≪ディベート≫ 「ありもしない尊皇心」具体的に誰の何の話しですか、それ?

 

投稿者:グッビオのオオカミさん  

 

欄外のカレーせんべい氏の言葉に腹が立っています。

 

「予定調和、知ったかぶり、ありもしない尊皇心」この「ありもしない尊皇心」とはどういう事でしょう?

 

では、そもそも論として「尊皇心がある」とはどういう状態でしょう?

 

ありもしない尊皇心、具体的に誰の何の話しですか、それ? 

 

 

(管理人カレーせんべいのコメント)  

 

「具体的に誰を指しているのか?」って、それは自分自身を含めた発言者全員に決まっています。

 

 むしろ私の言葉に、反論はともかく、腹を立てて怒る意味が分からない。

 

もし「ありもしない公徳心」と私が言っても、別に怒らないでしょう?

 

これに腹が立てるということは、「尊皇心」を持っていることを自認している証拠だとは思います。

 

しかしそれとて戦前・幕末の人間と比べたら「尊皇心」があるなんて恥ずかしく言えない。

 

なぜなら彼らは実際に命をかけたわけですからね。

 

つまり、自分の中の「尊皇心」そのものを見直そうと意図した言葉に、腹を立てるのはお門違いです。

 

 

反論どうぞ。

 


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コメント: 32
  • #32

    ケンティ (月曜日, 01 8月 2022 09:25)

    わたしもカレーせんべいさんのコメントには、特に違和感なかったですね。

    ありもしない尊皇心だけでなく、予定調和、知ったかぶり、「仮にそうだったとしても」全部一旦棚上げして、誰でも議論に入ってきませんか?という、最大限間口を広げようとするカレーせんべいさんの考えだと思いましたね。

    ディベートだから、相手の人格は尊重すべきですが、あまり言葉の解釈にフォーカスしすぎると、それこそ私みたいにイチからの人は意見書きづらいかなぁ、と感じました。

  • #31

    きたこう (月曜日, 01 8月 2022 08:28)

    グッビオのオオカミさんて、鋭い感性の持ち主だと感じました。ありもしない尊皇心という言葉で、そこまで考えるなんて。本当に様々な人がいて、自分のような浅はかな人間もいてのいろいろな意見に触れられることが、自分がこのサイトにはまっている理由の一つです。自戒をこめて挑発や喧嘩腰にならないようにしたいと思います。

  • #30

    リアル雪男 (月曜日, 01 8月 2022 08:19)

    これディベートですよね。喧嘩じゃなかとですよね。
    もし本気の喧嘩だったら、この程度の些細なことで荒れる所では、私の言いたいことや聞いてみたいことなんて、到底聞ける気がしないなあ…。

  • #29

    のりお (月曜日, 01 8月 2022 07:38)

    私はカレーさんの表現まったく気になりませんでしたが。
    この件は、どんな表現をしても傷つく人とか怒る人がいるけど、そういう人達にどのように対応していくか?という問題だと思います。
    ちなみに私は「ありもしない子供たちへの思いを語るな!」とか「ありもしないやる気を見せて・・・」とか言われても気になりません。そんなに子供たちへの思いがあると思っていませんので。
    ただし、こういう言い方をすると怒る方もいらっしゃるのでしょう。その辺は表現者の難しいところだと思います。

  • #28

    ただし (月曜日, 01 8月 2022 06:46)

    NGワードを作って、表現を自粛させる、空気をこわばらせる、言論を封殺するところは、日本人の悪い面かと存じます。
    議論出来なくなってしまいます。

  • #27

    たけ (月曜日, 01 8月 2022 03:06)

    尊皇心の更に強い表現として、恋闕(れんけつ)というものがありますね。

    将来、もし戦争や内乱に突入したら分かりませんが、今の時代には合わない表現です。

    余談ですが、私がこれまで出会ってきた人の中では、堀辺師範から最も強い尊皇心を感じました。

  • #26

    ひろ (月曜日, 01 8月 2022 02:42)


    たまにコメントさん、元ネタ記載ありがとうございます。これなんの話なの?ってなってました。
     なんか眠れないので私も書いてみます。
    尊皇心がない奴って私ですね。
    当たり前のように存在している皇室について
    自分はこれまでほとんど何も考えてきてなかったです。
     もちろん皇室の方々が国民を想って下さっていることに感謝してますし、尊敬しています。しかし、ただそれだけです。
    その尊敬している気持ちだけで尊皇心があるというのはちょっと図々しいかなと思ってます。
     尊皇心という言葉がすごく重く感じているのかもしれません。これ、言われるとごめんなさいと言うしか無いですね。

  • #25

    平井智也 (月曜日, 01 8月 2022 02:25)

    自分はカレーさんの仰った行、堅苦しいことは抜きにして「なに?なぜ?」を大切にしようと思われて皆に呼びかけた、少しでも多くの人が話に参加できるようにと考えての事だったと、自然に好意的に捉えました。固定観念を捨て自由に考えようと自分は思え、気がラクになりました。

  • #24

    くぁん (月曜日, 01 8月 2022 01:38)

    いつ本題に入るの?
    おーい、ファシリテーター!!

  • #23

    たけ (月曜日, 01 8月 2022 01:21)

    たまにコメントさん、ありがとうございます。
    欄外とは、まさに欄外のコメントだったのですね(汗)

    もう一つ、意見として書かせていただきます。

    私は小林よしのり先生の7/4のブログを読んだ時、先生と全く同じ印象をもちました。
    https://www.gosen-dojo.com/blog/35850/

    『「愛子さまへの希望」のほうが「美智子さまへの仁」
    より感覚的にポピュラーだとわしは思うがどうだろう?』

    もちろん、先生自身もカレーの個性でやってみてほしいと仰っていますし思う存分やっていただきたいとは思うのですが、私は現代において「仁」や「尊皇心」という単語はどうにも胡散臭くてあまり好き好んで使う気にはなれません。

    おそらく、この単語に違和感をもつのは現代では切腹が身近にないからかな?と思います。

  • #22

    グッビオのオオカミ (月曜日, 01 8月 2022 01:11)

    あまり、しつこくは言いませんが、"ありもしない尊皇心" は他人に対し「尊皇心ゼロ」を意味します。
    ゼロには、100を掛けようと、10.000を掛けようとゼロですよ。割ってもゼロです。
    「各自の尊皇心を見直す」は質の良し悪しや量の多寡はともかく、「尊皇心あり」を意味します。
    それは、掛けたり割ったり出来ますね。
    「見直す」と「ありもしない」は有と無の差があります。
    ありもしない「無」は分度器で言う、0°に当たりませんか?そこを出発点にしてどれだけ線を伸ばしても何も生まれない。
    その2つは似ている様で、全然意味が違うとだけ申し上げて置きますよ。

  • #21

    たまにコメント (日曜日, 31 7月 2022 23:34)

    下記のコメントの「尊王心」、誤字でしたね。
    「尊皇心」でした。
    私もちょっと「尊皇心」足りないのかな笑

  • #20

    たまにコメント (日曜日, 31 7月 2022)

    カレーさんのフォローもかねて。
    カレーさん、がんばって!

    ちなみにカレーさんの発言の全文は下記です。
    切り取りによっては結構印象がかわる文なので、全文載せておきますね。

    「どんな疑問を持ってもどんな質問をしてもOKにしましょう!予定調和、知ったかぶり、ありもしない尊皇心 それらはいったん棚上げして、イチからみんなと考えたいです。自由に語ろう!」

    素直に読んだら、「天皇について語るなんて…」と及び腰になっている人への励ましと、
    「君等は天皇のことをどれだけ学んでいるか!?」と玄人ぶる人への牽制だと思えますけどね。
    そういうのを超えて個の連帯を強めようという行間も読んで取れます。

    これに対して「俺には尊王心があるぞ!」となるのは、この牽制に引っかかっちゃったんじゃないかな?

    また、一歩下がった論になりますが、愛子天皇への道に「尊王心」は必要条件だけど、絶対条件ではないはずです。
    仮に、もしお金の力で愛子天皇への道が開かれるなら、目的を達成するようにみんながお金を出し合うんじゃないかなと。
    「尊王心」が絶対条件だと、「お金で買うなんて不敬だ!」となってしまって、目的と手段が入れ替わる危険性もありますし。
    そういう意味で、「愛子天皇への道」の議論の成熟を狙う場で「尊王心」のあるなしにひっかかること自体が、たぶん両者の立つ土台と見ている目的がズレているのかもしれませんね。

    天皇から見れば国民はみんな大きな家族で、
    「尊王心」という言葉でこれだけ荒れるのは、
    なんか親の愛を欲しがる子供のようで、ちょっとおもしろいですね。

    愛子天皇への道という運動へのモチベーションが、親(皇室)への愛の証明なのかな。
    末っ子タイプ?

    話し合いで理論を成熟させようとしているカレーさんは、さしずめ長男タイプかな。

    話は変わりますが、昔、小林よしのり氏の弟子になりたいと思っていたことをふと思い出しました。あわよくば後継者になりたいとも。
    ペンネームを「自称 小林よしのりの後継者」にしたら、すっごい怒られますかね。

  • #19

    たけ (日曜日, 31 7月 2022 22:51)

    私もザッと探してみたのですが見つけられませんでした。

    欄外のカレーさんのコメントとは、どこにあるのでしょうか??

    あまり拘るところではないのかもしれませんが少し気になってしまいます。

  • #18

    くれは (日曜日, 31 7月 2022 22:36)

    戦争論や戦争論2を読んだとき、「この作者は戦争肯定か!?」 とか、「この人、9.11のテロを見て『その手があったか!』と言ってるけどテロ支持の人!?」とか思いましたが、どちらも読み進めばなるほどでした。

    このカレーせんべいさんのコメントがどこにあったのか分からずじまいでしたが、えっ!?と思わせることから考えるきっかけになることもあるでしょう。禅宗の公案みたいな感じでしょうか。

    小林よしのり氏の戦争論、戦争論2も私にとってはそんな驚きから始まり、最終的に考えさせられました。

  • #17

    madoka (日曜日, 31 7月 2022 22:23)

    うん。#15のグッビオさんに完全同意です。
    私も最初文言を見た時、スルーはしたものの、若干の違和感は覚えました。コメントする程じゃなかったにしろ。
    やっぱり言葉のネガティブ性にひっかかったんだな、と気付きました。皇室の議論を鼓舞するのに、そんなネガティブ性いる??と。

    まぁどんな表現をするかは管理人として自由ですし、別に問題ないかもしれませんが。こういう風に議題に上がったので、とりあえずその表現を見て感じた事を書くのも自由かな、と。

    「自分の中の尊皇心そのものを見直そう」と言いたかったなら、そう書いた方が分かりやすかったかもしれないですね。

  • #16

    ツム (日曜日, 31 7月 2022 22:19)

    尊皇心って考えてみると難しい言葉ですね。
    自分は皇室が大事だと思っているし、絶対に無くなってほしくないと思っている。
    でもそれが尊皇心なのか?よくわかりません。
    日本のために必要、つまり自分(たち)のために必要だから、無くなってほしくないということなのかな。
    それははたして尊皇心というのか?
    もしかしたら現代人の自分にはそれは「ありもしない」のかもしれません。

    自分はそういう考察の投げかけとして面白いなあと思いました。本当に自由な場にするには、こういう刺激的な投げかけって大事だと思います。

    こういう場を仕切るカレーさんはやっぱりすごいなあ、と思います。

  • #15

    グッビオのオオカミ (日曜日, 31 7月 2022 21:28)

    カレーせんべいさん、では、返答書きますね。
    「尊皇心」に関しては#7#10でmadokaさんが先に言っているので、大体同じ意見と言っておきましょう。特に付け足す所もありません。
    そして公論サポーターや他のサイトの話は、私は全く知りません。カレーせんべいさんも別にそういう意味ではないだろうと思います。
    変なのは「ありもしない~心」ですよ。
    通常、「ありもしないやる気」と言えば、どういう時に使いますか?
    本当はやる気がないのに、口では「やります、やります」という時にその相手評価する際にこの言い方を使いますね。「あいつはまた(ありもしないやる気)を見せて…」という風に。
    だから本来、前向きな言葉ではありません。
    「(いつもあるある言ってるけど本当は)ありもしない尊皇心」という使い方だと思います。
    自分への内省心なら、よく分かります。
    しかし、その次に「自由に語ろう!!」と来てるので、当然周囲への呼びかけとして使っていますね。
    私はそこに強い違和感と、憂慮を覚えました。
    「尊皇心」だから、歴史上の偉人がどうとか、他のサイトがどうとかになるのでしょう。また「誇り」があるとかないとかという話にもなるのでしょう。
    尊皇心の有無を真心や誠意の問題として「子供たちへの思い」こう言い替えたらどうですか?
    社会的な行動を「意見広告運動」とすればどうですか?
    私が周囲の人間に対しこう書き込んだとしてみましょう
    「ありもしない子供たちへの思い」そして「たけし社長に比べれば」こう言ったとしましょう。
    カレーせんべいさん。あなたは私をどう評価する?
    1000万円出す人もいたでしょう、1000円の人もいたでしょう。
    お金は出せないけど新聞社にメールを送った人もいたでしょう。
    メールを送れなくても、このサイトに書き込む人もいたでしょう。
    中には紙面をポスティングする人、自身で拡散した人もいるでしょう。
    みんな、生活の中で自分の出来る精一杯をしたのでしょう。
    もう一度言いますよ、
    「ありもしない子供たちへの思い」これは他人をバカにした言葉づかいですね?
    「たけし社長に比べれば」自分に対しそう言うのは分かる。しかしそれが他者に対し言う言葉ですか?
    この前の「おどれら正気か」は何だったのですか?
    これから、コロナ禍問題からゴー宣を経て「皇室」に関心を持たれる「新規」の方もいてるでしょう。
    また、小林先生は小規模の地方巡業をしたいと言っておられますね。
    まずは「関心」「興味」を持ってもらう事が大切でしょう。そこから始まります。
    その後、「天皇論シリーズ」に行こうが、「公論サポーター」の方に行こうが、「高森明勅先生の著書」に行こうが、「愛子天皇への道」に行こうが…それは「完成形などない」とカレーせんべいさんが言う様に、私も「正解などない」と申し上げておきましょう。
    私だったら、新入職員に「ありもしないやる気」簡単にそんな評価をする先輩職員にはなりたくないといつも思っているものですから。たとえ初心者で未経験でも、です。
    仕方がないではありませんか。人間には得手不得手がある、物事には段階がある。一足飛びに理解が深まったりはしません。

    「一緒に成長しましょう」でよくないですか?または「皇室への理解を深めていきしょう」とか。

  • #14

    ねこだるま (日曜日, 31 7月 2022 21:25)

    とりあえずグッビオのオオカミさんの反論を待ちましょう。
    仕事でお疲れでしょうから、明日以降になっても問題なしです。

    でもまあ盛り上がりかたには賛否両論あるでしょうが、盛り上がってることに間違いないな。
    コロワク一色だった時代から見るとと隔世の感有り。

    ウクライナが伸びなかったのはアレですけど。

  • #13

    パワーホール (日曜日, 31 7月 2022 21:12)

    尊王心が本当にあるかどうかを考えるのは難しい問題だと思います。

  • #12

    やなちゃん (日曜日, 31 7月 2022 20:42)

    人によって、文章の受けとり方でこんなに違いが出てくるとは。私はスルーできた表現なので、この流れになったこと自体びっくりです。LINEやメールなど文章だけだと誤解が多く、私もとんでもない誤解を招いて怖い思いをした事があるので、自分だけではないんだと、ホッとするような怖いような複雑な気持ちです。

    私としては難しい課題に自らメスを切り込んだカレーさんは、それだけで素晴らしいと思っています。文章や動画からは知識熱意が存分に伝わりますし、いつも大きな励みをいただいています。

    カレーさんは、このサイトでお金を稼ぐプロになったわけではないと思うので、完璧な表現などを求めてしまうのはどうなんだろうと考えさせられました。

    色々な意見があって、お互いの足りないとこを認め合って成長が促されるものだと思っています。ご指摘いただいた方も、それだけ真面目にこの問題に向き合っていたからこそなのだろうとお察しいたします。

    私にとっては言論勝負の難しさ、怖さを知る良き機会になりました。私なら、いくらよしりん先生とお話できる機会あるとしても怖くてできないです。まして実名晒すだなんて、家族もいたら尚更無理です。
    それでも立ち上がってくださったカレーさんに心から大感謝しています。自分に出来ないことを率先してやっていただいている方には最大限の敬意を払いたいです。

  • #11

    きたこう (日曜日, 31 7月 2022 20:26)

    ありもしない尊皇心イコール総合P揶揄というのは自明のことなのですか?その辺のことは疎くてわかりません。とにかくタブーを取り払って議論しようってことなのだろうと思ってました。人はそれぞれだからいろいろあるのですね。

  • #10

    madoka (日曜日, 31 7月 2022 20:17)

    ですから、最初はカレーさん自身に向かって「ありもしない尊皇心」と自虐的に仰ってるんだろうな、と思ってサラッと読んだし別に腹も立ちませんでしたよ。でも、「自信も含めた発信者全員に向かって言っている」と書かれていたので、その中に尊皇心が強い人が含まれているんなら嫌な気持ちになるだろうなと思い、「失礼」と書きました。
    で、さらに自分自身の尊皇心の見直しと最後に仰ってはいても、尊皇心がある人のそれを「昔の人には及ばないだろう?!」と揶揄する、一体どっちなんですか?と思いました。個人的な尊皇心の話しか、他人も含めた尊皇心の話か。

    尊皇心って言葉はやっぱり難しいですよ。私は愛子様のお誕生日動画でものすごく感動しましたし、素直にこの方に天皇になって頂きたい。。。と思ったけど、そんな気持ちじゃだめなんでしょうか?

  • #9

    ボードレール鷲音(仮名) (日曜日, 31 7月 2022 20:11)

    真安せんべい氏曰く、
    「私がありもしない尊皇心と表現をしたら、腹立つだの、失礼だの。尊皇心を誇りにしている人が多いのなら正直驚く。別に特定個人に向けた言葉でもないのに、プライドを傷つけちゃったのかな。」

    反論を求むとしながら、反論された方々に対して、まるで半笑いで「プライド傷つけちゃったかな?」と返すのは挑発以外のなにものでもないでしょう。
    確かに、真安氏は特定個人に向かって、「ありもしない尊皇心」と挑発したのではなく、大嫌いな総合Pが関わっている「愛子さまサイト」を念頭において揶揄したのであり、その揶揄に他の人が反応して怒りの声を上げたことに驚いたのでしょう。
    あのサイトのエセ尊皇心は確かに問題ではありますが、しかし誰に向かって吐いた言葉であろうが、他人を挑発した以上はその言葉に責任を持たなければなりません。
    反論が返ってきたのなら、その一つ一つに返信をするのが礼儀です。
    それが嫌ならばハナから「反論を待つ」などという煽りをするべきではないでしょう。
    どうせまともな対応も出来ずに逃げ出すのが関の山なのですから、真安氏はあまり大口を叩かないことをおすすめします。

    愛子天皇への道について
    https://washiblogact3.seesaa.net/article/490128247.html

  • #8

    ひとかけら (日曜日, 31 7月 2022 20:04)

    愛子さまの誕生日の記者会見を見た時少し心が動きましたが、私は皇室がなければ日本は滅亡する可能性があるという心で双系による皇位継承を望んでます。天皇がなければ内閣総理大臣、最高裁判所長官の任命も出来ず憲法改正も出来ないとなったら独裁者が誕生し国民の事など意に介さないことになったら最悪です。

  • #7

    madoka (日曜日, 31 7月 2022 19:04)

    カレーさんは自分自身に向かって言ってるんだろうなとは思いましたが、その他の人にも向かって言ってるんんだとしたら、それはちょっと失礼じゃないかと感じましたね。
    尊皇心あるかないかとか、その度合いとか、それは他人にとやかく言われる事じゃないんじゃないでしょうか。無きゃ皇室の事語れないわけでもないだろうし。
    昔の人みたく命をかけられないから、皇室を想っていないと言ったら、それこそ皇室の事誰も話せなくなると思いますよ。
    たけさんの仰る通り、最低限「敬愛の念」があればそれで良くないでしょうか。大多数の日本人が持っているであろう、その「敬愛の念」を掘り起こす作業が、今後の皇室存続の議論のキーポイントではないかと思います。

  • #6

    きたこう (日曜日, 31 7月 2022 19:00)

    カレーせんべいさんを卑怯者だと感じことはないです。そんなコメントこそが挑発というものです。

  • #5

    たけ (日曜日, 31 7月 2022 18:44)

    議論と少々ズレているかもしれませんが、「尊皇心」という単語の危険性を感じます。おそらく、この単語に強い拒絶反応を起こすの方も多いのではないでしょうか。私もTwitterで論戦する際、たまに尊皇心を比較されることがありますが、馬鹿馬鹿しい限りです。

    「皇室(天皇)に対する敬愛の念」現代ではこれ位の表現が丁度いいのではないかと思いますけどね。

  • #4

    ねこだるま (日曜日, 31 7月 2022 17:31)

    グッビオのオオカミさんは日曜日もお仕事かあ。
    お疲れ様です。
    待ちきれないので書いちゃいます(笑)。

    皇室問題って「尊皇心」とか「仁」とか「おもいやり」とかの内面の問題で、差別されたり差別したりする危険があるんですよね。
    それが人々が皇室問題を忌避する理由の一つかと。

    この際だから正直に言ってしまいますが、「美智子さまの声なきSOS」の動画を見ても私は心が動きませんでした。少なくとも腰をあげて行動するまでには心は動きませんでした。カレーせんべいさんが涙ながらに(主観)訴える姿には多少動いたんですけど。

    ただし私に「仁」が全くないわけではなく、闇のダディさんの動画
    「アノ意見広告に初の抗議! 2022年1月13日知っといてニュース」
    を見たときは心が動いたし、一生に一度の修学旅行を中止にされ、泣き崩れ号泣する女子高生の動画を見たときも心が動きました。

    カレーせんべいさんは「仁」がない人は軽蔑すると言ってましたが、同時にまた「差別というものはどうしようもなく存在し、してしまうものだ」ということもおっしゃってました。
    つまりカレーせんべいさんは差別を恐れない。
    私は差別されるのも差別するのも結構怖いのですが。
    私は「仁がない」男としてカレーせんべいさんから軽蔑、差別されるかも知れませんが、「カレーせんべいさんになら差別、軽蔑されてもいいな」という気持ちになりましたので書いてみる気になりました。
    「差別、軽蔑されてもいいな」というのはもちろん、見える範囲でのカレーせんべいさんの人格に対する信頼からです。ネットごしのことゆえ「見える範囲」に過ぎないことは重々承知ですが。

    「尊皇心」もそうなんですが「仁」「優しさ」「愛」など内面の問題で人を差別し差別される危険を皇室問題は孕んでいると思います。

    ただ皇統問題に関しては「理」だけでできる。
    「側室なしでは皇統は維持できない」というのは確率統計上の科学的事実ですから。
    「理屈」「理論」「論理」だけで対処できる。
    パズルを解くように「皇統を維持するための最善手段」を探せば良い。

    私としては今のところ「仁」「優しさ」「愛」などの内面の問題を避け、「理」だけで皇統問題に対処するスタンスです。

  • #3

    ボードレール鷲音(仮名) (日曜日, 31 7月 2022 17:30)

    他人を挑発しておいて、特定個人を指して言ったわけではないと逃げ出すとは真安氏は相変わらず卑怯者ですね。
    そんな卑怯な振る舞いをする者がいかなるディベートを出来るというのでしょうか?
    自分の意に沿わない発言を削除するような人にディベートをする資格があるとお思いですか?
    貴方のサイトは貴方の楽園に過ぎず、そんな場所でディベートするのは不可能でしょう。
    貴方は、あなた方がアンチ認定している相手に対して生放送で「YouTubeで直接対決するか?」などと挑発しておりましたが、それならば是非とも公開討論しようじゃありませんか。
    Twitterのスペースでも良いですし、zoomでも舞台はどこでも良いでしょう。
    是非とも直接論理で戦おうじゃないですか!
    真安せんべい氏の返信お待ちしております。

    ゴー宣ファンサイト管理人真安氏へ提案
    https://washiblogact3.seesaa.net/article/490207831.html

  • #2

    グッビオのオオカミ (日曜日, 31 7月 2022 16:44)

    なるほど、だいたい分かりました。
    これは申し訳無い。今から、残業しないといかん。しかし遅くなっても、返答はキッチリ返します。カレーせんべい氏の説明文は、「ある」前提やね。「ありもしない」は国語的に「ない」前提やと思いますけどね。
    ゼロ(有りもしない)と少しでもある、掛け算しても割り算しても、出発点がゼロと有り(1でも0.01でも)は意味が全く違いますけどね。
    仕事終わってからちゃんと書き込みます。

  • #1

    自衛隊年齢落ち (日曜日, 31 7月 2022 15:08)

    特攻については、どう思われますか? 私は確かに小林さんの戦争論を読み、米国と闘い果てた日本人を凄まじいと思いました。しかし、そこについて、素直になれない自分がいる。やはり「堕落論」をもう一度、読み直すべきでしょうか?