投稿者:L.Kさん
いつもお疲れ様です。
公論サポーター・東海支部のL.Kです。
「オドレら正気か?in名古屋」では、応募を呼びかけてくださり誠にありがとうございました。
こちらのブログを拝見しました。
ゴーマニズム名言「我々、国民は天皇を戴く資格があるのだろうか?」
新たな企画を立てられたのですね。
第1回にふさわしい、タイミング的にも最適な名言だと思います。
座談会に参加された方々の発言やコメント欄から、
皇室の人権問題に本気で取り組まなければ皇室がもたない、
という強い危機意識を感じました。
全く同感です。
しかし、勢い余って天皇制廃止論に向かいかねない発言・コメントが見られるのには、首をかしげます。
それって、皇室の方々が望まれていることですか?
こちらが勝手に解決を諦めて、現実逃避しているだけではないですか?
私たちに求められているのは、皇室を取り巻く環境を改善することであり、廃止することではないはずです。
皆さんの発言やコメントを読んで気になったのですが、
国民のメリットとか、国民の資格とかいって、国民の方に意識が偏りすぎているように見受けられます。
(件の名言を受けての座談会なのだから、当然といえば当然ではありますが。)
で、その国民が皇室の方々を奴隷扱いするものだから、国民に対する処罰感情ばかりが強くなってしまっているのではないでしょうか。
でも、皇室って本来皇室の方々のもの、もっといえば天皇陛下のものですよね。
そして皇室の一番重要な役割って、象徴としての務めを果たすことですよね。
ならば、皇室の方々、特に天皇陛下が、その務めに対してどう向き合っておられるのか、ということにもっと意識を向けるべきではないでしょうか。
ちょっと考えてみて欲しいことがあります。
皇室の方々にとっては、歴代天皇がご先祖様です。
そのご先祖様のエートスを受け継ぎ、
「国民と苦楽をともにし、国民の幸せを願いつつ務めを果たす」ことは、
国・国民のためというだけでなく、
【ご自身とご先祖様を繋ぐ接点であり、アイデンティティや誇り、実存の源である】
とも捉えられるのではないでしょうか。
私自身、不孝者なりに自分のご先祖様との繋がりを意識することで、安らぎや実存を感じることがあります。
皆さんにも当てはまる経験はありませんか?
私がそのような考えを持ったきっかけは、今上陛下の令和4年お誕生日記者会見です。
問4で、皇室の歴史や歴代天皇のなさりようを踏まえながら、天皇の務めを果たすご覚悟を、これ以上ないお言葉で示されました。
リンクを貼りますので、ぜひ読んでいただきたいです。
https://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/51
そのご意思は、幼少期のご作文やご成年記者会見のお言葉から、確実に愛子さまにも受け継がれています。
そしてやはり、先代である上皇陛下がいかに主体的に天皇の務めを果たされてきたかが表れたものとして、あのビデオメッセージを挙げずにはおけません。
こちらもリンクを貼ります。今一度読んでみてください。
https://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12#41
ご意思の個人差は当然あるでしょうし、ご負担がかからないようにするための配慮は不可欠です。
個人としての自由を求められる声にも、真摯に向き合わなければなりません。
ですが根本的な認識として、
私は皇室の方々を、「務めに対し主体的意思を持たない、ただの操り人形」だとは思いません。
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皇室の一員として、務めを果たしたい。
だけど今の状況はあまりに辛すぎて限界だから、改善して欲しい。
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「佳子さまからの警告」で皇室の方々が訴えられているのは、そういうことだと認識しています。
大恩ある方々からのこのような願いに応えずに、他のどの問題を解決できるというのでしょうか?
「国民のため」ではなく、「皇室の方々のため」と考えれば、皇室が続いていって欲しいという気も出てきませんか?(^^)
皇室の方々が大切に受け継ごうとしているエートスを守るために、
そして皇室の方々が、皇室の一員であることに誇りや実存や幸福を感じていただけるようにするために、
愛子皇太子実現や、皇室の環境改善について考えてくれる人が増えると嬉しいです。
最後に、ゴー宣ファン同士で楽しく感想を語り合われているところに、水を差すようなことを申し上げてしまってすいません。
皇室の存続を諦める空気には、どうしてもなって欲しくなかったのです。
長文、駄文失礼しました。
(管理人カレーせんべいのコメント)
いや。
私としては「我々、国民は天皇を戴く資格があるのだろうか?」は自問自答であって、「国民の方に意識が偏りすぎている」に当たるとは思わないです。
それは、天皇制が成立するには「天皇と国民の相思相愛」が大前提だと考えるからです。
現実に、国民が天皇や皇室に対するバッシングを繰り返し、皇室の方々が心を病まれている。
そのような現状を知れば知るほど「我々、国民は天皇を戴く資格があるのだろうか?」という自問自答を繰り返すのは、やむを得ざるところです。
ただ「天皇と国民の相思相愛」において、優先するべきは「天皇の意思」と存じます。
たとえ国民が醜悪であっても、天皇がお見捨てにならないのであれば、天皇制は続くでしょう。
その反対に、国民が心を入れ替えたとしても、天皇がお見捨てになれば、天皇制は続かないでしょう。
以上のように整理して考えた結果、私は「天皇制は今、危機に直面している」と感じます。
先代から今も、国民は「天皇陛下の愛」にすがっている状態ではないかと分析する次第です。
それではいけない!
ではどうすればいいか?
「大衆化した国民」を叩くしか無いと私は思っています。
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sparky (水曜日, 27 9月 2023 22:14)
現在の日本社会に皇室を戴く資格はあるか?
私は明言します。「あるわけねーだろ常識で考えたら判るだろが」
それではあんまりなので言葉を足します。「皇室に相応しい社会に作り変えるしかない。日本社会も日本人も」
SPA! で新たに始まる日本人論は是非とも「日本改造論」になって欲しいです。
チコリ (月曜日, 25 9月 2023 16:20)
上皇陛下のお言葉がすべてです。
国民としてお応えしたい!ただ切実なる気持ちです。
ただ時々ひとりニヒリズムに陥り、ばかやろーっ!皇室を失って後悔したって遅いんだーっ!
思い知りやがれーっ!などと、これまたひとり卓袱台をひっくり返しては、また反省して片付ける繰り返しです。
愛子天皇しかいない。
公論サポーターが倦まず弛まず、男系論者を破し続けてくれている。
諦めてはいけない、と、反省する繰り返しです。
ありがとうございます。
L.K (日曜日, 24 9月 2023)
>>千本通りさん
私なら、ざっと次のように説明しますかね。
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歴代の天皇は、日本の最高権威として国の安寧と国民の幸福を祈ってきた。
そうして長年培ってきた信頼関係により、国民は天皇を中心に、国を維持・発展させるための力を発揮してきた。
大戦末期に、徹底抗戦を主張する軍部の圧力を押し切って終戦に導いた鈴木貫太郎首相(当時)がそうだし、
敗戦後、疲弊した国民を慰めるために昭和天皇が全国行脚(=ご巡幸)して国民が奮起し、復興につながったこともその一例といえる。
日常の安定した社会秩序は、人と人との信頼関係により成り立っているが、元を辿れば、かつては文字通りの統治者だった天皇の徳政のおかげで、その基盤が出来上がっているように思われる。
国・国民統合の象徴とは、もっと具体的にいえば「公共心の象徴」と捉えることができる。
公共心の形は国によってさまざまだが、歴史に裏打ちされた信頼関係を超える理想の形はないように思える。
アメリカやフランスといった共和制国家が、日本とは比較にならない激しさで分断を深めているのを見ると、歴史的背景を持たない一個人が国を統率することの困難さがよく分かる。
日本にしても、首相や政治家だけを見れば、なんでこの国が(一応は)まとまっているのか理解できないではないか。
天皇は、個を超えて、歴史が培ってきた信頼関係を支える存在として、今も私たちの幸福を祈り続けてくださっている。
それは、障害者との交流、離島住民との交流、災害時の慰問、戦没者の慰霊・遺族への慰問、各種団体・個人との交流・顕彰等という形として現れ、現代を生きる私たち国民のヨコのつながりを隅々まで支えてくださっている。
今の天皇陛下も、もちろん歴代天皇の精神を受け継いで、天皇の務めを担ってくださっている。
天皇陛下や、陛下を支える皇室の皆さまの情報に触れる際には、こうした視点を持ってそのお姿をご覧になって欲しい。
信頼は、人と人を繋ぐ大きな力である。
だが一方で、信頼は、相手への甘えや傲慢な態度へと変容しかねない危険を孕んでいる。
私たち自身が公共を支える一員であるという意識を持ち、他者に対する甘え・傲慢を慎む姿勢を持つことが不可欠である。
皇室は今、政治の不作為による皇位継承の不安定さや、度重なるバッシングによる心身の疲弊により、存続の危機に立たされている。
皇室がいったん途絶えれば、それと同等の「公共心の象徴」を生み出すのは不可能とさえ思われる。
日本の未来とともに、そこに不可欠な皇室の未来について、考えてみて欲しい。
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日本はかつて「トラスト(信頼)の国」などといわれていましたが、皇室への関心低下とリンクして、トラストもどんどん失われていっているように感じています。
そうそう、『昭和天皇論』第4章「「聖断」という奇跡」の最後にあるセリフ
「天皇という無私の主君がおり、臣下は天皇を仰ぐからこそ、時として個を超えた能力を発揮できる。
日本人は、もともとそんなふうに出来ているのかもしれない。」
涙が出るほどの名言です!
(コメントなのに長いよ!本当にすいません(-人-))
千本通り (土曜日, 23 9月 2023 17:22)
実はイギリス王室が存続の危機をかなり意識している。イギリス王室は日本の皇室と違って自らの財産を運用して生活が成り立っており、国の税金をもらってはいないのだが、若者の関心が薄れていることを危惧している。
日本では義務教育で天皇を日本国憲法における「象徴」という意味でしか教えず、敬服すべき存在とは教えていない。一般人になぜ皇室は敬われなければならないか、あなたは説明できますか? もはやそこまで降りて説明しないとダメではないかと思います。
L.K (土曜日, 23 9月 2023 13:42)
長文にも関わらず、掲載に加えコメントまでいただき、誠にありがとうございました。
「我々、国民は天皇を戴く資格があるのだろうか?」
この言葉が自問自答の言葉であることに異議はありません。
皇室と国民の相思相愛関係を築くために、国民はどうあるべきかを
この言葉を軸に考えるのは、とても素晴らしいことだと思います。
ただ、私が気になったのは、そうした議論が展開される一方で、
国民の改心はもはや不可能で、皇室の存続を諦めるような意見が見られたことです。
そして、後者に全体の論調が引っ張られかねない危惧を覚えました。
諦めてしまう原因は、連日の心ないバッシングに加えて「佳子さまからの警告」を受けて、
皇室の方々が皇室の存続を望んでおられるのか、
自信が持てなくなっているからではないかと思いました。
そこまでいくと、自問自答だけでは閉塞感が増すばかりです。
そこで、別の視点として、皇室の方々のご意思に意識を向けた方が良いと考えました。
皇室の方々は、まだ完全に国民を見捨てた訳ではなく、
皇室の一員としての務めに意義を感じて臨まれているはずだ。
それが伝わるお言葉も発してくださっている。
だから諦めずに、皇室の存続を願う気持ちを強く持って欲しい。
そう思い、投稿させていただきました。
これは、皇室の方々を思えばこそ皇室廃止論へ傾いてしまいそうな方への、せめてもの励ましであり、
一般大衆に対してのものではありません。
大衆に対しては、「お前ら、いい加減にしろ!」とはらわたが煮えくり返っています。
件の名言を教訓に自問自答し、国民の態度を問い続ける姿勢を否定する意図は全くありませんでしたが、
うまく説明することができず、申し訳ありません。
拙文へのコメントで、「優先するべきは『天皇の意思』」という認識を示してくださったこと、
そして皇室の存続に向かってくださっていること、とても嬉しく思いました。
諦めずに、やれることを粛々とやっていく。
結局は、やり続けることでしか結果は得られないのだと思います。
小夜侘助 (土曜日, 23 9月 2023 08:08)
誇りや実存や幸福を感じながら日々暮らしている日本人が、一体どれくらいいるんだろう?
果たして自分はどうだろう?子どもたちはどうだろう?
そのような生き方をするにはどうすればいいのだろう?
どう考えるべきだろう?
天皇を戴く資格があるようには思えない…けど。そう思えるよう努力したい。
L.Kさんとカレーせんべいさん、お二人の意見両方とも、肯きながら読ませていただきました。
天皇を戴く資格、という考え方そのもの。
それがあるかないか?という問い。
この視点は、わたし一人では全く思いもつかないものでした。
考えるきっかけを与えてくれる、ゴー宣はホントに凄いです。
英二 (金曜日, 22 9月 2023 23:22)
このようなお話を大学生とかが居酒屋とか喫茶店で普通にしている社会になれば立て直せますね