≪思想≫ 財政破綻の夕張市、自宅で「老衰」を迎えられる人が増えた

 

投稿者:はな丸さん

  

プレジデントオンライン

自宅で「老衰」を迎えられる人が増えた…財政破綻の夕張市で予想外に起きた「医療の敗北」を報告する

https://news.yahoo.co.jp/articles/287245643f415a2671dfe63d978db42b03889bc7

 

 

≪記事要旨≫

 

・2007年に夕張市は財政破綻し、市立総合病院は閉院を余儀なくされた。以降、市が提供できるのは「町のお医者さん」的医療のみとなった

 

・それにより死亡率は上がると予想されたが、ほぼ変わらず、死者数も横ばいであった

 

・死因2位のがんは前後で大きな変化がなく、死因1位の心疾患と3位の肺炎は逆に下がっていた

 

・実は「老衰」による死亡が急増していた(病院閉鎖前は、ほぼゼロであった)

 

・病院医療、専門医療では、老衰はほぼ「敗北」を意味する

 

・長い時間を共有して、ご本人やご家族との信頼関係を築いた医師でないと、なかなか「老衰」という診断はできない

 

・病院の閉鎖によって、従来なら心疾患や肺炎と病名が付けられていたケースも素直に「老衰」と診断できる医療に変わった。すなわち「治すことを目指す医療」から「生活を支える医療」にシフトしたと考えられる

 

・「家にいたい」という患者のニーズに合わせ、フレキシブルに体制を整えたことで、訪問診療の数が大きく増えた。また救急車の出動件数もほぼ半分に減った

 

・こうした現象が起きたのは、日本ではおそらく夕張が初めてと思われる

 

 

私も医療者の端くれなのですが、コロナ禍といわれる現象が発生して以来、医療とは何か、人としての尊厳にどう折り合いをつけるのか、日々考えさせられることが多くなりました

 

(思索を深めるよすがとなった意味では、コロナも悪いことばかりではなかったかもしれませんが)。

 

救急搬送された80、90代の高齢者に、機械的に救命・蘇生処置を施す医療って、何なのでしょうね?

 

しかもコロナ禍という名目で、いったん病院に入ったが最後、家族との面会も許されない。今際に至っても・・・

 

病気は治すもの。治せなければ敗北。

 

1秒でも生き永らえさせるのが正義。

 

生命至上主義、治療至上主義の成れの果てが、このコロナ人災なのでしょうね。

 

夕張市が「医療崩壊」によって、医療本来の姿を取り戻したと思われるのは、大いなる皮肉です。

 

本当に大きな教訓を示唆していると思います。

 

 

(管理人カレーせんべいのコメント)  

 

記事だけでなく、はな丸さんの投稿に考えさせられました。

 

私の父は2年前、自宅で死にました。79歳。

 

死因は肺がん。抗がん剤などの治療を4年ほどやっていましたが、ひどく苦しむこともなく、「食欲が無いわ」「いや、栄養取るためにご飯食べなアカンで」の繰り返しの生活の中で、穏やかに死にました。

 

 

ご飯食べなくなって、老衰で死んだという感じ。

 

それは病院で死ぬより、はるかに良い死に方だと、私個人は感じました。

 

 

はな丸さんが問題提起された「病気は治すもの。治せなければ敗北。1秒でも生き永らえさせるのが正義。」と思い込んでいる社会こそが「病気」・・・、とまでは言いませんが「不健全な傾向」は感じます。

 

私も、人に迷惑をかけない形で、穏やかな餓死で死にたいです。

 


↓(スポンサーリンク)↓



コメント: 16
  • #16

    大阪の一会社員 (月曜日, 12 12月 2022 18:00)

    #15勤務医一筋様
    ご教授いただき、誠にありがとうございます。
    なるほど、マトモで理性的な方ならその様なご対応をされるのですね。
    やはり、新型コロナ対応は、異常の極みですね。

  • #15

    勤務医一筋 (月曜日, 12 12月 2022 16:57)

    私共の病院では、入院時に必ず、急変時は延命治療について、
    1: 自然の看取り
    2: 末梢点滴のみで、末梢の血管確保が困難になったら、自然の看取り
    3: 中心静脈栄養
    4: 経鼻胃管
    5: 胃瘻
    6: 挿管してレスピレーター装着
    本人は認知症の為、ご家族が選択されます。2が多いですね。私はそれまでの闘病状態を鑑みて、1をお勧めする事が多いです。

  • #14

    あしたのジョージ (日曜日, 11 12月 2022 11:09)

    私の母は、2回目の脳出血で鼻にチューブを入れられて、喉は、気管切開されて、その状態で4年ぐらい生きました。それが当たり前なのかと思ってしまって病院の言うなすがままでした。後から思えばずいぶん虐待のようなひどい事をしたかなと思いました。母以外の同居していた父と父の実姉2人も、病院で亡くなりましたが、母ほどは、悪くなかったと思いたいです。昔は医療体制も整っていなかった事もあり、自宅で亡くなる方が多かったと思いますが、今は、圧倒的に病院で亡くなる事の方が多いと思います。でも自宅で静かに最後を迎えたい人達も多いと思います。私も出来たらそうしたいです。

  • #13

    大阪の一会社員 (日曜日, 11 12月 2022 11:02)

    少なくとも、患者側の意思で選択できる様にするべきですね。
    コロナ論3の第14章「コロナ医療の末期に疑問」のP246〜247で触れられていた「医師が患者の意思を平然と無視し、重症化したら勝手に人工呼吸器をつなぐと決める」という事はあってはならない!
    医療業界不振になった私は、そうした方が診療報酬の点数が稼げる、という善意を被った下心があるのではという疑念さえ浮かぶ。
    胃ろう、という処置も保険点数が下がると、以前程は進められなくなった、という話も聞いた事があります。
    医療関係者の方がもしご覧になられて、イヤ、違うよ!とかあれば、是非ともご意見下さい。
    意見が無いなら、そういう事やねんな、と思います。

  • #12

    はな丸 (日曜日, 11 12月 2022 09:33)

    カレーせんべいさま
    掲載ありがとうございます。
    また皆様、コメントありがとうございます。

    出来れば自宅で、いや病院であっても、できるだけ自然な死を迎える・・・ただそれだけのことが現状、いかに難しいかと思わされます。歪な社会に成り果てたものですが、つまるところ、一人ひとりの死生観というか意識が変わるしかないのでしょうね。

    そもそもがぁ~(よしりん風)、国民全員の死生観がマトモだったら、たぶんコロナ人災はとっくの昔に終わってる・・・いや、最初から起きてないかも(笑)

    #4 マスクoffゾロ(おおみや)さま
    ありがとうございます。微力ながらがんばります。
    世間には「こないにたいそいこと、いつまでしとるんや、早うらとやめんかいや、だらぶち」と言いたいです。

  • #11

    リカオン (日曜日, 11 12月 2022 08:35)

    はな丸様、お隣の県で医療を支えておられるのですね。ありがとうございます。

    私の母は誤嚥性肺炎で老人保健施設に入退院を繰り返していました。この施設はチューブに繋げるような延命措置はしないという方針だったのですが、その判断が良いのか悪いのか入所する時は迷いました。

    コロナが日本中蔓延する直前、親戚を呼び最後のお別れをしてもらいました。その数日後危篤状態になり、手を握ったまま穏やかな最後を看取ることができました。

    以前スウェーデンの老人と死生観についてのネット記事を読んだ時、終末医療で延命措置をしないのがスウェーデンの考え方だと紹介されていました。
    母が受けた終末医療はスウェーデンの考え方に近かったのと、その最後が穏やかであったのを経験して、私も延命治療は必ずしも善ではないのだと考えが変わりました。

  • #10

    しおちゃん (日曜日, 11 12月 2022 06:53)

    病院経営健全化のために、患者数.検査数の増加を促進させる上層部。また地域医療活性化の名目で紹介率.逆紹介率を常に意識しなければならない状況。全て経営、経営、経営。
    当たり前なのですが、当院の公立病院とて会議内容はつまるところ経営健全化。

    一方で緊急自体宣言の初回あたりでは、診療.緊急.必要とされるオペ(必要だからオペするんじゃないの?)以外の受け入れ制限等で日常業務に大分余裕が出来、医療提供の質が上がった現場。(画像診断部においては、丁寧に1人1人のカルテを参照しながら考察出来、見落としも減ると某診断医が語っていました。また、無駄な経過観察が多すぎるとも)

    このコロナ禍で、浮き彫りになった様々な日本の医療体制の膿を治療して欲しいです。

  • #9

    パワーホール (土曜日, 10 12月 2022 23:58)

    夕張市に関しては森田洋之先生の書籍にも書かれていますよね。

  • #8

    トラ (土曜日, 10 12月 2022 21:26)

    CANONの医療ソリューションCMで医師の人口比率が世界で一番低い国 日本というのが有ります。
    それ聞いた時、じゃあ単純に増やせばいいやんと思ってしまいました。
    医師会がコロナで医療の逼迫とか言うなら、増やすのが素直な政策なのではと
    然しながら はな丸さんのお話を伺うと、増やすと治療する必要がない病気が増えるリスクがあるとの気付きを得られました。
    弁護士が多いアメリカが訴訟社会になったように。

  • #7

    晃明 (土曜日, 10 12月 2022 21:18)

    近所に住むワクチン接種歴なしの90代一人暮らしの男性は自宅で倒れ、たまたま近所の人に発見され病院に搬送されたのですが、本人の同意なしにワクチンを勝手に打たれ数時間後に息を引き取りました。
    今の時代に迂闊に病院なんか行ったら何されるかわかったもんじゃないです。
    なので、家族の理解があれば自宅で死にたいです。

  • #6

    K (土曜日, 10 12月 2022 20:20)

    対して健康観察すればするほど病人が増えた「久山町の悲劇」を知れば医療なんて金儲けの道具で医者は詐欺師の類で信用するに値しない連中だとよくわかりまっせ。

  • #5

    さらうどん (土曜日, 10 12月 2022 19:44)

    自宅で御父様を看取ることが出来たって良いですね。
    私の父は病院で亡くなりました。
    祖父母も最後は病院でした。
    「看取る」にしても、それを出来る家族があってこそかなと思います。

  • #4

    マスクOFFゾロ(おおみや) (土曜日, 10 12月 2022 18:59)

    はな丸様、故郷の医療を支えて頂きありがとうございます。
    うちのケースを2つばかり。
    能登の実家の祖母は87で亡くなる3か月前に父に「どうしても孫3人に今すぐ会いたい」と懇願し父が理由をいくら尋ねても答えず。仕方なく実家に向かうと「これで葬式用の服を買っておきなさい」とお金を渡されて…買ってきて見せて帰りました。病気もせず実家でそれなりに元気に齢を重ねておりましたがその3か月後「たいそい・・・たいそい・・・(能登方言で 苦しい、きつい)」と数分訴えた後両親に看取られた形でそのまま旅立ちました。畑の花を育てるのが好きな普通のばあちゃんでしたが(なんと凄い最期なのか)と身内ながらも感嘆している自分が。あの地域ですので真宗に帰依しており「わしはいつ死んでもいいがやぞ」と常々言ってはいました。
    もう一つは妻の父親。私の結婚式を能登でやることになり準備で忙しくなった頃に進行の速い肺がんが。転移も早く式の直前には入院したままあまりにも無念なドクターストップ。後ろ髪を引かれながら式を挙行、その時間帯に義父は看護師に「近づかないでくれ」と祈りを捧げていたとのこと。当時は通信技術も未発達でした。式のDVDは2週間かかると言われていたところを「そこを何とか急いでお願いします!」と懇願し1週間で義父の枕元に届けて見せる事が叶い翌日には義父の視界はがんによって閉ざされその2日後には齢64で旅立ちました。
    片付けの苦手な妻ですが震災の後には揺れで乱れた部屋で真っ先に「亡くなる4か月前にその義父と千里浜海岸で撮った家族写真」を直していました。

    はな丸様、石川を支える医療者・思索者・父親としてこれからもこちらのサイトでみかける同志として応援してますよ~

  • #3

    平井 智也 (土曜日, 10 12月 2022 18:50)

    夕張市は財政破綻による再建で住民サービスが低下し不便を強いられている一方、図らずも老人が人間らしい死に方を取り戻せたのですね。
    日本人は死生観を捉え直す機会にきているのかもしれませんね。いいところは外国にも学びたい。

  • #2

    mister_ (土曜日, 10 12月 2022 18:44)

    コロナ騒動では、死の商人のような医者やら専門家ばかり目立ちましたが、有志医師の会の方々とかはな丸さんのような医療関係者もいらっしゃることもわかって、まだまだ日本にも希望があると思います。

    何年か前、私個人の趣味の場で、地方の病院に勤めている医師が、普段の診療では老人の薬の処方ばかりが多いことを自嘲気味に話していたことを思い出しました。それから、もう2年ほど前になりますかね、ゴー宣道場に木村もりよさんが参加されたとき「病院に連れてきたにに何で死んだんですか!?と医者に詰め寄る遺族」の話されたことも思い出しました。
    医療関係者だけでなく、患者側も、ひいては我々みんなの死生観は…等ということを考えさせられますね。

  • #1

    茶呑みじじい (土曜日, 10 12月 2022 18:30)

    カレーせんべいさんの父上は、いい最期を過ごせましたね。
    私は両親とも病院で亡くなりましたが、後悔が残ります。
    父親は食欲もなくなり、自分の死期が近いことを悟り、自宅療養を強く望みましたが、無理やり病院に連れていってしまいました。父親の最後の数カ月は、さぞかし苦痛だったと思います。
    コロナ騒動によって、延命最優先の医療の問題が浮き彫りになりましたが、コロナ論にも登場した萬田緑平さんのがん患者の終末医療に関する本は大変参考になりました。