投稿者:ひとかけらさん
4月12日北海道新聞朝刊。
まん防リバウンド期間が終わっても基本的な感染対策をするようで す。
(管理人カレーせんべいのコメント)
一度、コロナから離れて考えてみればいいですね。
そもそも「ウィルスを排除」なんてできるわけがないです。
そこには、善意も悪意も存在しないです。
「ウィルスと共存」をずっとしてきたわけですし、これからもずっと「ウィルスと共存」していくわけです。
そうであれば、なにゆえコロナのみは「排除」しなければならないのか?
しかも人間らしい生活を投げ捨ててまで!
それはあまりにもバランスを欠いていると思います。
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パワーホール (日曜日, 17 4月 2022 14:37)
おおみやさんへ
ウイルスも我々と同じように感情や心を持った存在になってほしいですよね。
おおみや (日曜日, 17 4月 2022 13:24)
なんとなく私の中では世界観は構築されてます。正しいかは別としてです。
ウィルスであれ植物であれ人間であれ コピーミス によって繁栄が可能。
生物以前の時代、コピーミスが全く起こらない物理法則であったから=生物が生まれていなかった。宇宙線なり何らかの刺激によってコピーが誘導されそれはコピーミスとは一体化した刺激だった。原子とかのレベルでコピー&コピーミスは必然だった。それによって、例えば今の火星なんかのごく一部のような環境に喰らいついた。そして適応に最も有利なモノが不利なモノを淘汰も時々しながら細菌レベル→生物レベル→人間と繋がってきた。細菌よりウィルスの方が後かも知れないけれど。
この地球って環境の中で全く静的なエリア(=岩とか空中とか)の上に…コピー&コピーミス軍団であるところのウィルス~人間が絶対に終わる事の無い争奪戦を現在も展開中。本当は既に{共存}かもしれない世界。
人間の視点からすれば病原性で線を引くというのも確かに当然。ウィルスからすれば、ただ、そこにあっただけ。
(これも用語が無いので仮に)人間には「基礎体質」というものがあって、それも正にコピー&コピーミスの産物。基礎体質を親から受け継いだ以上はやはり様々な刺激(ウィルス、ワクチンetc.)によって勝てる人も居れば負ける人も居る。
ただし、我々は感情という武器を手に入れている。例え情報災害に遭おうとも、これまた有利な日本人的特性がある。ならば、使いましょう。
という世界観です。
(いや~、これ位がさすがに今の私の能力の限界だ・・・)
パワーホール (金曜日, 15 4月 2022 22:07)
ひとかけらさんへ
なかなか鋭いですね。人間もウイルスも同じタンパク質で体が構成されていますし、アルコールや紫外線を苦手としている点も似ていますよね。共生の可能性があるなら、ワクチンや治療薬の開発より共生の実現につき研究するべきではないでしょうか。確かに病原性を持つことはウイルスにとっても明らかにデメリットだし不要の足枷であることは確かですよね。そこのところもきちんと研究して解明していく必要がありますよね。
人間の遺伝子の3割がウイルス由来という点に鑑みると人類学者もウイルスについて研究しなくてはいけませんし、ウイルス学こそ人類学の基盤でなければいけないと思います。「人間を知るにはウイルスを知れ」と言われるような時代に早くなってほしいです。
Richard Tiger (金曜日, 15 4月 2022 10:57)
北海道は、コロナよりもロシアを心配した方がいいのでは…
ひとかけら (金曜日, 15 4月 2022 06:57)
おおみやさん:
多様な個を持つ人間やウイルスとは重要な視点だと思います。容易く全体主義に染まってしまう日本人にも色んな個やウイルスに対する考え方は違いますので。
ひとかけら (金曜日, 15 4月 2022 06:36)
パワーホールさん:
ちょっと思ったのですが、RNAからDNAへの逆転写が起こるということはウイルスの遺伝子が人間のDNAに組み込まれますよね。人間の遺伝子の30%がウイルス由来なら逆転写は起こりえると思います。コロナ論2でウイルスは人間の遺伝子を使い自らのコピーを作りだすということは共生も可能かの思います。しかしながら何故病原性を持つのかが謎です。
パワーホール (木曜日, 14 4月 2022 22:06)
おおみやさんへ
ウイルスと人間は本質的に変わらないというのは素晴らしい発見ですね。ウイルスと人間の共通点・接点・類似点について調べていくことは必要だと思います。それに、ウイルスには感情がないとのことですが、私はウイルスこそ心を持たなければいけないと考えています。彼らにとって必要なのは病原性ではなく心ではないでしょうか。できれば心を持った私たち人間と変わらない存在になってほしいです。
ひとかけらさんへ
そもそもウイルスを排除したり撲滅するという考え方こそおかしいし危険だと思います。ウイルスなんてこの世からいなくなってほしいと平気で言う人を見るとゾッとします。私は、病気のもとになるような生物だからこそ共存できるようにしなければいけないと考えています。それに、宮沢先生もおっしゃっていましたが、病気を起こさないウイルスの方が9割以上で多数派なんですよね。このことからウイルスと人間との関係は病気を起こし起こされるのは異常な関係で、病気を起こさず共存するというのが正しい関係であると言えますよね。
ひとかけら (木曜日, 14 4月 2022 21:31)
枯れ尾花さん:
天然痘の事を軽く調べてみました。人間以外には伝染らない、症状が強く出るので無症状感染症はありえないという特徴があるのでワクチンで排除が可能。動物由来のインフルやコロナはやはり絶滅不可能だと思います。
自然の力の前では人間は無力と感じ静かに争わず受け入れるという姿勢は現代では失われたように感じます。
おおみや (木曜日, 14 4月 2022 12:43)
私らの体だって親からの1世代での次への偶然の変化を目指した成果です。兄弟の体質的な個性が出るのもその1つの形です。思考回路の違いもです。変異し続けるウィルスと世界観的に何ら変わらないものです。それが生命構造体(�スイマセン、ここ、表現が難しい)の世界です。
こんな施策などが出現してしまうこの時代の後、これが理解できている人がどれだけコンセンサス化されている社会になっているのか、真にここが大事です。
この記事に限らず我々が見ているモノは広い意味で 産みの苦しみ です。
それまでに何とか犠牲になってしまう方を減らそうと{対立しながら助け合いながら}色んな人間がもがいている、感情の無いウィルスに感情を無理やり読み取ればそうなります。
感情が生まれる人間として生まれたからには前向きに、を心掛けたいものです。
う~ん、ちょっと広げ過ぎたかな~ 難しいな~、表現って・・・
枯れ尾花 (水曜日, 13 4月 2022 19:30)
岡本太郎氏の「沖縄文化論」にちゅらかさの伝統という言葉がありました。これはよしりん先生も「沖縄論」で一部書かれていたが…「沖縄には『美ら瘡』という面白い言葉がある。天然痘のことだ。最近は病気自体がなくなりあまり使われていないようだが。災いとか伝染病を美称で呼ぶのはなるほどひどく矛盾のようだが、しかし、かつての島の人には切実な意味があったに違いない複雑な心情である。外からくるものはいつも力としてやって来てこのモノトニーの世界に爪痕を残す。それは良し悪しを抜きにして貴重である。だから畏れ敬って一応無条件に迎える
だが、決して好ましい客ではない。なだめすかしてなるべくおとなしく引き取ってもらわなければならない。
恐ろしいからこそ大事にする。人間が自然の気まぐれに対して無力であった時代、災禍をもたらす力は神聖視された「凶なる神聖」である。それは「幸いなる神聖」と表裏である。幸いはそのまま災いに転じ、災いは不断に幸いに隣り合わせしている。それは常に転換し得る。
強烈に反発し、対決して打ち勝つなんていう危険な方法よりは敬い、奉り、巧みに価値転換して敬遠してゆく。無防備な生活者の知恵であった。」
勿論、コロナは恐ろしい病原体ではないのだけれど、もし恐れたとしてもちゅらかさの伝統の感覚を持っていたならば今回のような愚かしい状況にはならなかったんだろうなあと思います。
パワーホール (水曜日, 13 4月 2022 06:35)
私は、人間とウイルスは家族にならなければいけないと考えています。それにウイルスの排除が許されるなら、例えばゴリラやチンパンジーを排除することも許されますよね。奴らも危険極まりない生物ですし。