≪思想≫ 納得と陰謀論について

 

投稿者:グッビオのオオカミさん 

 

8/6の横浜の公論イベントに参加し、帰宅してから用事があって参加できなかった家内に内容を伝える。

 

篠田先生の親ロシア派の分析と類型を説明した所、

「そうやなあ…まあ、誰でも(納得)を求めるやん。」

「でも自分が知らない事や分からない事では判断出来ヘんから、誰でも自分が知ってる事を寄せ集めて(納得)してるんちゃう?」

との事。

 

案外、そうかもと思いました。

 

論理の納得感、妥当感は案外「自分の理解のレベルにあった納得」になるのでしょう。

 

ウクライナ陰謀論やコロナ怖いも、男系も案外その意味では同じかも、と思いました。

 

 

 

(管理人カレーせんべいのコメント)   

 

「納得ありき」はイデオロギー。

 

「納得を探求し続ける」が思想。

 

だから世界のゴー宣ファンサイトのイメージ画像は「航海」にしています。

 

おそらく、すでに不変的なイデオロギーを持っている人にとっては、用無しホームページだと思います。

 

自分が「納得した」言葉を、誰も聞いてなくても、自分でずっと言ってればよいのだから。

 

 

 

「納得」を探す「思想の旅」を続けたいです。

 

そして「旅は道連れ世は情け」なんつってね♪


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コメント: 5
  • #5

    和ナビィ (火曜日, 09 8月 2022 10:31)

    >「納得」を探す「思想の旅」を続けたいです。
    >そして「旅は道連れ世は情け」なんつってね♪

    「旅」って居付くことなく進んでいくこと、尋ね&訪ねていくことですよね(^-^)b。頷き合える人がいたらなお心強く嬉しく意欲が湧く。

     そうそう、先日のオドレらで、ゴー宣ファンサイトチャンネル動画のデザイン・編集をしておられる大須賀さんにお目にかかりました☆。「動画最後の映像の海原が波打って動いていることに感動しました」とお伝えすると「あれはこちらに向かってくる波の映像なんですよ(^-^)」と仰っていました。---つまり、ゴー宣・思想という船に乗っていて大空のもと、海原を進んでいく景色になるわけです。

  • #4

    希蝶 (月曜日, 08 8月 2022 23:18)

    グッビオのオオカミさん
    少しでしたが、お話しすることができて良かったです。
    あまりいいたとえではないですが、親露派やコロナ恐怖症、男系派の心理は、恋愛では相手に自分の見たいものだけしか見ない、というのと似ているような気がします。自分も親族から、「あなたは意見の同意者しか求めていない」「自分が正しいと思ったら大間違いだ」と言われたことがあります。恐らくそうだったのだろうと反省します。
    人の言うことに耳を傾け、それがどの部分で是であるか、どの箇所で非であるか、考えてゆく努力をしなければならない、と肝に銘じたいです。

  • #3

    殉教@中立派 (月曜日, 08 8月 2022 22:03)

    「納得・理解」「同意・賛成」はそれぞれ違うので、使い分けが必要だろう。
    私も、小林先生の作品を読んで「なるほど、一理あるな(理解)。だが、自分自身の思想とは相性が悪いので、賛同(賛成)は出来ないだろう。」と思う事も多い。その上で、賛成できない理由を、自分の言葉で説明できるようにする。小林先生と意見が合わなくても、こうした思索が刺激になるので、ゴー宣はやめられない・止まらないのである。
     「理解」は、まず「他人にちゃんと説明できること」が条件だろう。情報を「知識」に変えるための、思索の軍事訓練とも言える。また、自分の(今まで積み上げてきた)思想の「欠陥」を知るのにも役立つだろう。何かをアップデートするには、やはり(PDCAよろしく)欠陥を洗い出すのが先だから。
     そうして「知識」を少しづつ増やしていき「理解できる守備範囲」を、地道に広げていくのが良いと思う。

  • #2

    はな丸 (月曜日, 08 8月 2022 21:45)

    人は自分がスンナリ理解や納得できる情報しか見ようとしない、と言いますものね。特にこのネット社会では。

    私も情報の上辺だけみて膝を打ってわかった気になって、あとからよしりん先生やこちらの皆様の意見と違ってて、こっそり転向することがしょっちゅうありますよ(笑)

  • #1

    グッビオのオオカミ (月曜日, 08 8月 2022 19:58)

    カレーせんべいさん、ありがとうございます。
    横浜の公論の感想からの単なる家庭での会話だったのですが、意外と大事な話かな?と思って投稿しました。
    そうなんです。「答えありき」では無いはずなんです。あくまでも「答えを探す」だと思うんです。
    疑問や関心を持つ事が出発点であって、ただその過程は"何でもあり"でも無くて「整合性」と「根拠」が必要ですね。
    カレーせんべいさんの言葉を借りれば、それを「思想する」というのではないかと思いました。
    そう言えば、横浜の公論で篠田先生がすごくいい事を言ってましたね。
    「youtubeを毎日6時間視てるより、少しでも"基本"を押さえた方がいいよ」って。
    これも、そういう事なんでしょうね。