≪思想≫ 安倍晋三銃撃事件は「大東亜論」とつながるのか?

 

投稿者:きたこうさん 

 

よしりん先生の「テロの言い分が倫理的なこともある」発言。しびれました。大東亜論ともつながり、府に落ちました。、

 

 

(管理人カレーせんべいのコメント)  

 

安倍晋三銃撃が「大東亜論」と繋がるとは、私は「腑に落ちない」ところがあります。

 

そもそも来島恒喜は「個人の復讐」を動機して、大隈重信を襲撃したわけではないです。

 

不平等な内容の条約改正を止めるという「公的動機」によって襲撃し、その後は、自ら首を突いて自害しています。

 

山上徹也の場合は『個人の復讐をやり遂げた結果として、統一教会と政治との関係という公的な問題提起に偶然繋がった』というのが真実だと思います。

 

それは彼が事件前に出した手紙の最後の一文「安倍の死がもたらす政治的意味、結果、最早それを考える余裕は私にはありません。」からも読み取れます。

 

そして、私は「もし自分が山上徹也と同じ境遇だったら、同じことをしていたかもしれない」と思うので、すっかり同情しています。

 

・・・

 

ここの辺り、少しややこしいのですが、きちんと思想的な整理をしなければミスリードになる予感がします。

 

そもそも「言論には暴力性がある」と思いますし、「暴力を完全否定した言論」は空虚で覚悟のない言葉の羅列だと思います。

 

だからと言って暴力そのものを評価するのであれば、言葉を鍛えるより、暗殺術を鍛えるべきという話になります。

 

大東亜論にせよ、脱正義論にせよ、「テロ」が登場するのですが、それは「肯定できるテロ」です。

 

今回のテロは「同情できるテロ」ですね。

 


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コメント: 9
  • #9

    きたこう (金曜日, 22 7月 2022 04:24)

    取り上げてくださりありがとうございます。今回のの投稿で来島恒喜の名前はあえてだしませんでした。こんかいの事件の犯人と来島恒喜とはあまりにかけはなれているからです。この辺の整理は以前のみなさんのコメントを読んでできてはいるのです。しかし、非業の死を遂げたからとあまりに美化し一面的な報道しかされないこと考えると、よしりん先生のおっしゃることもわかるのです。一国の総理を務めたような人がオウム真理教に応援メッセージを送っていたようなものだと例えられ、その通りだとおもったのです。犯人の動機は何にせよ結果的に政治がカルトに支配されてしまってることが明らかになったのなら、それを正すことは倫理的だと言わざるをえないと感じました。

  • #8

    古也 (金曜日, 22 7月 2022 04:03)

    私もカレーせんべいさんの意見に同意です。
    「同情できる復讐」で、本丸まではいけないが、
    できるところまで成し遂げたのかなと思いました。

  • #7

    グッビオのオオカミ (木曜日, 21 7月 2022 23:59)

    山上容疑者は私怨の復讐なので、日本や公共性とはほとんど動機や目的に関係がありません。
    来島恒喜は、あくまでも日本の為に、大隈重信の条約改正案を打ち砕くという極めて政治的な「意図」と、その議会で阻止が出来ない状況と、急ぐ必要があった。
    来島恒喜は当時としては必要なテロだったろうと、思います。
    しかし、あくまで結果論を言えば、山上容疑者の犯行は思わぬ「政局」への、ダメージにつながり、あれよ、あれよと、多くの政治たちのあまりに節度のない利権と癒着の構造が思わぬ形、思わぬタイミングで明るみに出ました。
    その"副産物"は、ある意味、彼の思いとは全く関係なしに政治に一石を投じたと思います。

  • #6

    殉教@中立派 (木曜日, 21 7月 2022 22:47)

    思えば、小林先生も「グローバリズムによって踏みつけられた、中東イスラム教徒の苦しみ」を代弁し、9.11で「その手があったかーーー!」と叫んでいた。これも「テロの倫理的な言い分」だろう。一方、ロシアの蛮行は倫理性が無い。ひとつひとつの「時・処・位」で決めるべきだが、そればかりでは「世間」に干されるリスクもある。
     例えば、戦争論1~2に影響された「反米の世間」では「アメリカ許すまじ。ロシア様は光の戦士なり!」という言説がまかり通る。かつての赤軍派が「理解されないテロ」だったのは、連中が「自分達の世間の論理」を、外の社会に押し付けようとしたから・・・だと思う。

  • #5

    ポコ太郎 (木曜日, 21 7月 2022 22:40)

    ボクもカレーせんべい様の意見に賛同します。
    京セラの稲盛会長の言葉を借りれば
    「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」。
    来島恒喜は大善を思考し、実践したと愚考します。結果は非情ですが、プロセスは大いなる善をしこうしてのこと。今回の容疑者は、個人的な怨み辛みを果たそうとしたことで、小善ではないでしょうか。
    さまざまな意見が飛び交っていますか、尽きるところはここかと。しかし、統一教会の蛮行が許される訳ではないです。
    芸能人は、反社と付き合えば即ほされるのに、安倍さんや統一教会とお近づきの政治家は干されない。なんでやろ?

  • #4

    とくめい (木曜日, 21 7月 2022 21:57)

    #2佐々木さん
    「同情できるテロ」ではなく「同情できる犯行もしくは殺人」っていうのは私も同感です。○○のせいで人生が滅茶苦茶になった。というのは私怨ですよね。その原因が本当に○○のせいなのか?はありますが。

    来島恒喜は・・・、その後は、自ら首を突いて自害しています。

    今回の犯人は事件後司法に自らの処分を委ねる時点で来島恒喜とは全く違う(テロでない)と思います。

  • #3

    パワーホール (木曜日, 21 7月 2022 21:21)

    仮に玉川が安倍のように銃撃されたらそれは肯定できるテロなのか、それとも同情できるテロなのか。
    私は、玉川の所業を見る限りどちらにも当てはまるような気がします。コロナを煽り日本を滅茶苦茶にしたことは許されないと思うし、身近な人間がコロナ騒ぎの犠牲になっているからです。

  • #2

    佐々木 (木曜日, 21 7月 2022 21:15)

    テロは恐怖で自分の要求を相手に飲ませるための手段ですから、
    山上容疑者の場合は個人の復讐という自分への欲求なので
    「同情できるテロ」ではなく「同情できる犯行もしくは殺人」とするのが
    妥当だと思います。

  • #1

    ねこだるま (木曜日, 21 7月 2022 20:11)

    リンク貼っときます。
    https://www.gosen-dojo.com/blog/36052/