投稿者:大平原インデアンさん
ツイッターや東京新聞の中川淳一郎氏の文章はキレッキレですね。
激しく同意します。
ちょっと前のものですが、プレジデントオンラインの記事も秀逸でした。
他人の目が気になるから…そのためだけに「外を歩くときにマスクをする」という日本人のイヤな空気https://president.jp/articles/-/56759
結構長い文章ですが、マーカーを引きながら読むとマーカーだらけになるくらい最初から最後まで納得の内容でした。
とりあえず出だしの部分を紹介します
「コロナの混乱が続いたこの2年ほどで、よくわかったことがある。日本人にとって極めて大切な行動規範は「他人に迷惑をかけない」「他人のために自分は我慢をすべき」の2つである、ということだ
これらは別の言い方をすれば「謙譲の美徳」「利他の精神」といった立派な姿勢になるのかもしれない。だが、2つの規範の根底にあるのはあくまで「そうしないと自分は批判されてしまうし、居心地が悪くなる」という消極的な(そしてある意味、利己的な)感情なのである。
つまり100%納得しているわけではなく、「配慮(という名の自我の封印)をすること」と「批判されたり、居心地の悪さを感じたりすること」を天秤にかけ、どちらがより苦痛かを基準に選択しているにすぎない。
その結果、「配慮をするほうがラクだし、攻撃もされない。余計な波風を立てたくないし……」と判断して2つの規範を守る人が圧倒的多数派となり、社会的な空気は強固なものになっていく。」
「利他的」な行動と思われていた「マスクをする」という行為を「利己的」な感情であるとバッサリ。
このことにみんなが気付かないと、マスク渦は終わらないのでは?
(管理人カレーせんべいのコメント)
長くても、全部読めるし、全部読んだ方が絶対にいい!
コロナ禍を「差別論」に話が展開したのは、私の実感とはやや異なるが、思想としては興味深かった!
【まとめ】今回の「俺がもっとも言いたいこと」
・コロナ騒動で明らかになったのは、「他人に迷惑をかけない」「他人のために自分は我慢をすべき」という日本人に染みついた2つの行動規範である。
・現在、批判の対象としてやり玉に挙げられているのは「コロナを恐れない人」「マスクをしない人」「ワクチンを接種しない人」という3属性。
・コロナに関して多数派とは異なる意見を持つ人々を、容赦なく攻撃する風潮。その背景にあるのは、人間が隠し持っている醜い差別感情である。そこから脱却できないかぎり、日本のコロナ騒動は終わらない。
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おおみや (火曜日, 10 5月 2022 19:42)
この方の記事、いつも楽しみにしてます。コロナ騒ぎが終わった後に、うちの会社でやっている自由テーマプレゼンタイムの資料の一つとして確保してあります。 自分なりに更に磨きをかけて(この時代も)奇貨としてより高い信頼で繋がる仲間を目指す算段⇔表面的には今はたった一人のマスク無しですけど、将来的に(ローカルな会社内ですが)皆としっかり総括できるための良い材料ですね。
近藤 (火曜日, 10 5月 2022 19:05)
紹介ありがとうございました。
>現在のマスクに関する取り組みは「社会の目」を最大の行動規範とした場合の大衆心理を探る、壮大かつ滑稽な社会実験のようにも映る。
この辺がなるほどでした
ずっと思ってるけど、心理学者が出てこないんだよな。
こういう時こそ出番だと思うけど。
絶好の研究対象じゃないのかな。
積ん読になっているギュスターヴ・ル・ボン
「群衆心理」も読まなくては。
roku (火曜日, 10 5月 2022 16:20)
しかし、どうして日本は「自己肯定感の低い人々」=「差別に飢えた人々」を大量発生させてしまったのでしょうか。無論、世間体のみで、とか、本当にコロナが恐ろしくて と言う人々が大半だと思いますが、自分の不安定さ故「差別に飢えた人々」が増殖したのも事実。戦後日本の病理を反映していると思わずにはいられません。
roku (火曜日, 10 5月 2022 13:46)
差別感情を持ちやすい人は、おそらく自己肯定感の低い人だと思っています。自分が優位にたつことで、自分の矮小さをごまかし、自己を保つ といったところでしょうか?
たこちゃん (火曜日, 10 5月 2022 09:30)
カレーせんべい様
いつもサイトの取り纏め、ありがとうございます。
この2年あまり、中川氏は『プレジデントオンライン』で定期的にコロナ禍に
ついて論じておられます。
毎回、実に腑に落ちて、納得できることばかり。
来月の「オドレら正気か関西LIVE」にもゲストとして登場されますが、今か
ら楽しみです。
かずず (火曜日, 10 5月 2022 08:02)
やっぱり日本って、世間圧が強い社会なのかなーて、改めて思いました。中川さんの考察が、マトを得てると感じました。
T.G (火曜日, 10 5月 2022 05:46)
さすが中川さん、普段私が言いたかった事を全て言ってくれました!差別感情を満たしたい日本人の醜悪さをこれでもかと炙り出したのがコロナ禍ですね。痔瘻のところは経験者として大いに同意です。あの時は本当にキツかった。あんな思いは二度としたくないと思いました。それに比べたらコロナなんて屁みたいなもんです。ウザいのはこの鵺のような日本特有の空気ですね。
ネモ (火曜日, 10 5月 2022 00:55)
良い記事でした。おそらく、多数派の人間、神経症の方は自分のこととして受け入れて思考できないでしょう。怒りが邪魔して読めないと思います。自分を疑うより他人を攻撃する方が楽なんです。そうして老人になるまで、変わることなく怒りの人間として人生を終えます。自分と向き合えない、たくさんの大きな子どもが多すぎる社会。
グッビオのオオカミ (火曜日, 10 5月 2022 00:23)
メチャクチャ面白かったです!!文章が長い?全く気になりませんでしたね。
私もかねがね違和感を感じていた事でもあったし、こう言われてみれば「なるほどなあ」と思う事ばかりでした。
日本人が「美徳」と称しているものの正体は実は「利己心」だった。道徳はすぐに「処世術」になり、せいぜい「上手な利己主義」となります。
そして本当の悪は平凡な、むしろ弱者の無自覚な卑怯さによって行われ、「自分の心の安心」を「救い」とする考えは、無知と無関心のままに自我を保とうとし、それを傷付ける他者やそれと異なる他者、疑問を持つ他者を排除し、「安心」を得る。
哲学者ハンナ・アレントが「凡庸な悪」と表現したものはこういう事でしょうし、作家・坂口安吾が敗戦後の日本の世相を「堕落論」でバッサリ切りたかったのも同じく、こういう日本人の「他者と自己を発見しない」本当の意味での葛藤を避ける性根に対してでは無かったかと思います。
多くの日本人は戦時中の「全体主義」を悪い事と答える。ナチスのユダヤ人迫害も悪い事と答える。
しかし、自分が無意識に「迫害者」に加担し、加害の当事者に成り得る事を知ろうとはしないし、疑おうともしない。
日本人は「安心」したい、「自分の気持ち」が救われたい。ただそれだけなのです。
だから反対意見を聞くと距離感がつかめない。
小林よしのり先生が「公と個」「私と個」という事をずっと言ってこられましたが、今回の「コロナ禍」でその弊害が表面化した感じがします。
中川淳一郎先生、素晴らしい一文ですね。