ウクライナ戦争とチャイコフスキー国際コンクール

 

投稿者:ゆりさん

 

「音楽の友」という雑誌の8月号の海外レポートに、チャイコフスキー国際コンクールのことが載っていました。

 

以前チャイコフスキー国際コンクールについての投稿があったので実際どうだったのか、私が気になったところだけ抜粋してみます。

 

「ウクライナ東部における特別軍事作戦による西側の反発と制裁によって」

 

「無事開催にこぎつけたチャイコフスキー国際コンクール。(中略)アメリカ勢やドイツ、イギリスなど普段なら少なくとも一人は参加しているであろう国々からの顔ぶれがなく、中国勢が増えた印象だ。また、ロシア人の顔ぶれも多い。(中略)イタリアからはそれなりの数の参加者があり」

 

「日本からの参加者も、情勢のみならずアメリカ寄りの情報に扇動された世論により今回のコンクールへの応募者自体が少ないのではないかとみていたが、実際はかなりの数の日本人が第1次予選に選ばれていた。総勢7名でピアノ部門25名中2名とヴァイオリン部門25名中5名だった」(ピアノは2次、ヴァイオリンは1次予選で全員敗退)

 

「審査員メンバーにも今回中国勢が増えた印象を受けたので特記しておきたい。コンクール参加者だけでなく、審査員も中国勢が増えている傾向が今後も続くかは不明だが、様変わりしてきているのはまちがいない」

 

「特別軍事作戦の早期終結と、ロシアと諸外国がなかよくできる日を願ってやまない。このコンクールの様子を見ると、さほどそれも遠くないのではないかと期待せざるを得ない」

 

 

筆者は浅松啓介という人です。

 

ロシアにいるとこんな思考になってしまうのか、それともロシア国内で書いている原稿だからこういう書き方にならざるをえないのかはわかりません。

 

もし前者なら呆れます。「特別軍事作戦」「アメリカ寄りの情報」完全にロシアの言い方です。

 

特に最後の二文、なんてお気楽なのだろうと。

 

ロシアと仲良くなんて、数百年かかるんじゃないでしょうか。

 

少なくともウクライナは。「ロシア」という国も将来あるかわかりませんが。

 

「チャイコフスキー・コンクールの目的は、ソ連の音楽教育が世界一であることを世界に誇示することに加え、スターリン没後のソ連の解放政策がまやかしではないと全世界に知らせることでもあった」(中川右介著「冷戦とクラシック」NHK出版新書) 

 

チャイコフスキー国際コンクールは元々政治色の強いものだったようです。

 

ピアニストのイゴール・レヴィット(ユダヤ系ロシア人)は今回のロシアの軍事侵攻に対して「非政治的なスタンスを芸術家であることで言い訳するような場合、芸術が侮辱される」と言っているそうです。

 

音楽、バレエ、文学その他ロシアの作品もしくそれに携わる人々を排除するのは反対ですが、やはり芸術家も政治に対して無関心・無関係ではいられないのだと思います。

 

 

(管理人カレーせんべいのコメント)  

 

この話題は、以前も取り上げて考えさせられました。

 

≪過去記事≫

◆2023年7月13日:≪思想≫ ロシア音楽のキャンセルについて

 

 

音楽をはじめとする文化の多くは、政治と無関係ではいられないようで、それがなんとも歯がゆいです。

 

一方で、侵略戦争に対する政治的な抗議として「特定の文化を、期間限定でキャンセルする」ことは認めざるを得ないです。

 

 

「目的(ゴール)」と「手段」を、明らかにした上での期間限定のキャンセル

 

一方のロシアは「自らの政治的正当性を示すための文化利用」。

 

まさに「戦争の代わり」になってしまっていますね。

 


↓(スポンサーリンク)↓



コメント: 3
  • #3

    弘瀬和生 (木曜日, 17 8月 2023 18:13)

    例えば、私がもしも音楽家だったらどうするか?外国人の立場であればチャイコフスキーコンクールはボイコットするでしょう。では仮にロシア人だったら?多分、躊躇なくロシア国内でロシアの音楽ファン相手に、自己の音楽表現を追求する道を選ぶような気がします。ゲルギエフ氏のような著名な立場であればなおさらではないでしょうか。その行動が、ある種の枕営業なのか、はては戦争犯罪にあたるかは、人によって考えが異なると思います。私個人としては、いちクラシックファンとして、ジャニーズ問題と同じくらい、ロシアの音楽家の現状に目を向けてほしいなぁ…という思いです。

  • #2

    グッビオのオオカミ (水曜日, 16 8月 2023 15:26)

    なるほどなあ。
    ショスタコーヴィチなどは、ソビエト連邦政府のお抱え作曲家だったという話を聞いた事があります。
    「ベルリン陥落」というソ連のプロパガンダ映画(同名のベルリン陥落1945、ニーナ・ホス主演とは違います)の音楽を手掛けたりもしています。
    チャイコフスキーコンクールはロシア政府の肝入りですか。あり得そうです。
    政治的にパトロンが付いてやれる部分もあるだろうし、その中に作曲家個人の思いも入るでしょう。
    クラシック音楽は、バッハの様な教会音楽と、モーツァルトの様なサロンで流す音楽とで大きく分かれるでしょうし、フランス革命以降のベートーヴェンやブラームスになると、それを一般人が聞くようになります。
    ゴー宣シリーズで「民主主義という病」という本の中でフランス料理のレストラン文化の発生と、フランス革命との関連に描かれていましたが、それと似てるのかも知れません。
    …脱線しました。
    そう言えば、ナチス政権下のドイツではヒトラーがよくワグナーを聞いていたと言います。
    ベルリンフィルハーモニーの当時の指揮者、フルトヴェングラーは敗戦後に随分苦い思いをした様です。
    彼の手記を読むと、当時のドイツに残るかどうか、非常に悩んだとあります。また祖国に残り支える道を選んだ、それもまた非常に苦しかったとも書いていた様に思います。
    現在のロシア人の意識と、個々の音楽家の意識は私には分かりません。
    政府に逆らわないだろうし、逆らえないだろうとも思います。ただ、情報統制もしてるでしょうから、ロシア政府の主張をそのまま信じてる人もかなり居てそうだとは思います。
    ロシア音楽を私は否定しません。
    しかし、ロシア政府の肝入りで実行されるチャイコフスキーコンクールは、現在のウクライナへの軍事侵攻が続く限りは、政治的な意思表示と、経済的な効果も考慮した上で、日本からはボイコットすべきだと思います。

  • #1

    ねこだるま (火曜日, 15 8月 2023 23:56)

    中川右介氏の言うように元々このコンクールが政治色の強いものだとしたら、現時点ではこれは「戦争の一部」になるので、このコンクールがキャンセルされることになんの非難もない。

    問題はコンクールに参加するロシア以外の人をどう見るかだけど、これは保留したい。

    故坂本龍一はチャイコフスキーが(くるみ割り人形以外)嫌いだったそーな。
    私は嫌うほどではないけど、チャイコフスキーを偉大な芸術家とみなして権威づけするのは絶対反対。

    クラシック=階級的 という言葉が端的にしめすように、働かずに食っていた貴族たちが自分の後ろめたさをゴマかすために「(下々のフォークソング(民謡)とは違う)偉大な芸術」という幻想を作っていただけ。当時クラシックを聴いていた貴族たちは「趣味・娯楽」の一種として聴いていたはず。つまり貴族にとってのエンタメがクラシックだったということ。

    「偉大なる芸術」という幻想は80年代ポストモダンに壊された筈だけど、「格調の高さ」「荘厳さ」などをベースとして幻想は残っており、芸術をブランドとして気取りたい人はいるし、それは個人の趣味として止められない。

    「格調の高さ」「荘厳さ」を表現した音楽はロックやポップス内にもいくらでもある。