投稿者:匿名さん
カレーせんべいさんを始め、世界のゴー宣ファン関係者の皆さん初
いつも素晴らしい情報発信をありがとうございます。
さて、先日、ゴー宣ファンの読書投稿欄掲載の記事が出たばかりの中国新
今朝の朝刊で良い記事があったのでご報告します。
紙面を読み進めると、この記事に目が止まり「おー!ここま
その内容が、5〜11歳へのワクチン接種は専門家でも意見が分か
また、"異から違へ"というゼロコロナからウィズコロナへのフレ
磯野真穂さんという人類学者の投稿で中国新聞の関係者の記事でな
しかし、3月10日の意見広告の影響が確実に出ていると嬉しく思
(管理人カレーせんべいのコメント)
これは貴重な情報を教えてくださり、ありがとうございました\(^o^)/
人類学者の磯野真穂さんの論考は大変興味深かったです。
「違」と認識するならば「自らの一部」として排除しようとは思いませんが、「異」と認識すれば「外敵」として排除に乗り出すという考察ですね!!
これは人類学・社会学だと思いますが、コロナ禍にもそのまま適用できる考えですね!
新型コロナも、インフルエンザや旧型コロナと同じように、「異物」ではなく「違和感」程度に社会に許容するのは必要だと思います。
その一方で、コロナワクチンは「異物」なのです!
有効性も安全性も証明されていない新型薬剤は、「違和感」で済ませる性質のモノではなく、社会にとって「異物」であると私は考えます。
皆様は、この記事を読んでどのようにお考えでしょうか?
コメント欄で教えてくださいね。
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カブ好き (日曜日, 20 3月 2022 20:54)
「異」と「違」という捉え方、そしてその例えが私にはとても分かりやすかったです。一方で、コロナは怖いと思っている人には、このような記事も理解不能なのかなとも思いました。コロナ恐怖を上回るほどの恐怖…例えばコロナワクチンを打った子どもたちが異常なまでに死んでしまう…が起きない限り、目は覚めないのではないかと。
最後の一文も印象的でした。政治家、全国の知事たち、専門家たちに改めて考えてほしいと強く思いました。
パワーホール (日曜日, 20 3月 2022 11:30)
過剰な感染対策への批判が立派です。ウイルスに関しても、武村先生や井上先生がウイルスがいなければ人間も生物も成り立たないし、ウイルスを否定すれば人間の存在も否定することになるとおっしゃれれています。私としては、ここに挙げたお三方の対談を見てみたいし、本にしてもらいたいです。
あと、磯野氏は人類学者ですが、私は人類学者こそウイルスについて研究しなければならないし、ウイルス学を人類学の基盤にすべきです。
それに、ウイルスを敵とみなしワクチン・治療薬で抹殺することだけではなく、仲良く共存するための方策をしっかり考えていかなければならないと改めて実感しました。
はな (日曜日, 20 3月 2022 10:29)
ウイルスを排除しようとする限りコロナ過は終わらない、全くその通りですね。
こちらの記事は山陰中央新報にも載っていました。
意見広告も掲載されることになり、努力してくださった方々には本当に感謝しています。
枯れ尾花 (日曜日, 20 3月 2022 10:22)
日々診療していると、ある症状(例えば、人前で緊張すること)に対して、それを失くしたい、緊張しない人間になりたい、つまり受け入れられない異物として扱おうとされる方ほど、その症状に囚われこじらせる傾向にあります。一方、症状を「あるがまま」として受け入れる方はその後、相変わらす緊張はするけど違和感程度にしか感じなくなる、もしくは緊張することそのものを問題視されなくなります。
あるがままという精神の境地は本来、禅に通じるものであり日本人が最も得意とするものだったはずなんですがね。
リカオン (日曜日, 20 3月 2022 08:26)
磯野真穂さんですか。はじめて知りました。異と違の視点、とてもスッと胸に入りました。聡明な若い方が発言されると日本もまだまだ捨てたものではないなと思います。これからも活躍していただきたい方ですね。
ウイズコロナへ向けてこのような意見がどんどん増えていって欲しいです。特にコロナを恐れている年配の方の心に訴える事が大事。一度恐怖を覚えてしまった方をなだめるのって本当に難しいですね。(そういえば近所のお年寄りが3人で立ち話していたが、3人ともノーマスクでおしゃべり。そんなに怖がっている様子はなさそう・・・3回目が終わったからか?ピークアウトしたから?)
殉教@中立派 (土曜日, 19 3月 2022 23:44)
なるほど・・この考え方なら、「科学って良く分かんねー」という人にも話ができそう。「思考のフレームチェンジ」は「コロナ自粛の大罪(鳥集徹&7人の医者)」にも出てきた考え。ただ、一気に変えるのは不可であり、漸進的に世論をスライドさせるしかない。1919年のスペイン風邪~現在のA型インフルまで、約103年間の「ウイルス変異の歴史」がある。いつまでもフレームを(異→違に)変えないと、この騒ぎは103年ぐらい(追跡PCRによって)続くことだろう。子供の未来や、予算の食い潰しに注目した事も白眉。
グッビオのオオカミ (土曜日, 19 3月 2022 23:14)
なるほど、「違」ではなく「異」ですか。
一理ありますね。
昔は、汗だくだくの泥んこで、田んぼや草っぱらで遊んでいましたし、その時は素手で亀やカエルやザリガニを捕まえ友達とプロレスごっこもしてました。
今、そんな事出来ませんね。
普通に歌を歌う、マスクを外して表情を見せ、笑いあいながら関係性を築く、とても大切です。
宮沢孝幸先生がツイッターで書いておられましたが、全てのウイルスにワクチンを打たねばいけないと言うと、毎週接種してもとても追いつかないそうです。
また、人類や生態系にウイルスは分かちがたく組み込まれているとか・・。
以前、萬田緑平先生は「風邪を引く事は悪い事ばかりでは無い。何か生きていくために必要な外部手段ではないかと考えるのが合理的だろうに。だから生命体にはウイルスを受け容れる”受容体”などあるのだろう。ガンは体温上昇に弱い、温熱療法と言うのがあるが、風邪を引き、熱が出る事によって体がリフレッシュしてる可能性がある。ガン細胞等を殺す仕組みかも知れない」とnoteやツイッターで述べておられたのを思い出しました。
やどりぎ (土曜日, 19 3月 2022 22:47)
こちら、山陽新聞3/18付朝刊にも載っており、自分もふかーく頷きながら、読ませていただきました。山陽新聞は意見広告を掲載する様子は微塵もないようだし、ここの所チェックを怠っておりましたが、母が良い記事があると保管しており、本日じっくりと読むことができました。
人類学者の磯野真穂さん、素晴らしい論考ですね。『異』から『違』へ。
現代医学への警鈴ですね。医学に対して、ワクチンに対して、昔に帰れと言われているような気がします。
今の状況に何かしら感じている方にも、ストンと腑に落ちやすい論考ではないかなと思います。なので、多くの方に目にしていただきたい記事だなぁと感じました。
この論考を読んでも、気づきもなく、考えが変わらないようであれば、もう、付ける薬はないかなぁと思います。
このような考え方に大多数の日本人がならなければ、コロナ禍、マスク…終わらないのだろうかと。
岡山県北の地域では3回目接種率50%を超えてきました…
自治体に勧められるがまま。言われるがままですね。素直で良いと言えばそうなのでしょうが…ため息しか出ません。
この論考が掲載されるのであれば、ぜひ、意見広告も今一度ご一考いただきたいですね。
トマト (土曜日, 19 3月 2022 22:23)
記事の紹介、ありがとうございます。
なるほどーと思える良い記事でした。異と違の違い、「腰の異物を除去」「腰に違和感を覚える」の例がイメージしやすかったです。
ゼロコロナじゃなくて、ウイズコロナですね。
磯野真穂さんのお名前を見て、以前、毎日新聞にも記事を書いていた事を思い出し、スクラップノートをひっぱりだしてきました。
毎日新聞で、2022年4月29日、「リクス許容する「良識」を」という記事を書いていました。
そちらの記事も良かったです。