投稿者:カレーせんべい
学生Aさんからの質問
>脱正義論を読んで気になったのですが、
>支える会に参加した大学生は、
>本当に自身の大学生活も視野に入れていたのでしょうか?
なるほど。そうですね。
もしかすると「私(学業)よりも公(運動)の方が大切」という勘違いがあったのかもしれませんね。
たとえば、もし私が、薬害エイズ運動が盛んだったときに大学生だったら、「支える会の学生」と同じ行動をとっていたと思います。
最初の内は「子供の命を守る」という義憤にかられ「情」から運動に参加するでしょう。
ところが運動によって実存を感じると、運動を続ける目的で、「世の中を変えるため!」というイデオロギーを掲げ、永久運動に突入すると思います。
恥ずかしい話ですが、私が19歳の時を振り返れば、そんなものだったと思います。
だからこそ、小林よしのり先生の「プロになれ!」という言葉は、どんな説教よりも痛かった。
私は【脱正義論】を読んで、「父親に怒られたような感覚」になりました。
そして今だって「プロになれ!」という言葉はすごく痛いんです。
結局、プロであり続けること自体が、永久運動かもしれませんね。
・・・
私たちは今、「意見広告運動」に参加しています。
動機としては「薬害エイズ運動の学生」と大して変わらないはずです。
でも、大きく異なる点は、
参加者の大半が「現場を取ったプロである」ということ。
「脱正義論の出版後の運動」であるということ。
だから、勝つよ、必ず。
脱正義論、最後のセリフ
「さらばだ 個の連帯は幻想だった」
私は「お言葉ですが・・・」と異議をとなえたい(笑)
やっぱり、あれは違うと思います。
なぜなら、あの物語には「続き」があったからです。
25年もかかったけど、
「脱正義論の向こう側の景色」をみんな一緒に見ましょう!
さぁ、意見広告運動、最終章をはじめます!!
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しおちゃん (火曜日, 17 5月 2022 05:55)
10代の25年前…
ゴー宣の一読者として、支える会の学生達を仰ぎ見ていた。いつかは現場のプロになりたい、世に影響を与える何者かになりたいと野心・妄想を抱いた日々。
…25年の間に、所詮身の程を知り、夢に描いた何者かにもなれなかった自分。専門職には就いたが、プロフェッショナルかと問われれば、中々自信を持てない勉強不足の自分。
そんな自分が2児の父親となり、子育ての楽しさ難しさに直面しながらも、何も取り柄もない自分だが、せめても子育ては真摯に取り組んでいこうと決めたところにコロナ禍…
この時代に生まれた者の「宿命」なのかと思った時もあったが、インフォデミツクというところがどうしても悔しい。
我が子達が、いつの日か父親がこのコロナ禍をどう抗ってきたのかを理解してくれる事を願って、最後まで駆け抜けたいです。
ちょっと私心剥き出しに感傷的になってしまいましたが(*´-`)
最後はやっぱり大逆転して、皆で勝利を分かち合いたい!!!