投稿者:ねこだるまさん
海外は着々と正常化し、国内でも「風向きが変わってきた」的なニュースがたくさん出るようになりました。
コロナ騒動も終わりが見えてきた感もありますが、まだまだマスク着用率は高く、コロナを本気で怖がっている人も多いようです。
コロナ論の1、2巻辺りで当時の日本の感染者数、死者数が少ない理由の一つとして小林氏は日本の慣習、文化を上げていました。
家に入るとき靴を脱ぐ
食器洗いは必ずゆすぐ(今回ゆすぐのは日本だけと知って驚愕した)
お辞儀はするが、キスハグしない
など。
これらの清潔志向はケガレ思想から来ていると思われますが、小林氏はあえて「ケガレ思想」という言葉を使わなかった。
何故かな? と考えていたのですが、
ケガレ思想を肯定的に言いたくないのと
部落(集落)に差別が飛び火する可能性があるから、と見てました。
流行初期の 2020初頭には多くの人が「お前のせいだ!!」って言いたがっていましたからねぇ。
しかし 2年以上経ってだいぶ状況が変わり、職場で陽性になった人も差別、偏見なく復帰してたりします。
オミクロンの弱毒化で「コロナ=風邪」と認識する人も増えたでしょう。
そろそろ「ケガレ思想」という言葉を出しても問題なく、コロナ騒動終息へ加速することに役立てるかも知れません。
使い方は簡単で「ケガレ思想」というレッテルを貼るのです。
例えば、
「電車に乗るときノーマスクの野郎がいた」
なんちう同僚が職場にいたら
「パイセン、それケガレ思想ちゃいます?」
ってな具合に。
部落(集落)差別は許されておらず、ケガレ思想も 21世紀の文明国家の国民が抱くべき考えではない、ということは少なくとも建前としては社会的なコンセンサスになってる筈です。
「ケガレ思想」という言葉ひとつで部落差別者と地続きにされてしまうのは向こうも「おっ」ときて少なくとも休止符的な効果はあろうかと思います。
うまくすれば、内省、再考に至ってくれれば最高ですね。
うまくすると部落差別も後退させることができる可能性もあるな、とすら考えています。
「過剰感染対策」と「部落差別」をケガレ思想でいっしょくたに否定しているわけですから。
私はレッテル貼りはキライな方で、論破のうまい人がレッテル貼りしてマウント取ってたりするのはむしろ軽蔑してますが、「マ族」「反正常化」に関してはあえて積極的にレッテル貼りするようにしてます。闘争の手段として。
(管理人カレーせんべいのコメント)
うーーーーーん。頭が悪い私には、何回読んでも難解でした(←ダジャレです)
いや確かに。コロナ感染対策そのものが「エンガチョ」ですから、それは「ケガレ思想」の一端とは言えますね。
ただそのレッテル貼り作戦、本当にうまくいくのかな?
「本気」でやる価値があるのでしょうか?
今の私には「理論と実感が紐付かず、ビジョンとして見えてこない」です。
うーーーむ。真剣に考えましたが、ちょっとギブアップ。
コメント欄の皆様の意見を読んだ上で判断します。
【以下蛇足。】
日本人の「清潔志向」と「ケガレ思想」は『禊』などで繋がっている部分があるかもしれませんが、
実は私は、ケガレ思想がメチャクチャ嫌いなんですよ~~。
ゴー宣も「差別論スペシャル」から入りましたね。
文字通り血液が逆流して、自分でも何をしでかすか分からないほど、ケガレ思想が嫌いです。
もちろん、私の中にも無意識のケガレ思想が有るんですけどね。そんな自分も含めて大嫌いです。
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おてんば (木曜日, 27 10月 2022 22:36)
皆さん
私も、自分とは違う視点と、分かりやすい文面が、大変勉強になりました。
ねこだるまさん
アイデアをご提案いただき、ありがとうございました。私も議論に使えそうな言い回しを考えます。
またのアイデアがありましたら、共有させていただけると助かります。賛否両論を議論できる世の中にしたいですね。
ねこだるま (木曜日, 27 10月 2022 19:25)
はな丸さん:
おてんばさん:
mantokunさん:
レスありがとうございます。
意図としては、元投稿にあるように休止符的意味合いです。
マスク、ワクチンなどの感染対策をしない人達をなんの疑問もなく差別する人に対して、「ケガレ思想」という言葉のクサビを打ち込むことによって、ストップをかけたい。できれば自己の行為を相対化、再考していただけるきっかけになればよしという意図でした。
御三方には正確に理解してもらえたものと思っています。
しかしその効果については相当疑問符がついたようで(苦笑)。
私も盲点というか、ゴー宣界隈にいると「ケガレ思想」なんて言葉、自明のものとして受け入れている筈だな、と思ってしまったところがあります。
しかしケガレ思想や差別論がマンガ化されたのは旧ゴー宣の時代で、新しい世代の人にはすでに知られていないかもしれませんね。
ましてや一般世間への浸透度は低く、レッテル貼りをしたところで「へ?」としか思われないかも知れません。
無意識に、感染対策強化を当然のことして差別してくる人たちにレッテル貼りがどれだけ効果をもたらすのか? ということに関しても相当疑問が提出されていますね。
実験してみたい気持ちはありますが(笑)。
私としてはおてんばさんの指摘を得て #8 に書いたようなことに気がついてしまいましたので、「「ケガレ思想」という言葉でレッテル貼りをしよう」に関してば撤回、取り下げということでこの議題はクローズしたいと思います。
おそまつでしたが、考えされられること大でした。
ありがとうございました > 御三方
おてんば (木曜日, 27 10月 2022 10:57)
訂正です。
「非差別部落」ではなく、正しくは、「被差別部落」でした。
#8 ねこだるまさん
私の駄文をお読みいただき、ご理解いただき、ありがとうございます。
差別心について、捕捉です。
私の考えですが、論破やレッテル貼りによる仕返しは、自分自身や、大切な人が日常の中でいわれの無いレッテルを貼られ差別を受けた時に、差別は受け取るもんかと、差別者に直接、断固抗議する場合には必要だと思います。
自分とは直接関わりのない、世間の差別は、多数派の人達や、権威のある人が言ってるからお前は低レベルで穢らわしい迷惑な存在なんだと、深く考えず、悪気もなく決めつけています。
根本的な解決策は、そんなレッテル貼りする人には、気づきの経験が必要で、被差別部落の人との触れ合いの中で、自分も、被差別部落の人も、同じ人間だと実感するしかないと思います。
また、差別者に対する自己肯定感を高める教育も有意義だと思います。自力で運命を切り開いた時に褒めてあげ、自律心を養えば、弱い者を虐める必要はなくなります。
ヨーロッパだったか?フランス大統領?が不倫して糾弾された時に、「は?だから何?」と言い返したそうですが、世間の差別者には、その程度にして、自分で気づかせてあげれば良いと思います。
差別者とは、単に自分で考えるのが面倒で、批判されるのが怖いだけの臆病者なので、一般人からの批判込みの論破は、聞くに耐えないことでしょう。
だからこそ、簡単に有利な立場に立てる差別という卑怯な手段を使うので、保身のためにますます差別心を増大させる結果に終わりそうです。
ねこだるま (木曜日, 27 10月 2022 08:16)
またもや取り急ぎ。
おてんばさん:#5
>また、非差別部落の人と同じ括りにするのは、非差別部落の人をまた貶めてしまうことになりませんか?
いや逆に過剰感染対策する人と部落差別をする人を一括りにすることによって気がついてもらいたいんだよ、と言いたかったんですが、確かに(コロナに限らず)感染者と部落にお住まいの方を同一視されちゃう危険もあることに気がつきました。
終わりかけているコロナ茶番を終息させるのに、部落(集落)にお住まいの方に差別される危険を負わせるわけには行かず、またこれこそが小林氏が部落差別に対する深い洞察を持ちながら、ケガレ思想という言葉を使用しなかった理由ですね。
オミクロンの弱毒化で感染者に対する偏見も和らいだとは言え、ゼロにはなっていず、本気でコロナを怖がっている人もおり、その人たちの差別心を部落にお住まいの方に向けさせるわけには行きません。
重要なことに気づかせていただきました。
おてんばさんありがとうございます。
また部落にお住まいの方で、ご不快感じたにはお詫びします。
申し訳ありませんでした。
差別語に関しては言いたいことがあるのでもう少し続けますが、
「ケガレ思想という言葉でレッテル貼りをしよう」
に関してば撤回、取り下げます。
ねこだるま (木曜日, 27 10月 2022 06:38)
う~ん、評判が悪い(苦笑)
出勤前なので個々の皆さんへのレスは帰宅後じっくりするとして、取り急ぎレッテル貼りについて。
私はレッテル貼りというものを全面肯定も全面否定もしていません。
twitter などで議論の強いひと、論破のウマい人をみかけたりしますが、そーいう人がやってるのってレッテル貼りとマウントなんですよね(全員とは言わない)。レッテル貼りに成功し、マウントを取った者が議論に勝つというゲームですね。
そういうのが見世物、芸、エンターテイメントとして面白いのはわかる。
でもハタで見ていて尊敬できたもんではないし、憧れもしない。むしろ「ああはなりたくない」という思いの方が強いです。
というわけで「論破祭り」なんてのにも積極参加する気になれません。
ちなみにレッテル貼りによるマウントがウマいのは論破王ことひろゆき氏がまさにそうだし、小林よしのり氏もよくやっていますよね。最近では三浦瑠璃氏に対する「猿の惑星」なんてありました。
小林氏とひろゆき氏の違いというのは弱者に対する同情、共感と怒りがあるかどうかではないかと見ています。
私はひろゆき氏あまり興味がないので積極的に見に行くということはしていませんが、弱者に対する同情と怒りが見えて来たら注視しようかな、と思ってます。
あと「煽り坂48」なんてレッテル貼りマウントの最たるものですよね。
「復讐」というネガティブワードが出ていたので私は参加しませんでしたが。
つまり、ゴー宣読者というかファンはレッテル貼りを全面否定はできないし、する必要もないと思ってます。芸としては面白いことは認めてますし。
ただレッテル貼りに関しては崇高なというか思想的な意味は見いだせそうもないですね。いまのところ。
戦術的、戦略的に有効かどうかが争点になってくると思います。
mantokun (木曜日, 27 10月 2022 01:11)
いつまでも偏執狂的にコロナを恐れる日本人の心性には、部落差別の根底にもある「ケガレ」思想があるのでは?と発信することで、コロナ脳の人々が「あっ、そうか!自分はそんな差別心を発揮していたのか!」と気づき、この無駄無意味有害な感染症対策の数々を止めようとするきっかけになるのではないか、ということだと理解しました。
そうであってくれればいいのですが、そんな理性的かつ人道的な思考ができるようであれば、とっくに日本人の多数がマスクを外しているのではないかな…と思います(涙)
とはいえ、ねこだるまさんのお気持ちはよく分かります。非科学かつ不衛生かつ苦痛なだけの感染症対策=コロナ仕草を、何やら崇高なものでもあるかのように、あるいは単なる惰性で、いつまでもいつまでも受け入れてる日本人の感性と頭の中はどうなってるのかと、3年弱の間毎日怒り、嘆き、ため息をついていますから。
コロナ脳の人々は、まず、手洗いやうがい、室内では靴を脱ぐなどの風習は単なる日本人の清潔好きから来ているとしか思ってないでしょう。(その割に、使用済みマスクを延々と再利用している人がいたり、そもそも一日中マスク付けっぱなしで運動までしていたり、手もろくに洗わず消毒液スリスリしてるだけだったり、本当に日本人が清潔好きなのか疑わしくなってきましたが)
コロナを過剰に恐れ、ノーマスクの人を忌み嫌うことがケガレ思想とも繋がっていると言われても、そもそもケガレって何?というレベルで、大半の人は理解できないのではないかと。
また、はな丸様がおっしゃるように、コロナ脳&感染症対策絶対善に凝り固まっている連中は、ノーマスクノーワクチン派の人々のことを「自ら進んで勝手に世間のルールに反しているだけのけしからん奴」と思っているので、ケガレ思想を持ち出した場合、被差別部落の人々の苦しみを軽く扱っているとして、逆に「反ワク反マスクはやっぱり非常識な奴らだ」というレッテルをさらに貼られる可能性が大ではないかと思います。
日本人の清潔好きはケガレ思想と表裏一体の面がある、とは確かに言えると思います。
しかし、コロナ感染症対策の有害無益さを説くには小林先生がコロナ論シリーズで一貫して描かれた、「科学的なデータに基づき分析すれば、日本人はコロナで死んでいないし、コロナの毒性はインフルエンザ以下であり、過剰な感染対策は逆効果でしかない」ことを全面に押し出すのが、やはり一番有効なのではないでしょうか。
おてんば (水曜日, 26 10月 2022 21:33)
レッテル貼りをする人に、レッテル貼りで返しても、逆効果で、平行線のままだと思います。それをすると、レッテル貼りを肯定することになりませんか?
レッテル貼りをしてくる人の心理は、周りに合わせていれば楽で、自分には向上心が無く、自分の頭で考えず努力せず、レッテルを貼った人を貶めて、自分と比べ、自分は格の高い人間だと安心していたい愚か者です。
本来なら、人と比べて格の高い人間になりたければ努力して自分を磨けば良いのに、そういうリスクを伴う挑戦ができない、小心者です。
レッテル貼りをしてくる人は、生来自信が無く、現実から目を背けたい人なので、科学的根拠や、理屈は聞きたくないため、たいてい、議論は成立しません。
レッテル貼りをしてくる人と折り合いをつけるには、自信を持たせてあげることだと思います。
日本人は、自信がない人が多いから、多数派の中で安心して安全地帯にいたいのでしょう。
マスクを着用し続けるのも、上記の心理が働いているからだと思います。
そのため、「マ族」と差別用語を使うと、ますます溝が深まるはずです。
また、非差別部落の人と同じ括りにするのは、非差別部落の人をまた貶めてしまうことになりませんか?
私達少数派は、取り敢えずマスク着用、感染対策徹底のふりをすれば、取り敢えずは差別を回避できますが、非差別部落の人は、先祖代々、生まれながら一生、子孫まで、努力の有無は関係なく差別を受ける逃れられない宿命で、悲惨さが比べ物にならないため、非差別部落の人が嫌がると思います。
私達はコロナ問題も、非差別部落問題も、それぞれの科学的根拠を思いやりを持って分かりやすく話し、それでも理解していただけなければ、それはレッテル貼りをする人本人の問題なので諦めるしかないと思います。
私達ができることは、次世代の子供をしっかり教育することしかないのでは?
はな丸 (水曜日, 26 10月 2022 21:12)
誰しも無意識のケガレ思想はあるにせよ、この現代においては部落その他の出自、人種や国籍、また性別など「本人の努力や意識では変えられないもの」に対する差別はいけないという意識はおそらく大半の日本人は持っていると思われます。
いっぽう、マスクしない人もワクチン打たない人も、自ら進んで勝手に世間のルールに反しているだけのけしからん奴だというイメージが依然として支配的かと思います。
よって、「(私達からすれば過剰な)感染対策に与しない人を差別する」ことは多くの人々にとって(残念ながら)当たり前の、確信的な行為であります。
その行為にケガレ思想のレッテルを貼ることの意味が相手に理解されるとは到底考えにくく、自発的な気付き、内省、再考を促すことなど絶望的であろうと思います。
結果、私達のような少数派(?)がささやかな溜飲を下げるだけ、あるいは徒労感を残すだけに終わるだろうと予想しますが、いかがでしょうか。
しかし、レッテル貼りたくなるお気持ちは、大変よく分かります。
ねこだるま (水曜日, 26 10月 2022 17:59)
パワーホールさん:#2
>日本には穢れ思想もありますが自然を大切にするという価値観も存在します。ねこだるまさんも「手のひらを太陽」にで指摘されていますよね。
私も言った覚えがあるのですが、サイト内検索機能でもまだ見つかってません。
おそらく掲示板の下の方、「全てを表示」を押して見えるところにあるのでしょう。
パワーホール (火曜日, 25 10月 2022 22:39)
コロナ騒動では小林先生も指摘している通り同調圧力も問題になりましたね。私はこちらも日本からなくすことはできないかを模索していった方がいいと考えています。
日本には穢れ思想もありますが自然を大切にするという価値観も存在します。ねこだるまさんも「手のひらを太陽」にで指摘されていますよね。ウイルスも自然の一部なのだから病原性の程度を加味しつつ以下に上手く一緒に生きていくかを考えるのが日本人らしいのではないでしょうか。ワクチンやマスクなんて日本人らしくない。
ねこだるま (火曜日, 25 10月 2022 22:23)
まず採用ありがとうございます > カレーせんべいさん
難解に感じられたのは私の文章がヘタだからと思われます(苦笑)
あと抽象思考が好きなので、プラトニックになるあまり現実から遊離した表現になってないか、ちょっと心配です。
でもまぁ2年半振り返ってみると「コロナとは観念のやまい」だとつくづく思います。
要するに幻想ってことですが。
まぁそんなに気合入れてやるものでなく、ちょっとした味付け、アクセントとして使うくらいが関の山かも知れません(弱気)
おもいつきとしては部落差別と一緒くたにすることによって部落差別後退につなげられそうに思ったので、一粒で2度おいしいと言う感じで投稿してみました。