々しいところとか、嫌なところとかもちゃんと描いてて、そこがリアルでしたよね。
カ:同感ですね。女のやきもちとかもウザいくらいでしたしね。五代くんも「やりたい!」という感情があって、それは凄くよく分かるんですよ。だけど私が一番共感したのは、性欲が恋愛の動機ではなくて「彼女が笑ってくれたら僕は幸せな気持ちになる」というところだったんです。この感覚はプラトニックに属するものだ思うんですけど、五代くんが響子さんを好きになった理由がそれだったんですよね。えみりんさんも漫画持ってるんですか?
え:持ってます。ちょっと大きい方のやつで。
皿:ああ、愛蔵版の方ですね。
え:ああいうのって今の子見て分かるんかな?恋愛面倒くさいとか言うてる子が読んだら・・・。
カ:ホントやね。どう思うんやろね?
え:音無響子さんのこと「こんな面倒くさい女嫌やわ」って思ってしまうんかな(苦笑)
皿:ありえますね(笑)
カ:そういえば【めぞん一刻】はフランス人に、すごくウケてるらしいんですよ。
皿:へえ~。日本とフランスとじゃだいぶ恋愛に関しても感覚違うと思うんですけど、そうなんですね~。
カ:そうなんよね。東洋の、40年くらい前のめっちゃ古い話のはずなのにね。ちなみに私が一番好きな恋愛の物語は【ローマの休日】なんですよ。
皿:オードリー・ヘプバーンのね。
カ:【ローマの休日】を見て、オードリー・ヘプバーンのことが大好きになりました。そして映画の終わり方がめっちゃ良かったな。男の引き際がすごくかっこよかった。あの二人はもう二度と会えないわけです。そして映画で描かれてる男女の恋愛はキスまでですよね。この映画に感動して、もう何十回と見ましたね。
皿:あの映画に出てくるバイクがお洒落ですよね。ベスパ。
カ:あ~いいですよね~。ベスパ。こういう映画や漫画とかの文化が男女の出会いにも潤いを与えていると思うんですよね。恋愛が面倒くさいという感覚になってしまうと、潤いがなくなってしまうよね。
◆◆◆
え:カレーさんは、どんな女性が好きなんですか?
カ:ぶっちゃけ「自分を好きになってくれた人を好きになる」んですよね(笑) 和ナビィさんが掲示板に投稿されていましたが、作家の泉美木蘭さんは「私の話を面白がって聴いてくれる人が好きなタイプ」だとおっしゃってたらしいです。その感覚は、めっちゃ分かるんだよなあ!私の感覚としては「自分の存在なんかで誰かが幸せになってくれることがうれしい」わけですよ。そして自分のことを好意的に見てくれる女性は、どんどん美人に見えて来るわけです。ところがその一方で、自分に悪意の感情を持つ女は美人には見えなくなり、一切の興味が湧かなくなって、やがて視界から消えます。つまりは好き嫌いなんてワガママなものかもしれませんね。
え:なるほど。確かにカレーさんはワガママですね。
カ:うーーーん、そこを強調されてしまうとは、私の計算外だったな(苦笑)
今回採用された
創作よしりん語
第17弾
いいかげんにしてクロサイ!
第18弾
いいかげんにシロサイ!
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考案者:ただし さん
《考案者の解説》
りか坊のツッコミギャグを考えました。
『いいかげんにしてクロサイ!』…軽めのツッコミ。
『いいかげんにシロサイ!』…強めのツッコミ。
クロサイよりシロサイの方が体が大きいみたいなので、ツッコミ方にも差が出る(よしりんの跳ね飛ばされ方にも差が出る)。
皿うどん (月曜日, 31 5月 2021 00:10)
>ただしさん
返信が遅くなってしまい申し訳ないです。
座談会を読んで戴いてありがとうございます。
「命令婚」の話は気になりますよね。儒教が日本に入ってくる前と後とで違ったんじゃないのかなと漠然と想像することなんですが。
「めぞん一刻」は、もし御興味を持たれましたら、読んでみられることをオススメします。
オードリー・ヘプバーンは本当に綺麗で可愛らしくて、不世出の大女優だなと改めて思います。
ただし (日曜日, 16 5月 2021 01:22)
座談会、面白かったです♪☆ 対話、会話、議論っていいですね。
(*^^*)
改めて、そう思わせて頂きました。
色恋とプラトニック、どちらが自分にピンとくるだろう…。
春画のお話しは、納得いたしました。
皿うどんさんのおっしゃった、命令婚は元々の大和心からなのか儒教の影響なのかの話しは、自分も興味を持ちました。
『めぞん一刻』、兄から全巻貰って、今まで3回位、通して読みました。
執筆当時の背景などが分かって、とても面白かったです♪
小林先生の恋愛論、深そうですね。読者同士で話すことで、より深みが増していきますね。
『ローマの休日』もいいですが『ティファニーで朝食を』のラストシーンが好きで何度も見ました。
青ネギ (火曜日, 04 5月 2021 03:24)
>皿うどん様
ご丁寧なお返事ありがとうございます。
私はこの秋に50代になる予定で、少しドキドキしております……恋かな?(違うと思う)
『笑い無きところに希望は無い』…私も半世紀近い人生の中で色々ありまして、今現在も「もう、笑うしかないかな?」という状況なのですが、何とか土俵際で踏ん張っているところです。
これからも、時々こちらのサイトにもお邪魔させて頂くかと思います。
こちらこそ宜しくお願い申し上げますm(__)m
皿うどん (火曜日, 04 5月 2021 00:34)
>青ネギ様
ライジングのコメント欄では日々お見掛けしております。
こちらの感想会の感想も読んで下さって、なおかつ感想を書いてくださって有難い限りです。
私も基本的には単行本派なのですが、ファンなりに、ここは感想会で語っておかないとな、と
勝手に思う所は電子書籍等で読んでおります。
普段はアナログ派なので紙の書籍です。
ハイネのセリフは際立ってましたね。
恋愛至上主義は危険ですよね。
「めぞん一刻」は、若いゴー宣読者(30代)から、40代、私のような50代まで読んだことがあるのでしょうか。
私も青ネギさんとはお会いして話してみたいなあと思いつつも、自分自身が自由にならぬ身で難渋しております。
しかし、青ネギさん、ただしさん、サトルさんなど、ライジングの常連さんのギャグセンスに助けられております。
今後とも、カレー氏のサイトをよしなにお願いします。親しみがありつつも、一本思想の筋が通った、青ネギさんならではの御感想をまたお待ちしております。
青ネギ (日曜日, 02 5月 2021 03:52)
こんばんは。感想、興味深く拝読しました。
私は経済的な事情で雑誌等を毎号買うのは控えていて、気になる漫画は「単行本化」を待つことが多いのですが、『辻説法』読みたさに「FLASH」は買っております。
私は「ハイネ」のコマが妙にツボにはまりました。このコマだけ異世界って感じで。
よしりん先生がおっしゃる通り、恋愛至上主義は危険ですね。
私の場合、サイドブレーキ(理性)を引いたままアクセル(性欲)を踏んでいたようなもので、そりゃ、エンジン(心身)が壊れるよなぁ、と思いました。
『めぞん一刻』、私には響子さんは重すぎて…こずえちゃんの方がタイプです(笑)。私自身は四谷さんに似ているんですが(笑)。
それはそうと、女性が定義する「いい人」って、「都合のいい人」なのでせうか。。。
♪恋をするなら、プラスチック?……嗚呼、PEAが足りない……。