カネミ油症、次世代が抱く恐怖と差別

 

投稿者:まよせんさん

 

「産んで欲しくなかった」次世代が抱く恐怖と差別 “黒い赤ちゃん”として生まれた子どもたち

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/nbc/195922

 

カネミ油症事件は薬害ではありませんが、何十年経っても被害者、そしての子や孫に暗い影を落としています。

 

私はコロナワクチンのことが頭に浮かびました。

 

子や孫に悪影響が出てしまったとき、「あの時はコロナやワクチンの危険性が分からなかったから仕方なかった」の一言で済まされることはないでしょう。

 

そのとき、ワクチン打て打てと圧力をかけた有名無名の人々はどうするのでしょうか。

 

 

 

(管理人カレーせんべいのコメント)  

 

1968年。

 

食用油にPCB・ダイオキシン類が混入した事で深刻な被害を引き起こした「カネミ油症事件」。

 

摂取した当人の「健康被害」はもちろんのことですが、赤ちゃんへの影響もあり、

 

世代を超えた「差別」や「家族分断」まで引き起こしました・・・。

 

日本人が共有するべき悲劇の歴史です。

 

 

そして現代。

 

「コロナワクチン」に対して、その安全性に重大な疑念があることは、私たちは、当ホームページでも発信し続けています。

 

せめて次世代を担う子供たちと若者たちだけでも守らなければ。


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コメント: 5
  • #5

    グッビオのオオカミ (木曜日, 15 12月 2022 22:14)

    去年だったか、ワクチン後遺症関連の話で長尾和宏医師がコロナチャンネルで、ジョニーデップ主演の映画「MINAMATA」を紹介してたのを思い出しました。
    公式サイト
    https://longride.jp/minamata/
    大企業の論理と目的のために、ひたすら犠牲にされる水俣の住民達。
    公害と差別と報道規制とジャーナリズムについて考えさせられた作品でした。
    今やっと、ワクチン遺族会やワクチン後遺症患者会などが発足し始めましたが、次世代の影響はまだまだこれからの課題でしょう。
    生理の異常などが聞かれますが、この問題も考えたら恐ろしい問題に発展しそうです。

  • #4

    とっとちゃん (水曜日, 14 12月 2022 16:38)

    子供に影響を与える可能性もあるのですね
     やっぱり親は健常者を産みたいし、本人も障害や病気をもって産まれたくないですよね。
     今回の惑珍の子供への接種は減らさなければならないけど、世の中にはダウン症やASDなど遺伝か環境因子か分かってない障害児もいるわけで、仮に薬害で病気か障害を持った子供が産まれたとしても人間として生きれる仕組み作って欲しいなとは個人的に思ってます。
     なんて書いたけど日本人の生産性低い人に厳しい民族性だと難しいか。
     あ、障害児認定されれば無理して働かなくても毎月6万円の障害基礎年金を国から貰えるボーナスはあるのか。

  • #3

    ごま太郎 (火曜日, 13 12月 2022 23:06)

    >『一度、体内に入ったダイオキシンは一生かけても排出されない』

    ゾッとしました。

  • #2

    やなちゃん (火曜日, 13 12月 2022 22:15)

    ずっと子どもへの心配や葛藤を抱えてきた辛さが伝わりました。カネミ油は知ってはいたものの、現在も苦しんでいる方がいる事や追跡調査は知らなかったです。これを機に未認定の方も認められ、何かしら補償があってほしいと切に願います。
    同じような歴史をまた繰り返す、自分よければ後はどうでもいい、といった世の風潮にやりきれない思いです。

  • #1

    リカオン (火曜日, 13 12月 2022)

    一読しました。
    惑薬害の近未来を予言している記事でした。薬害は同じ悲劇をなん度も繰り返しているのが良くわかります。

    親は政府や専門家、マスコミを信じて子に投与し、子に害が起き後悔する。子は親を責める。そのような有様を今後もあちこちで目の当たりにすると思うといたたまれません。その原因を作ったのは企業、政府、専門家、マスコミなのです。なのに親は自分を責める事になるのです。あまりにも不条理です。

    気づいていた自分を含む人達は、もっと勇気があったのならば、もっと上手く人に伝えるすべがあったらば身の回りの被害が少なく済んだのにと自分を責めるかもしれません。

    卵巣に脂質ナノ粒子が吸収されているというのを聞き、子供が欲しい方が子を持てなくなったり、子の発育に影響が生じなければよいがと懸念してしまいます。