投稿者:グッビオのオオカミさん
私は先日12月3日の公論イベントに参加しました。
私自身は大阪在住なので多少日程に余裕を持たせゆっくり二泊三日にしました。
赤坂辺りに一泊目の宿を取り〈土曜日の東京は中々空き部屋が無かった(汗)〉、12月3日の早朝に付近を散策していると、何だか公園と大きい石碑が見えます。
私も地元では無いので当然土地勘も無く、
「靖国神社じゃ無いだろうし、何これ?」
と思って除いて見ると、
清水谷公園と書いてあり、解説文をよくよく読むと、ゴー宣シリーズで手に汗握る「大東亜論」の超重大な一コマ「大久保利通斬殺の地」であって、石碑も「大久保利通公」と書いていました。
「ああ、ゴー宣の大東亜論にあったなぁ。大久保利通が加賀藩士たちに斬殺された地かあ…」
今にして思えば、統一協会に取り入り男系原理主義で皇室典範改正を握りつぶして来た、現代の安倍晋三元首相の人気と評価と、明治時代から現代まで続く大久保利通の人気と評価。
この二者にどこか相通じるものを、ひしひしと感じました。
ただ、大久保利通は加賀藩士らによる政治上の道義を糺す意味も含んだ「暗殺」であったことに対して、安倍晋三元首相の銃撃事件は、統一協会の被害当事者として家庭も人生もメチャクチャにされた山上徹也容疑者の私怨によ復讐だった事は大きな違いでしょう。
時代の差でもあり、政治における当事者意識の差でもあるのでしょう。
この後、公論イベントに参加するのも何かの縁だと思えて、却って気合いが入りました。
余談ですが、昼ご飯を食べて日本橋界隈をペットボトルのジュースを飲みながらブラブラしていると…これは何でしょうね?
とあるビルの屋外のスペースにドラゴンクエストシリーズの等身大のモンスターのフィギュアが置いてありました。
ゲームで見るのはテレビサイズですが、等身大だと意外とビビりました。
「現実にこれに襲われたら死ぬやろ、絶対に(笑)」
余談でした。
イベントが終わり、私は二拍目は日本橋のビジネスホテルに泊まりました。
…いやいや、ドラクエの「宿屋」には掛けてませんよ?
日本橋から神田まで歩きましたが意外と歩ける事に気づきました。
東京は何せ密集してるのですね。
昨日は大久保利通斬殺現場だったので、公論イベントの後は勇気を貰いに上野恩賜公園に生き、西郷隆盛像を見に行きました。
上野恩賜公園はまず、銀杏並木がとにかく美しくかった!
上野駅から…最初はちょっと間違えて、ヨドバシカメラや高架下の下町の方に行きましたが、更に階段を上がると…居ました!!
銀杏並木の中に凛と立っている西郷隆盛公の像が!
実は家内のお父さんの実家が鹿児島県南九州市なので、結婚当時に城山の西郷隆盛が自刃した洞穴や、鹿児島市の西郷隆盛像は見ましたが、上野恩賜公園の西郷隆盛像はまた、別の感動を覚えました。
明治10年、西南戦争で明治政府軍に敗北した西郷隆盛公は「逆賊」、「朝敵」の汚名を着せられましたが、明治22年に明治天皇が逆賊を汚名を返上し、正三位の位を授与しました。
この事に感激した、西郷隆盛の旧友:吉井友実が発起人となり、当時の巨匠高村光雲が像の製作を手掛けたと言います。
そうです!この上野の西郷隆盛像は汚名返上され、名誉を回復した姿がそこにあったのです!
【西郷隆盛と銅像の由来(上野恩賜公園)】
http://www7a.biglobe.ne.jp/~jigenji/takamori101.htm
しかし、そのすぐ後ろに幕末維新の動乱期の上野戦争で、徹底抗戦を主張した幕府側の勢力「彰義隊」の墓がありました。
アームストロング砲などの最新兵器で武装した薩長土肥連合軍によって、上野戦争はほとんど一方的に決着が付きます。
ちなみに新撰組の槍使いのエピソードで有名な隊士・原田左之助もこの戦いの傷が元で死亡したと言われています。
【上野戦争 - Wikipedia】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%87%8E%E6%88%A6%E4%BA%89
【原田左之助 - Wikipedia】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%94%B0%E5%B7%A6%E4%B9%8B%E5%8A%A9
そこから戦場は、宇都宮から会津へと移り、そして最終的には函館五稜郭にて旧幕府軍と明治新政府軍との決着が付きます。
私はこの時の西郷隆盛を短絡的に「幕末には腹黒い勝ち組で、明治の西南戦争は負け戦を挑んだ非合理的な愚者」と言うつもりは全くありません。
薩摩は当時の列強のイギリスから武器を購入しており、対する旧幕府軍はフランスの軍事顧問団が付いていました。
西郷隆盛らが早期に旧幕府軍と決着を着けたのは欧米列強による内政干渉や、イギリスとフランスによる代理戦争状態を避けたかったのだと思います。
とは言え、私には新撰組や彰義隊を笑う気にはなれませんでした。彼らもまた、一命を賭して戦っており、日和見主義などは決して取らなかった。
歴史に恵まれ、歴史に見離され、多くの先人たちの思いとドラマの上に我々は今、生きています。
公論イベントのテーマである現代日本の皇位継承の危機を前に…またウクライナ情勢や統一協会問題、コロナ禍やジャニーズバッシングや宝塚バッシングなどの情報災害を前に右往左往する日本人を見て
「彼らは生きていれば何と言っていただろう?」
と思わずには居られませんでした。
他にもたくさん、楽しい所や有名な神社仏閣や記念碑もありましたが、これは長くなるので割愛します。
銀杏並木を歩きながら、帰りの新幹線に間に合う様に、職場と家内にお土産を買って、大阪に帰りました。
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通りすがり (火曜日, 12 12月 2023 08:31)
幕末は、討幕側にま佐幕側にも、どちらにも正義があり、思考すべきドラマが多いです。
おおみや (月曜日, 11 12月 2023 21:10)
冬の関東の青空と足音まで聞こえてきそうな臨場感、 良いひととき が伝わって参りました。
リカオン (日曜日, 10 12月 2023 23:17)
若い時に何度か歩いたはずの場所でしたが、グッビオのオオカミさんの投稿は生き生きとして大東亜論が蘇るようでした。面白かったです。
歴史の経糸が今現在復活し、広がるような紀行文でした。
パワーホール (日曜日, 10 12月 2023 20:40)
グッビオさん・あしたのジョージさん・タロー.Gさん
公論イベントの時はお世話になりました。
「腹黒い勝ち組」とありますが、徳川だって権力を手に入れようとしてかなりあこぎなことはやっていますよね。タロー.Gさんが関東は譜代親藩で占められていたとおっしゃっていましたが、あれぞまさに忖度政治の典型だと私は考えています。あと西郷先生たちも徳川の方も内部に複雑な事情を抱えていましたし。
私も、公論イベントの前日と当日朝と翌日に埼玉県の川越と嵐山を観光しました。川越の氷川神社では、あい鯛みくじという恋愛に関するおみくじで見事「大吉」を当てました。前日と翌日は、嵐山を観光し、そこで「天岩戸嵐山明が指宮」(あまのいわとらんざんあけがさしぐう)という神社を見つけ参拝しました。天岩戸ゆかりの神社だそうです。それと、嵐山には鎌倉時代の武将で西郷先生や大久保一蔵を輩出した薩摩藩とゆかりのある畠山重忠が館を構えていて嵐山史跡の博物館の敷地内に遺跡があります。嵐山渓谷の紅葉も素晴らしかったです。
余談ですが、大久保一蔵と武田晴信が髭男爵の山田ルイ53世に似ていると思っています。大河ドラマで山田ルイ53世には御両人を演じてもらいたいです。
牛乳寒天 (日曜日, 10 12月 2023 19:53)
素敵なご投稿ですね。銀杏の写真の日差しが暖かそうなのと、西郷さんの威風堂々とした雰囲気が印象的でした。
大久保利通と安倍晋三、確かに似てますね。大久保からしたら、自分は安倍ほど落ちぶれてないと思いそうですが、重なります。
知的な文章にドラクエの写真があるギャップも面白かったです。私も実物見て見たかったです。
あしたのジョージ (日曜日, 10 12月 2023 18:35)
この間のゴー宣道場では、隣に座らせてもらいましたが、色んなところを見学されていたのですね。
昔は上野にはよく行きましたが、上野公園は余りよく見学した事がありませんでした。
いつでも行けると思うと返って行かないもので、余りよく知らない事ばかりだと思いました。
単に私が無知なだけですが。(╯︵╰,)
サン (日曜日, 10 12月 2023 18:02)
ご投稿ありがとうございました、楽しく拝読いたしました
一命を賭して戦い日和見主義などは決して取らなかった史上の方々が今の日本人を見たらとの箇所、仰る通りですね。命を使うと書いて使命ですが、そういう言葉が死言になるかもしれない現代でも冷笑主義に陥らず何とかやっていこうと考えました