YouTube「宗教とカルトの違い」の感想文①

 

投稿者:片耳ヘッドホンリモ吉さん

 

非常に参考になりました。

 

宗教とカルト、たった一つの違い。

 

それは、一般社会に受け入れられる価値観を有するか否か。

 

その意味で、キリスト教も仏教も、当初は世間の価値観に反するカルトとして誕生した経緯があるが、時間が経過するにつれ、社会の規範になじむように変質し、またそれぞれの国の風土に土着化するように変容していった。

 

しかし、統一教会は、絶対に一般社会に受け入れられる価値観を持たないゆえに、カルトであると。

 

それにしても、信者たちは現在の逆風を、キリスト教の成り立ちになぞらえて、殉教者のような気持ちで陶酔してるようにも思えるのは厄介なところ。

 

また、最後に触れられていましたが、現代という受難の時代において、深い悩みを抱える人が多いのは事実で、そういう人たちの心に響く真の宗教者が不在なのも事実。

 

宗教の問題の根深さを痛感しました。

 

 

(管理人カレーせんべいのコメント)  

 

動画の感想文、どうもありがとうございます!

 

まさにおっしゃる通り。

 

「普通の宗教」と「カルト集団」の違いは、一般社会と手打ちをしているかどうか。

 

この一般社会というのは「日本という国の風土・歴史」という意味も含まれます。

 

そういう意味では、たとえば創価学会などは、ややはみ出すことがあったとしても、やはり市民社会に溶け込もうとしていると感じます。

 

私は公明党に票を投じたことは一度もありませんが(;^ω^)

 

その一方、統一協会は「初めから日本に対して悪意を持っている」時点で、「普通の宗教」には絶対にならないというわけですね。

 

勉強になります!!

 

 

https://youtu.be/LebOtNzvWtE


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コメント: 6
  • #6

    リアル雪男 (月曜日, 29 8月 2022 09:22)

    もしかしたらこの世に信仰の自由なんか無いのかもしれない。
    その国その地域に根付いた「常識教」だけが、唯一信仰を許された宗教なのかも。

  • #5

    しおちゃん (月曜日, 29 8月 2022 09:15)

    仏教の成り立ちは、子供の頃手塚治虫のブッダを読んで学びました。残酷な描写もあったけど、ストーリーも面白かった印象があります。

    今回の動画で、改めて自分の身の回りの共同体がいかに大切なものなのか改めて実感し、大事にしていきたいと思いました。

  • #4

    かまだ屋らい久 (日曜日, 28 8月 2022 21:26)

    インドのお釈迦様がいらっしゃった頃の仏教が、「カルト」だったかというのは、疑問が残ります。なぜなら、お釈迦さま在世時には、王侯貴族やバラモンや為政者や村の長者等が、自宅に招き、お説教を請うているからです。ですから、最初は過激で反社会的な教えだったが、社会に受け入れられるように変容した、ということではないと思います。インド仏教においては、その初期から、社会に受け入れられていたのではないでしょうか。
    何が言いたいのかというと、私たちも、もっと自分自身の「宗教」について、関心を持つべきだ、ということです。
    自分は、何が正しくて、何に価値を置いて生きるのか、ということも、「宗教」だと思うのです。

  • #3

    パワーホール (日曜日, 28 8月 2022 20:32)

    小林先生の共産主義も宗教だの意見はもっともです。共産主義になれば最終的には働かなくても欲しいものが手に入るなんて明らかに非現実的ですし、ゼロコロナ曰く自分たちが有害と認めた対象に対しては殲滅するという考えはいかにも宗教です。かつ選民思想でもありますよね。

  • #2

    殉教@中立派 (日曜日, 28 8月 2022 19:08)

    本編とはあまり関係ないが、ちょっと考えてみた事がある。

    A氏「人を殺したオウムは、宗教ではない!」B氏「いや、昔のキリスト教・イスラム教は多くの人を殺してきたが、それでも現在は、ちゃんとした宗教だろう。」
    ・・という論争を見た事がある。その時は(意味が)良く分からなかったが、小林先生の解釈だと「現在のキリスト教は、市民社会の秩序と『手打ち』をしているので、通常の宗教に落ち着いた」と言えるのだろう。

    ただ厄介なのが、イスラム国(IS)に対する解釈。連中は「原理主義的な宗教の教え」を守ってはいるが、市民社会との手打ちはしていない(ので、宗教とは言い難い)。そこで「現代の市民社会などゴミだ。俺たちが独立国家、つまり『社会』を形成する側になってやろうぜ!」という考えを取った。自分たちが譲歩できる「社会」が存在しないなら、俺らで作ってしまえというもの。この場合、連中が作った「社会」の範囲ではISの教え=宗教という解釈が成り立つ。だがこれは、統一協会よりも質が悪い発想だと思える。

    統一協会は、むしろ悪質なM&Aに近いだろうか。「会社が欲しいなあ。自分たちで作るのもいいが、既にできている会社を買収した方が、お手軽に入手できるぞ」という発想。協会の場合は「自分たちで『イスラム国』のような共同体を作るより、既に存在する独立国家ニッポンを、俺たちの色に染めてしまえば、半永久的に楽して儲けられるぞ!」というもの。
    ・・・・ああ、どっちも嫌だ。マジで何とかしないといかんわ。

  • #1

    グッビオのオオカミ (土曜日, 27 8月 2022 22:53)

    そうですね。
    まずは宗教も人間と一緒で社会に溶け込めるかどうかが大事な線引きになるでしょう。
    あとは内容です。誰かを犠牲にする教えなのかどうか、根拠と整合性のバランスが取れているのか、どうか。
    だから、一般人を根こそぎ巻き上げる統一協会は極めて悪質で危険な反社会的組織だし、その金で国家の中枢や、海外の政治活動に影響を与えてるとしたら、もはやかつての共産主義以上だとすら思います。
    また、文鮮明氏個人を"メシア"と崇め、性魔術やシャーマニズムと混同する事は、キリスト教神学的にも何の根拠もありません。
    あれはカルトど真ん中です。