投稿者:まいこさん
「上げ馬神事」への爆破予告に対して捜査が始まるようです。
「上げ馬神事」炎上 多度大社に爆破予告 4日の参拝など停止「誠に遺憾」 警察に相談し安全確保
https://news.yahoo.co.jp/articles/33e125c09e8d7af06c6f813bc0fe34d789be2883
火曜日のゴー宣ファンチャンネルYouTubeライブでも話題にされた「断罪する事実が含まれていれば、正義で全てキャンセルする全体主義」から生じた行き過ぎた行為に、法律に基づいて警察が動いたということになると思います。
「日本の歴史と文化をキャンセル」することを、これ以上看過させないよう、小林先生の『日本人論』で、しっかり学んでゆきたいです。
(管理人カレーせんべいのコメント)
実を言うと、私にも多少は動物愛護の精神があります。
「上げ馬神事」の映像を見た感想としてはは『馬が骨折して、殺処分にならないように、壁の高さをもう少し低くならないのか?』と正直、思いました。
でもそれを言うなら、「岸和田のだんじり」や「鳥羽の火祭り」や「諏訪大社の御柱祭」に対しても、「危険だよなぁ。もっと緩和できないのかな?」という感想を抱くわけです。
しかも「馬」よりは「人間」に対する心配の方が大きいです。
・・・
要するに私が、行き過ぎた動物愛護を感じるのは「動物>人間」になる瞬間です。
せめて「動物≒人間」がMaxになるべきです。
馬を助けるために爆弾予告をしては、そりゃダメでしょう。
40:38 クマ問題について
・究極の抗議団体は動物愛護?
・イデオロギーかビジネスか?
・上げ馬神事と競馬
・血統論議で論破される
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カフェイン中道区 (月曜日, 06 11月 2023 08:58)
ヨーロッパ関連でいえば、かつて競馬の凱旋門賞(フランス)にサクラローレルが挑戦しました。
しかしケガで出走を断念。
すると現地の関係者(勿論フランス人)がやってきて、何かの準備をしている様子。
言葉が分からないまま様子を見ると…何か変だ…。
気付いたサクラローレル関係者は「ローレルを殺す気かっ‼」と大激怒‼これを阻止‼
そうです、「殺処分」しようとしたのです。
通訳を介せず一方的に進めようとしていた事から当時では「ケガ=殺処分」がヨーロッパでは主流だったようです。
サクラローレルはこのケガで引退しましたが、無事日本に帰国、29歳で天寿を全うしました。
リカオン (土曜日, 04 11月 2023 06:54)
欧米の動物愛護団体が日本に対して押し付けてくるのが頭に来るが、ヨーロッパなどの動物園は昔は市民が動物をいじめる目的で動物園に行っていたという事を動物園の歴史を書いた本で読む。
飼育係の仕事は掃除や餌やりなどの動物の世話だけではなく、見に来た客から動物を守るのも役目だった。
イギリスはブラッドスポーツという動物同士を戦わせる娯楽があり、王侯貴族がライオンとイヌを戦わせたり、犬と猿を戦わせたりしていた。
大衆も労働者階級が牛をつないで犬をけしかけたり、闘鶏をしたり、ネズミを使ったりするブラッドスポーツをしていた。
この大衆の行うブラッドスポーツは残酷だとして動物虐待防止法ができた。
という事は元々ヨーロッパは動物虐待のひどい歴史があった訳で、そのために法律をわざわざ作らざるを得ないほどであったと知る。自分らの事を棚に上げて何を居丈高に他国を指導しようとするのかと呆れてしまう。
リカオン (土曜日, 04 11月 2023 02:33)
動物ネタはなんぼでも書けてしまうなぁ。連チャンですが。
養鶏場へ行ってみた。80mの長さのある工場のような長い施設。薄暗い中に鶏の入ったケージがアパートのように6〜8段。
中に入ると何千羽という鶏がコッコッコッとずっと鳴いており、人間は大きな声を出さないとお互いの声は聞こえない。
狭い一つのケージに10羽押し込められており、身動きするのもやっと。卵を産もうと身を低くしたら、同居個体に踏みつけられるぐらい狭い。
コロンコロンとケージの下から卵が手前のトイに転がり、ベルトコンベアに乗せられてどんどん運ばれてくる。
餌は時間になると餌トイに機械が動いて自動で流し込まれる。
もう産卵工場の歯車の一部になっている。
それにしてもこんな狭いところに押し込められて。過度な動物保護団体に距離をとっているつもりの私も、鶏もっと少なく入れた方が良いんじゃないの?いくら何でも詰め込み過ぎでは??と感じた。
10個入りの卵パック120円とか、物価の優等生ともてはやされるが、実はこんな風に鶏達の犠牲の元に支えられている。
養鶏場さん曰く、前シーズンは沢山鳥インフルエンザの発生で殺処分されて、卵価が高騰。高い高いと消費者は嘆くが、ヨーロッパ基準で鶏に優しい飼い方するとフランスでは6個入りの卵500円するとか。
やはり、動物達の犠牲の上に人間の生命が維持されている事を確認するとともに、ある程度のアニマルウェルフェア(動物福祉)はやはり、必要なのかなと思った次第。
リカオン (土曜日, 04 11月 2023 01:36)
動物園や水族館の存在意義がキャンセルされつつあるのは欧米、日本とも危機感を共有している。
動物園は植民地の珍しい動物を連れてきて、国力を誇示したり、動物学の発展に寄与したりしてきた。
現代は人間による環境や野生動物の個体群へのインパクトが強すぎて、絶滅に瀕している動物種は増える一方。
そのため野生から直接動物入手するのは法で禁じられ、動物園同士で飼育動物を協力しあって交換して増やす事をしている。増やした希少動物については動物園や水族館で野生に戻すプロジェクトも進行している。
日本では、トキ、コウノトリ、ライチョウが代表。
日本から海外に送っている動物もおり、希少動物の保護に動物園も水族館も力を入れている。
自然保護に協力するとともに、動物園水族館自体が生き残るという面もある。
それでもイルカについては海外の保護団体の力が強く、イルカを飼育している水族館は欧米では撤退し、日本もその影響を少なからず受けている。
リカオン (土曜日, 04 11月 2023 01:12)
豚は賢くて犬と大して知能が変わらないのじゃないかと思う時があるが、あまり同情されることなく食糧にされる。
その点、欧米では家畜は神様が人間に与えたとして、家畜とペット、野生動物の線引きが割とはっきりしている気がする。
日本は戦後しばらくはペットは犬猫だけでしたし、野生動物については猟師のみが語っていた時代で、家畜、ペット、野生動物に対する態度にはある程度線引きがあったと思う。
ムツゴロウさんから野生動物との交流を積極的にし、高度経済成長とともに大量のエキゾチック動物が輸入され、志村どうぶつえん辺りになると、ペットの概念が野生動物にまで広がったように思う。
人間は動物の命をいただき(殺して食肉にする)、動物の助けを借りて生きている(荷役、田起し、乗馬、戦闘)罪深い存在という事を昔の人は実感として感じ取っていたが、現代の日本人はそのベースが無い。さらに日本人は家畜、ペット、野生動物の線引きが曖昧なうえ、単に動物を可愛がったり同情する状態が常態化するように。
怪我をしたハクチョウを助けて、シベリアまで空輸で送ってやれないのかと相談を受け、諦めてもらうまで説得した時は大変であった。年配の人ならすぐ理解するかと思ったら、案外年寄りも若い人と同様の意見で意外であった。
日本人が生き物との生と死の関係性が断たれているのも関連しているのではないかと思った。
上げ馬神事については昔からあんなにかさ上げしてた訳ではないでしょう。馬が上がれるか上がれないかの高さにするのであれば、足の短い日本在来馬だったらあんなに危険なくらいかさ上げしなくても良いのでは?伝統的には馬は在来馬だったろうし、壁の高さも低かったはず。
伝統は否定せずに改善して継続して欲しい。
magome (金曜日, 03 11月 2023 14:09)
皆様のコメントを「世界のゴー宣ファンサイト」らしく、内容が深く、個性的だなー、と感心しながら読み返しています。
それで、自分のコメント#1を読んだところ、訂正しなければならんところがいくつかあったので訂正させていただきます。
「家畜は愛玩動物の境界自体が曖昧」→「家畜と愛玩動物の境界自体が曖昧」
「野猫、野犬などの説滅危惧種は駆除の対象」→「野猫、野犬など、絶滅危惧種以外は駆除の対象」
「安全性とマシンの耐久性が挙がりましたが」→「安全性とマシンの耐久性が上がりましたが」
ご不便おかけして申し訳ありませんでした。
madoka#2さんの御指摘通り、身近にどんどん自然が無い生活をしている自然を全然実感できない日本人が増えたのはもちろんのこと、日本人独自の自然観からも遠ざかっているのも大きな原因だと思います。もし、日本独自の自然観が今でも全体的に根強く定着していたならば「ビーガン」や「フード・ロス」、「アニマル・ライツ(動物虐待)」が市民権を得る事はないでしょうし、今回の「上げ馬神事」も報道の規模は別として地元の人々が部外者の声(クレーム)に耳を貸さずに黙々と改善が行われている事と思います。
田舎のおっちゃんさん#3の「生命の燃焼、蕩尽の時間」も興味深い内容で馬が死亡した事故ですから当然、乗馬者も死亡する危険にさらされているわけで、なんで乗馬者の安全性が問われないのか不思議でなりません。バランスの感覚が崩れているのは明らかです。
ねこ派さん#3
動物園を廃止すべきかについてですが、欧州のサーカスでは動物の使用を完全に廃止するサーカス団も出始めました。また、水族館でイルカ・ショーを見た先入観から野生のイルカに不用意に近づいて襲われてしまい重症、もしくは死亡事故になってしまった事例もあります。危険な動物は何もクマやライオンなどの「猛獣」とされているものだけではありません。生命あるものはウイルスからして命を奪う危険性があるのです。動物園、水族館は一生縁のない生きた動植物が身近に見られ、動植物への認識改善に大いに貢献している一方で、生命の危険性については一部の生物を除いてあまり言及されていないように思えます。よって、今後は水族館、動物園とともに動植物を扱い、展示する施設やイベントでは常に顧客に対して生物と接触する時の危険性についても重点を置く必要があるのでしょう。
叶丸さん#5、さとがえるさん#6のコメントを読んで思い当たったのが馬の体格の変貌です。日本は元々、馬を搬送や田畑の耕耘に主に使用されてきた事から大陸を駆け巡る騎兵など、広大な平地を高速で移動する現在の競走馬の体格とは全く異なった体格の馬が重宝されてきました。馬による搬送でも舗装されてない勾配の激しい獣道で長時間の移動を強いられてきた事から平地を高速で移動する体格の馬ではなく、獣道を長時間、重量物を背負ったまま移動できる体格の馬が使用されてきたわけです。武田信玄の騎馬隊も西洋やモンゴルの騎馬隊とは違い、人が通るのも困難な山道を通じて迅速かつ、大規模な兵站を担える輸送力が最大の強みでした。日露戦争、日清戦争辺り(明治30,40年代)の軍馬の写真と現在の警察馬の写真を比較してみればその対格差に驚かれると思います。
「上げ馬神事」も荒れた獣道を走りぬく従来の日本馬によって実施されてきた神事だったわけで、明治以降に積極的に導入されてきた平地を高速で移動する西洋馬(競争馬)には全く不向きな神事でもあったわけです。なお、現在の馬術競技や競馬も西洋馬の体格に合わせて作られた競技である事も付け加えさせていただきます。
今回の神事における事故は明治以降実施されてきた西洋近代文明への行き過ぎた傾斜に対する警音であると思うに至りました。
いままさに、人類は文明、文化の原点回帰を迫られているのだと思います。
さとがえる (金曜日, 03 11月 2023 12:58)
これまでの形式に固執すると、祭り自体なくなるかもしれません。
伝統は時代に応じて変化していくことだと改めて感じました。
また、皇室も男系固執のままではいけないですね…声を挙げで参ります。
叶丸 (金曜日, 03 11月 2023 12:33)
上げ馬神事の「廃止」求める署名2万人分提出 海外からも
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/cbc/714878?display=1
外圧に頼ろうとするところはジャニーズ問題と似ていると思いました。
それから、カレーせんべいさんの言われる「壁の高さを低くする対策」も検討されているようです。
ねこ派 (金曜日, 03 11月 2023 11:18)
#1magomeさんの文章を読んで、なるほど、と思いました。
ー神事に限らず、人間と関わった動物は飼育などの保護を含めて数多くの予期せぬ犠牲と言う名の「死」によって成り立っている事を改めて認識し直す必要性に迫られていると考えて良いでしょう。
この一文は、本当に、そう思います。
たまにニュースで、動物園の飼育員が、ライオンやトラにかみ殺された、あるいはゾウに踏みつぶされた、などと報じられたりします。
普段は大人しく、飼育員に従う動物が、どういうわけか、その時は暴れ出して、餌やりや清掃のため檻の中に入った飼育員に危害を加え、果ては彼を死に至らしめることがある。
人間が動物に危害を加えるのとは逆、動物が人間に危害を加えている。
飼育愛護している動物が飼育員に危害を加える、飼育員を殺してしまう、そういう「事故」をなくすために、では、動物園を廃止するべきか?
しかし、世間でそんな議論は、全然、起こっていませんね。
ちなみに私は、いい歳こいて、動物園が大好きです。
田舎のおっちゃん (金曜日, 03 11月 2023 10:51)
祭りってのはケの日常を超越した、生命の燃焼、蕩尽の時間でもあるからね。
場合によってはじっさいの生命が燃やし尽くされることもある···。
もちろん古代や中世の祭りをそのままやれとは言わないが、時代ごとの妥協点を探りながらやっていくしか無いのでしょうね(まぁ爆弾魔が乱入するのもハレの空間っぽいが)。
madoka (金曜日, 03 11月 2023 09:28)
#1magomeさんの文章がとても腑に落ちました。
日本人は、動物を昔からいろいろな力仕事の場面で使ってきたけど、そこに感謝の気持ちが無いわけではないと思います。
だから「いただきます」と言うのでしょうし。
こないだの熊の件も、そもそも、身近にどんどん自然が無い生活をしているから、自然や動物、人が生きていくという事は他の動物にとってどういう事なのか、全然実感できない日本人が増えたのではないかと思います。
私も、700年続いてきたお祭りがキャンセルされないよう、より良く改善され今後も続いて行く事を願います。
magome (金曜日, 03 11月 2023 01:25)
「上げ馬神事」のニュース動画を見ましたが、家畜は愛玩動物の境界自体が曖昧なんです。よく、欧米の動物愛護を例に動物の権利を掲げている人がいますが、絶滅危惧種と愛玩動物、家畜のように完全に管理された動物限定で、野猫、野犬などの説滅危惧種は駆除の対象です。よって、愛玩動物や絶滅危惧種の虐待、殺傷は大きく取り上げられる一方で野猫、野犬の駆除はニュースにすらならない地域、国も少なくありません。日本のように猫、犬を近所や島などの共同体で面倒を見るという概念が存在しないのです。
「上げ馬神事」も「薬殺」と報道されている事から馬術競技や競馬と同じで今回も事故であることが分かります。聞いた話では「上げ馬神事」は厳選された馬が乗馬者ともに専用の訓練がなされ、獣医が事前に検査をしてから神事に参加します。ここで忘れてはならないのが競馬を含むスポーツ、競技には常に怪我は付き物であり、時には死亡事故も視野に行われているという事なのです。競馬の歴史を見ればレースの最中に転倒し、薬殺された馬はもちろん、半身不随などの重度の障害を負った、あるいは命を落とした乗馬者が多数いる事を忘れてはなりません。自動車や鉄道が交通の主流を占める以前は牛馬が交通、輸送などの重機械の役割をしていましたが、今でも馬術競技や競馬はその延長として馬は自動車レースの自動車、バイクレースのバイクと同じく競技に参加している限り、乗馬者とともに死と隣り合わせなのです。自動車レースやバイクレースでも数えきれないほどの事故と数多くの自動車、バイクの完全損失、レーサーなどの死亡事故が発生し、それを教訓に安全性とマシンの耐久性が挙がりましたが、それでも大事故、死亡事故のリスクがなくなったわけではありません。
「上げ馬神事」で、専門に訓練された貴重な馬が死亡する大事故になったわけですがこれを教訓に、次回の神事に生かして続けることが最善の策だと思います。神事に限らず、人間と関わった動物は飼育などの保護を含めて数多くの予期せぬ犠牲と言う名の「死」によって成り立っている事を改めて認識し直す必要性に迫られていると考えて良いでしょう。
「食べる」という命を頂くこと以外にも現在の人はほかの生き物に対して数多くの「業」を背負っているのかもしれません。