≪考察≫ ナショナリズムとインターナショナリズム

 

投稿者:magomeさん  

 

初めまして、以前はライジングのコメント欄に投稿していたmagomeと申します。

 

 遅ればせながら「第100回、よしりん・もくれんのオドレら正気か?コロナ禍と意見広告運動の総括」の感想を述べさせていただきます。

 

ライブ配信の視聴も含めて2回視聴させていただきました。

全体にわたり、ゴー宣および小林よしのりについて学びなおすことができる大変有意義で貴重なひと時を過ごせました。

特にカレーせんべいの予想外のご活躍は「世界のゴー宣ファンサイト」運営のバイタリティを表していて、「オドレら正気か?」の面白さを更新していました。このような楽しい一時で特に印象に残ったのが「インターナショナリズムとグローバリズム」でした。

 

 個人的主観で申し訳ないのですが、グローバリズムは大航海時代以降の帝国植民地主義の現代版であり、コスモポリタリズムは産業革命の中で誕生したコミュニズムの現代版でどちらも強い言論統制における左翼思想に基づくタコつぼな排他主義が根底にあります。

 

欧米も産業革命以降、日本も明治以降はこの「国際」といえばグローバリズム、あるいはコスモポリタリズムが主流を占め、ナショナリズムやその延長であるインターナショナリズムもこれら強欲資本主義思想もしくは革命思想を補強もしくは不都合を隠ぺいするための便宜上の言葉にすぎず、これまで深入りされることはありませんでした。

 

 しかし、コロナ騒動、ウクライナ侵略戦争、皇室皇位継承問題、統一教会問題で暴露されたグローバリズムおよび左翼思想の現実と完全にかけ離れた実現性のない幻想によって欧米及び日本国内の言論界や大衆をはじめ、常識に基づいた健全な本来の意味である国家感覚(ナショナリズム)、およびその延長である国際感覚(インターナショナリズム)の普及が急務であることが証明されたのだと思います。

 

 小林よしのりやゴー宣道場の師範が批判される著名人と小林よしのりおよび道場師範の決定的な違いはこの常識に基づいたナショナリズム及びインターナショナリズムの有無であって、コロナ脳、安倍マンセー、男系マンセー、ロシア万歳のいずれも共通して帝国資本主義の延長であるグローバリズム、もしくは革命思想の延長であるコスモポリタリズムにすぎず、最終的には排他意識が強くなり思考が停止してタコつぼ状態に陥って終わってしまいます。

 

 これまで、小林よしのりの作品である「民主主義という病い」で直接インターナショナリズムを書いてくれたのをはじめ、「台湾論」玄洋社を取り上げた、「大東亜論」、天皇陛下を取り上げた「天皇論シリーズ」の「昭和天皇論」、そして「戦争論」のいずれも国際外交を取り上げた個所ではインターナショナリズムに基づいて書かれていてナショナリズムおよびインターナショナリズムも例外なく「公」が根底にあるのだと認識させられます。

 

 最後に、インターナショナリズムは一言で表せば孫氏の「彼を知り己を知れば百戦殆からず」の現代版です。

 

「世界のゴー宣ファンサイト」も「世界」を掲げるのであれば国内における健全な「公」の普及、定着のためにも「インターナショナリズム」を本題にした活動及び主張は避けて通れないものと認識しているのですがいかがでしょうか?

 

 ナショナリズム同様、インターナショナリズムが人々の認識から完全に抜け落ちている現在、「世界」を掲げる本HPにこそ、ゴー宣のインターナショナリズムについての所見を書くことが一番ふさわしいと思い、書かせていただきました。もし、不適切ではない場合はもうしわけありません。

 

 慣れぬ文章ゆえに長文になってしまったことは誠に申し訳ありません。

 

「世界のゴー宣ファンサイト」の今後の活動に役立つことができればとおもいます。失礼しました。

 

 

(管理人カレーせんべいのコメント)  

 

インターナショナリズムについては、私もあれからずっと考えていました。

 

小林よしのり先生がおっしゃった「インターナショナリズム」の出発点は「ナショナリズム(愛国心)」だと考えています。

 

私は福沢諭吉の「偏頗心(へんぱしん)」を持ち出しました。

 

それは、たとえばオリンピックは世界中にテレビ中継されていますが、どこの国も、優先的に映し出すのは自国の選手です。

 

そういったいわば「身内びいき」こそが、ナショナリズムの正体だと思います。

 

 

一方、グローバリズムが危険なのは、「国際分業体制」の名のもとに基幹産業を他国に依存することです。

 

たとえば、他国に穀物を輸出している国は、大凶作が発生した時に、わずかに収穫できた穀物を外国に出荷するでしょうか?

 

必ず、自国の民を優先するはずです。

 

自分たちの国の子供たちを優先するはずです。

 

つまりは、そういった「偏頗心」が、自国にも他国にも存在することはどうしようもない自然なことであることを認め合うことがインターナショナリズムの出発点だと私は思いました。

 

 

小林よしのり先生と議論する直前まで、私に欠けていたことは「自国のナショナリズムに気を取られ、他国のナショナリズムを認めることの意義を考えていなかったこと」でしたね。

 

 

(追伸)

 

こういうことは、色々と議論して見ないと気づかないし、理解に到達できないものですね。 

 

よしりん先生と話すと色んなことを知れるので、メッチャお得です♪(^^)/

 

また呼んでくれないかなぁ~(笑)

 

まぁ私のことはともかくとして、

 

色んなゴー宣読者が、小林よしのりと直接議論して欲しい。

 

その様子をちゃんと動画で公開して欲しい!

 

生放送ではなく、収録で編集したっていいし、顔出しがまずいなら背中を向けてもいい。

 

 

多数のゴー宣読者 VS 小林よしのり

 

 

これが「新たな公論を切り拓く道」になると私は確信しています!

 

これは、私は小林よしのり先生に直訴したんだけど、通るかどうかは分からない。

 

「ブルーオーシャン」は

すぐそばにあると私は信じています。

 


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コメント: 5
  • #5

    リカオン (土曜日, 13 8月 2022 00:12)

    自分は学生の時に自然保護に関心を持ち、日本の林業が外材に負けて衰退していくのを残念に思っていたのだが、先日のオドレら正気かで小林先生が、海外から材木が入って来ないのだったら国内の木材を何とかする事を検討すべき旨の発言をされていた。
     そうだ、こういう円安の時こそ、チャンスに変えて国内の産業を盛り返す必要があるのじゃないかとハッとさせられた。
     小林先生はインターナショナルな発言がスッと出る。自分は、学生の時あれだけ関心を持っていたつもりだったのに、小林先生に指摘される迄忘れていたのだ。
     こんな所で差を感じてしまう。

  • #4

    グッビオのオオカミ (金曜日, 12 8月 2022 03:06)

    まずはmagomeさんの問題提起もよく分かります。
    実際、コロナ禍問題だけではなく、ロシア問題、皇統問題…今こそ言論と民主主義が必要な局面は無いと思います。また、ここまでその必要性と危機意識を感じた事も初めてです。
    ナショナリズムがあるからインターナショナリズムがある。自分たちには大事な祖国があるから、相手にも大事な祖国がある。それを互いに尊重しよう。そんな感覚でしょうか。
    国家や国境を無くせば戦争は起きない。
    昔そう言ってた論者が居てた気がしますが、ウクライナ・ロシア間の情勢を見ると、現実に起きてる事は真反対ですね。

  • #3

    殉教@中立派 (木曜日, 11 8月 2022 23:51)

    「多様性」と叫ぶ連中は、いざとなったらそれを認めない者ばかり。まっとうな多様性への道は、インターナショナリズムから始まるのかもしれない。
     (国際社会では)国ごとの尊厳が、ちゃんと守られているか?現実には真逆であり、小国が蹂躙されてばかりだが、(インターナショナリズムの達成基準は)どこまで現実的だろうか。理想論で終わらず、マトモな国際協調を望むなら、諸外国を巻き込んでいく必要があるし・・・。しかも、今の日本は外交主権が無く、自国の事さえも、自分だけじゃ決められない(ついでに、国内に必要な『最低限の変化』さえも達成できていない)。問題山積みで、どこから手を付ければいいのやら。それでも、相手国の長所を認め合う国際社会を目指す方法があるなら、目指した方が望ましいに決まっているが。

    (注)林業の危機については堤未果「日本が売られる」などを参照。

  • #2

    パワーホール (木曜日, 11 8月 2022 22:34)

    多様性という面においてもインターナショナリズムは必要だと思います。安倍ゆかりの長門市出身ですが金子みすゞの「みんな違ってみんないい」は個人だけでなく国家にも言えることではないでしょうか。

  • #1

    モコチ (木曜日, 11 8月 2022 21:11)

    インターナショナルとグローバリズムに関しては反TPP論がオススメですね!
    国際分業体制の危険性がよく理解できます。

    思えば来島常喜が初めて登場したのもこの本だったような。