《思想》ウィルスとナショナリズム

投稿者:パワーホールさん

  

生命至上主義の欺瞞と矛盾

 

コロナ騒ぎでコロナウイルスから命を守れとか命を守る行動をとよく耳にする。

無論、これらが表しているのは、人間の命のみだ。

 

だけど、よく考えてほしい。

人間だけでなく、ウイルスも私たち同様命を持った存在なのだ。

 

それを知ってか知らずか、命を守れとか、命を守るとよく言えたもんだ。

そんなに命が大事なら自分たちの命だけでなくウイルスにも命があることを自覚して共存共栄について真剣に考え、実現するのが筋だろう。

 

コロナ撲滅やゼロコロナなど矛盾の極みだ。

ウイルスだけでなく他の生物たちも然りである。(あえて言うが、私は食肉や捕鯨には反対はしない。)

 

私は、くどいくらいウイルスとの共存共栄につき論じてきたが、ウイルスだけでなく他の生物を害になるからと言って殺し撲滅することには違和感を覚えるし、自分たちにとって有益だったり無害な生物は保護するという姿勢はナチスやポルポト、ひいては障害者を殺してもよいと考え実行した植松聖と変わらないのではと思う。

 

ちなみに、こんな私でも、徳川の馬鹿がやらかした生類憐みの令はやり過ぎかつ徳川の馬鹿の姿勢はワクチン推進派や過剰な感染対策を求める自称専門家と同じだと考えている。

 

また、私の父は、ウイルスは人類の天敵でウイルスと人間は共存できないと決めつけているが、皆様はこのことをどう思う。 

 

(管理人カレーせんべいのコメント)  

 

あまり気は進まないのですが、質問をされたので答えますね。

 

私は「私の同胞を殺すウィルス」については「敵」と認識するのみです。 

同胞の命を守るために防御する(感染予防)ことは必要だと私は考えています。

 

しかし、コロナウィルスは大した敵では無いと認識しています。 

弱毒のウィルスであり、むしろ、より強毒であるインフルエンザをウイルス干渉によって減少させ、結果的に同胞の命を守っているという性質があります。

 

また私は命にも序列があると考えています。

 

私は「ウイルスにも命がある」などと考えたことなどありませんし、どう考えても人間と対等に扱うことはできません。

そして、動植物の命よりも、人間の命の方が大切に決まっていると考えます。

 

そして人間の命の中でも「日本人の命」が大切です。

「日本人の命」の中でも「日本人の子供の命」が大切です。

 

日本人の子供を殺さないウイルスなど警戒するに及ばず、と私は考えます。

 

結論としては、

コロナウイルスに限定して言うならば、ウイルスとの共存共栄に私は賛成します。

 

そもそも天災とウイルスは、嫌も応もなく、敵も味方もなく、付き合わざるを得ないわけですが。


コメント: 11
  • #11

    ねこだるま (木曜日, 30 12月 2021 19:08)

    パワーホールさん:

    遲レス失礼します。

    「ウイルスとの共存共栄」とは抽象的なことに聞こえるのですが、それを実現するためにパワーホールさんがどのような政策を提案するのか、政府にどういう政策を行って欲しいのか、人々にどうして欲しいのか、具体的なことを言わないと実りある議論にならないのではないかと感じます。

    物理的、科学的なことを言えば、ウイルスとの共存は人間が選択できるものではなく、否応無しに共存してしまってますよね?
    皮膚にはたくさんの常在菌があり、免疫を鍛えてくれてますし、ひと息吸い込んだだけで、膨大な数のウイルスを肺の中に入れてます。肺に入ったウイルスはたまに風邪をひかせてくれますが、それも私たちの免疫を鍛えてくれてます。

    宮沢孝幸氏は「「ウイルス」はラテン語の「病毒因子」という単語が語源だが、自然界に存在するウイルスは、病気を起こすウイルスの方が少ない」という意味のことを言っています。(動画で見たけどどの動画かは失念)

    パワーホールさんの主張はウイルスを擬人化し、「ウイルスを命として尊重し、もっとやさしくしてくれ」みたいな印象を受けるのですが、「ウイルスにやさしく」とは具体的にどんな政策なのかが見えません。

    パワーホールさんが実現したい政策が「コロナウイルス感染者を社会から排除しない」ことだったとしたら、私はもろ手を挙げて賛成します。
    感染が判明した人を隔離する必要もないし、治療する医療従事者も重装備の必要はないでしょう。職場の人は回復した元感染者を差別して近寄らない、なんてことをする必要は全く無いでしょう。

    いまのところウイルス感染に対する負のイメージが強すぎて、多くの人々の頭の中で感染者は隔離しなければならないと思い込んでいるようですが、そのイメージを打破し、感染は免疫を鍛え、集団免疫の獲得に近づかせるという正のイメージを強くしていく政策でしたら私は大賛成です。
    あくまでも「感染者」ですよ。ウイルスというミクロの存在を人間は直接操作できません(例外あり)。ウイルスそれ自体を隔離したりしなかったりすることは人間にはできません。

    上記のことは政策というより、人々の意識の問題ですから、ウイルス学者や表現者の仕事と思いますが、今や誰でも表現者になりえますから、パワーホールさんもどんどん発信して欲しいと思います。

    私は
    ・感染必ずしも悪ならず
    ・感染者数増加必ずしも悪ならず
    という考えが普及していかないと、また同じことが繰り返されると思ってますし。

  • #10

    タイ象 (土曜日, 27 11月 2021 12:42)

    ウィルスとの共存というか共生というか、至って普通の事だと思うんです。私。

    今、世間で起きているのは、
    そんな普段は無意識なものを、
    ほれ、
    命は大事だぞ、
    大変だぞ
    コロナ憎しのゼロコロナ!
    と、
    お題目を突きつけてくる社会
    いや、マスコミ
    よりによって、野党まで。
    みんな、どうかしていると。

    少なくとも、ここにいらっしゃる方々は、そう感じておられると思います。

    致死率の高いウィルスや細菌
    あと、日本では、撲滅されたということになっている
    天然痘も
    諸説あります。
    僕らが学んできたことは、
    片方だけの情報ですから、
    そう考えると、致死率の高いウィルスが流行っても、
    私自身は、しゃあないなあ、と。
    どうせ、罹れば動けないから、
    感染拡大まではいかない。

    ただ、危機が目の前で起きた時は、
    選択しますよね。
    優先順位はあります。
    その時々で、 
    判断はコロコロ変わります。

    長寿命化した人間ですが、
    認知症やさまざまな疾患で、自由に動けない人らが増えたことも事実です。
    案外平均寿命が短くなっても、
    いいのかな?って
    これって、なんか、人口削減推進論者みたいだなあ。
    いや、ちょっと誤解されるなあ、
    私。
    死んだら死んだで
    まあ、しゃあないなという死生観は、江戸時代あたりは、普通だったんじゃないかな、と思うんですよね。私自身は、
    そういう感覚になれたらいいなあとは思います。

  • #9

    くれは (水曜日, 24 11月 2021 23:31)

    私は皆さまのように深く考えれないので、単純に考えてしまいますが、共存しても良いウィルスと、これは無くなってほしいなと言うウィルスは致死率、強毒か否かで決めてしまいます。

    例えば江戸時代の天然痘は致死率50%だったそうなので、こんなのがまた出てきたら、ワクチンも一か八か打つかもしれません。新型コロナは共存しても良いです。

  • #8

    大平原インデアン (火曜日, 23 11月 2021 10:10)

    「withコロナ」といってもいろいろな考え方があるのですね。
    パワーホールさんの考え方はウイルスも命(生物)なのだから共生していこうというWITH
    カレーせんべいさん他の皆さんは避けられないものだから、極端に恐れすぎて人間関係を壊してまでゼロコロナを目指すのではなく、今まで「withインフルエンザ」を(無自覚ではありましたが)してきたように、コロナと上手に折り合いをつけて生活をしていこうというWITH。

    ただ前者の考え方だと「ウイルスは生物か?」という神学論争になって、「ゼロコロナ派」と対峙するにはいささか都合が悪いような気がします。

    先日のYouTube松田政策研究所チャンネルによしりん先生が出演し、「皇族になる男系男子がいない」というリアリティの話しかされませんでした。
    「日本は歴史的に本来母系社会だったとか、女系継承にあたる天皇も過去にいたとか、皇祖神は女性の天照大神だとかいう議論もできるが、それにはいちいち男系派は歴史学的には認められない奇説を繰り出して、神学論争になってしまう。
     だからまずリアリティを重視すべきなのだ。リアルに皇統が続くことを確保してから、そのリアリティを崩さない歴史や神話を解釈していくという順序で行くしかない。」(小林よしのりライジングvol416)

    やはり「withコロナ派」もリアリティをを重視した議論をした方がいいと思っています。

    カレーせんべいさんがおっしゃるように、ウイルスは天災と同じ。
    今国がやろうとしていることは、津波を極端に恐れて海岸に高さ500メートルの防波堤を作るようなもの。海岸から海が全く見えなくなってしまうのに。

  • #7

    ペチカ (月曜日, 22 11月 2021 22:58)

    パワーホールさんはきっと心のお優しい人なんだろうなぁと想像しました、ある種言っておられる事の意味は解る。

    人間は傲慢であるが故に自分達が神であるが如く他の動植物を支配し我儘し放題であるが、その傲慢さ故に自らが滅びかねない過ちを犯しかねない、そういう意味なのであろうと解釈。(※ゴーマニズム宣言の嫌味ではない笑)

    その意味で、ユヴァル、ノア、ハラリのサピエンス全史漫画は面白いかも、絵は下手だが、、苦笑

    >>#4 そうそう、その井沢元彦氏の逆説の日本史、確か武田鉄矢の今朝の三枚でおろされていたか(詳しくは失念)、興味深く聞いた記憶があります。

  • #6

    パワーホール (月曜日, 22 11月 2021 21:42)

    カレーせんべいさん、パワーホールです。カレーせんべいは、ウイルスには命がないとおっしゃいましたが、世間にはウイルスを生物と認めるべきという考えもあり、侘助さんのあげた武村先生の著作で、フランスの生物学者のパトリック・フォルテール氏が主張していますし、日本でも中屋敷均先生が「ウイルスは生きている」という書籍を書かれております。私も侘助さんの理解を深め共生していきたいとの考えにも、かわじさんの意思疎通ができればとの思いにも共感します。ざんくろうさんは生類憐みの令に関して述べていますが、賛否両論あり様々な見方があるのも事実ですね。
    私としては、ウイルスを生物と認める考えには賛成ですし、生物の定義も新しい知見等により変えていくことも重要ではないでしょうか。細胞持たなければ生物じゃないという考えは、男系固執派や護憲派みたく柔軟性を欠いてるとしか思えませんし。
    皆さん、様々な意見をくださってありがとうございます。

  • #5

    小夜侘助 (月曜日, 22 11月 2021 21:18)

    生物学者の武村政春さんによると、ウイルスは物質か生物か、定義づけるのが難しいと。
    地球上に現れたのが最も早く、長い期間存在してきた、よくワカラナイ相手のようです。
    今回のインフォデミックでウイルスの存在について興味を持ちましたが、よく解っていないことで誤解され、利用されている面があるのではないか?と思います。
    ウイルスとは、お互いの理解を深め共生していきたい、地球上の先輩だと思います。

  • #4

    ざんくろう (月曜日, 22 11月 2021 11:50)

    初めてコメントします。
    よろしくおねがいします。

    生類憐れみの令について。
    戦国時代の余韻が残る、3代家光までの武断政治を、4代綱吉が文治政治に大転換し、以後の政治的安定に貢献した、とても優れた政策です。
    ご興味があれば、井沢元彦氏の逆説の日本史シリーズを参照してみて下さい。

  • #3

    かわじ (月曜日, 22 11月 2021 03:48)

    科学的にいうとウィルスって基本「RNA」だから、
    僕なりに要約すると「生命のかけら」ってことですかね。
    かけらでも意思疎通・交渉が出来ればいいんですが、どうも彼らは
    自分の生存・増殖しか考えてないようなので(本能?)人間社会のヒューマニズムを適用するのは
    ちょっと難しいかな、と思います。(共存と言いつつ人間側で手洗いうがいという「最低限の壁」はなんだかんだで設けてますからね)
    あくまで「数字」を見て「思考」できる人間側で共存の度合いを測るといったカンジでしょうか。
    その「数字」が無視されて、一部の権威権力の「思考」停止が押し付けられてる現状が腹立たしい現状ではありますが。。。

    あと今後、COVID-19一族よりも強毒のインフルエンザなどが「さらに未知の強毒化」する可能性を考えるための社会的予行演習として、今のコロナ禍は「適切に乗り切る訓練」をすべきだと僕は考えます。
    今のままでは間違いなくインフル強毒化でロックダウン一択しかなくなる気がしますので。
    どこまでをシャットアウトして、どこから共存するのか。

    「自然免疫の軍事演習」ならぬ「文明社会の思考・選択演習」が文明社会存続の大事なテーマかな、と、考えます。

  • #2

    死生観の欠如 (日曜日, 21 11月 2021 21:15)

    そもそも死ぬことが特異なことだと認識している日本人があまりにも多いのではないのでしょうか?
    人間が死ぬことは当たり前のことです。
    どう死んだかより、どう生きたかを評価する世の中になって欲しいです。
    人間の致死率は100%です。

  • #1

    ハル (日曜日, 21 11月 2021 21:11)

    1、ウイルスは生命体というより、ただの物(物質)ではないでしょうか。
    2、カレーせんべい様の言うとおり、「命には序列がある」と思います。

    私は、同胞である人類、日本人、家族や愛する人々と、命の価値は高まると認識しています。
    命は等価では無いからこそ、我々は、牛や豚を殺して肉を食えるのです。
    ところで、新型コロナって、弱毒化が進み、ただのショボい風邪ウイルスに過ぎないのではないでしょうか。
    人の命と比べる程、大そうなものには思えないのですが、、、