漫画家・芦原妃名子さんが自殺

 

投稿者:希蝶さん  

 

漫画家・芦原妃名子さん死去 作品ドラマ化、脚本巡りトラブルか

https://mainichi.jp/articles/20240129/k00/00m/200/212000c

 

言葉が出ないです。

 

実は芦原妃名子さんという漫画家の存在自体、知りませんでしたし、「セクシー田中さん」も何となく録画して、後で見ようかな、みたいな感じだったのですが…。

 

どうして、こういうことって、起こるのでしょうか…やるせないです。

 

芦原妃名子さんのご冥福をお祈り申し上げます。 

 

 

(管理人カレーせんべいのコメント)  

 

創作者の作品に対する強い思い。

 

誰も傷つけたく無かったという気持ち。

 

 

自殺を選んでしまったこと、気の毒で、気の毒で、気の毒で、仕方がないです。

 

 

だけど、自分で死んだらアカン。

 

だって、死んだら、作品を創ることができなくなるじゃないですか。

 

 

そんなもん。誰も得せぇへん。

 

 

 


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コメント: 13
  • #13

    sparky (土曜日, 03 2月 2024 01:21)

    人が自ら死を選ぶというのは余程の事なのだろう、という想像力もそろそろ日本人から失せ始めているのかもしれない。
    自殺は確かに好ましい事ではないし「死を選ぶのも仕方がない」などと安易に同調するべきでもないが、「簡単に死を選んだ」とか「傷つきやすい人だから死んだ」と言うのもどうなのか。

  • #12

    希蝶 (火曜日, 30 1月 2024 21:17)

    …お騒がせをしてしまい、すみませんでした。みなさんのコメントをよんで、非常に参考になりました。
     よしりん先生のブログでもとりあげてくださったことを感謝いたします(ここに記すことではないのかも知れないけれども)
     木村花さんのことは、自分も何となく思い浮かびました。

     学生時代の友人に、「人間は気持ちの良いことしかしない」とか「正義なんて星の数ほどある」という口癖の人がいまして、当時は「?」だったんですが、確かに、錦の御旗を掲げていると、自分が何か大きなバックボーンを持っていて、高尚な深みの中にいるように勘違いして、正しければ何でも言ってもいい、何をしてもいい、という気分にもなる。
     原作改変というのも多分そんなものかもしれないし、キャンセル・カルチャーとか、秋篠宮家批判とか、コロナの件などでも自己正当化につながってしまう。
     しかし、それが自分が思考し、感じ取ってやったことなのかというと…意外にそうではなく、雰囲気や気分、環境に流されていることが多かったりする。自分では「考えたつもり」でも、実はそうではなかった、というのは結構あるのかな、と。
     そして、自分の見ている世界はあくまでも「個人の視点・視界」であり、言うなれば、お釈迦様のてのひらから脱出できない孫悟空のようなもので、全体が見えていないのかも知れないです。物事全体を俯瞰するのは、非常に困難で、不可能なことなのかも知れない…。

     最初、原作改変云々の話を聞いた時には、「原作つきの作品のドラマ化も大変なものなんだな、作者の意向をすべて反映できてないことも多々あるんだな」というありふれた話としか捕らえていなかったんです。それが、次の日になったら、いきなり「原作者自殺」で、「えっ?」と、何が起こったのか驚いてしまい、なんと言っていいか、分からなくなりました。
     (アニメの話になりますが)「鋼の錬金術師」も、最初のと、原作寄りのと2つのアニメ化がされて、ともに評価されているわけで…実写化、アニメ化が気に入らなかったら、そういう手だってあるし…。
     また(ここにコメントされているかたはご存じか分かりませんが)「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」というライトノベル、アニメでも原作改変テーマの話があり、そっちはヒロインの兄と友人たちの尽力で、何とか(作者である)妹の意向が組み入れられた、というような展開だったな、とか。

     やはり、作品をうみだすかたは、(アイデアや締め切りなどで)自分を追い詰めたり、精神的にも参ってしまう場合もあるのかな、とも。でも…いのちは何のためにあるのか、目標や目的を果たすまで、天運がつづくまであがいてみないと、答えは出ないのではないか、と(自分も)思います。
     生まれかわりみたいなことが(かりに)あって、また人閒として生を受けるのなら、また頑張って欲しい、とか思いました。こういう言い方も良くはないのでしょうか。

     …だらだらと駄文を失礼しました。
     まずは、コメント、有り難うございました。
     ほかにも気づかれたこと、感じられたことがあったら、お願いいたします…。
     カレーさんにも、記事として取り上げて下さったことにも感謝いたします。

  • #11

    トカレフ (火曜日, 30 1月 2024 20:32)

    気の毒だとは思いますが、そんな簡単に死ぬなよ……とも思います。

  • #10

    千本通り (火曜日, 30 1月 2024 17:42)

    芦原妃名子さんという漫画家を知らないということを前提で書きますが、ドラマと原作は違うもの、結末が違うものも結構ある。観る側もそれを知って観ていると思うのだが。映画だともっと違うし。傷つきやすい方だったのかな? 合掌。

  • #9

    斎藤家の歌 (火曜日, 30 1月 2024 13:26)

    昭和天皇が「近衛君は弱いね」と言った時と時代は違うので、あまり自死した人を弱いと言わない方が良いのでは、と思います

  • #8

    カフェイン中道区 (火曜日, 30 1月 2024 09:41)

    日テレは原作漫画の改変が酷い所でしたね。
    「ぬ~べ」「ごくせん」「極主婦道」「今日から俺は」「ハコヅメ」なんて酷かったなぁ…
    下手にヒットするから余計にタチが悪い。

  • #7

    枯れ尾花 (火曜日, 30 1月 2024 09:01)

    作品は創作者にとっては我が子みたいに大切なものなのだろうなあと思った次第です。

    ご冥福を御祈り申し上げます。

  • #6

    ひとかけら (火曜日, 30 1月 2024)

    何となく面白そうだったので今回の実写版ドラマのみ見てました。
    女性は家庭的であるべきという古い感覚を持つ男性が家庭的で真面目そうな田中さんに惹かれるというのが最初のストーリー展開でした。
    ところが田中さんがベリーダンスを踊る人だと気付いて男性の男尊女卑的な態度が露わになりました。それでも互いに惹かれ合う男女、サブキャラも上手で面白いドラマだったなと思います。第9話と第10話が原作と掛け離れていたという情報はありますが真相は分かりません。芦原さんは男の生きづらさを表現して欲しかったのではないでしょうか。
    御冥福を御祈りします。

  • #5

    パワーホール (月曜日, 29 1月 2024 23:41)

    メディア側も作品を映像化するなら原作者の意向を尊重してほしいですね。
    この漫画家の方もこれからいろいろな作品を書いていきたかったはずです。
    ご冥福をお祈りします。

  • #4

    新米派 (月曜日, 29 1月 2024 23:30)

    この件のきっかけとなった、脚本家による原作者への批判的言辞を追及する意見も多く見られます。
    ≪原作忠実にという原作者意向を日テレは脚本家に伝達していたのか否か≫が不明なので、脚本家の不満吐露が妥当だったのかどうかも現時点では判りません。

    自殺の主因を、脚本家による批判やネット上の中傷に求める声もありますが、このようなことで死に至ることが一般的ではない以上、脚本家や中傷コメント投稿者を人殺しだとまで言うのは飛躍が過ぎるでしょう。
    もちろん、中傷それ自体は相応に批判されるべきおこないです。
    木村花さん/ryuchellさん/ジャニーズ当事者の会メンバーと、中傷に晒された方の自殺は絶えません。「遺書があっても自殺の理由は断定できない」という意見や、「そもそも私たちのコメントは疑問の検証や仮設の提示、あるいは世間知らずへの説教なのであって中傷ではない」という物言いすら見受けられますので、中傷なんてなかったのかも知れませんし、中傷があったとしても自殺の理由ではないのかも知れませんし、中傷が自殺の理由だとしても人殺しだと気に病む必要はないのかも知れません。
    どちらにしても、批判さもなくば中傷を繰り返していた方々としては、「漫画家ごときが傑作ドラマにケチをつけたり、ケチつけにより売名を企てていたという疑惑が、自殺だったかも知れないという程度のことで有耶無耶になってはならない」と信じているのでしょう。この辺りの反応も今まで生じた自殺事件と同じ流れです。

    SNSの発達により、大衆性の促進及び大衆的行動の急速伝播が極まり、要するに我々が中傷してしまうことのハードルがかなり低くなっています。今後、脚本家への中傷や、中傷コメント者に対する報復中傷が強くなることが懸念されます。別件ですが、この同じ時期に騒動となっている、松本人志さん及び彼への告発者に対しても中傷としか言いようのない表現が多く見られることにも注視せざるを得ません。

  • #3

    mantokun (月曜日, 29 1月 2024 22:55)

    私も、この漫画家さんのこともこのドラマのこともニュースになるまで存じ上げませんでした。数日前に、この方がSNSに脚本家やドラマ制作側と意見の食い違いがあったと苦慮を滲ませた投稿をされたことがネットニュースで取り上げられていたのを見て初めて知ったのですが、その時点でネットではテレビ局や脚本家を激しく非難するコメントであふれていました。

    そのすぐ後に、該当の記事を削除したことが再びニュースになっているのを見て、一瞬心配がよぎったのですが、まさかこんな結末になるなんて…。
    追い詰められて、さぞ苦しいお気持ちだったのだろうと思うと、本当にお気の毒です。何回も話し合いをして、ご自身で脚本の書き直しまでするくらい大切な作品だったのだから、最後まで完成させたかったことでしょう。とても繊細な方だったのだなと、痛ましくてなりません。

    ただ、今回の件を見て、正義を掲げて他者への攻撃を行うことの危険性があらわになったとも感じました。テレビ局や脚本家を非難した人たちは、それが良かれと思ってやったのでしょうが、亡くなった漫画家さんがその様子を見て、まるで自分が他者への攻撃を誘発したかのように思い、余計にショックを受けられたのだとしたら…。

    キャンセルカルチャーへの批判として小林先生は「正義より文化だ」と喝破されましたが、正義を看板に掲げると攻撃に躊躇がなくなり、人は際限なく残酷になるのだということにも通じるのかと今更ながらに思いました。
    恥ずかしながら、その感覚は確かに自分にもあります…。(ほぼ人災でしかない日本のコロナ禍、ワクチン禍や皇位継承問題では、怒りのあまり気が狂いそうになっているので)

    愛子天皇実現を訴える人たちの中には秋篠宮ご一家に苛烈なバッシングを加える人たちも少なからずいて、そういう人たちも自分なりの正義に基づいてやっているのでしょう。
    公論を主張することと、正義を振りかざし他者を攻撃することはイコールではない。非常に難しいのですが、また改めて自分に言い聞かせています。

  • #2

    イシスケ (月曜日, 29 1月 2024 22:44)

    衝撃ですね…。
    第2話の放送をたまたま観て、面白そうだなと思ってそれから最終話まで観ました。原作も読んでみたいと思うほどにとても良い作品でした。
    最終話あたりを原作者の方が直接、脚本されたとは聞いてましたが、そんな事情があったとは…。
    正直、ラストの展開は急過ぎるというか消化不良なところはあったのですが、連載中の作品だし、こういうものか。と思ってましたが、テレビ側と折り合いがつかず時間的にかなり無理して不馴れな脚本を書いたようですね…。自分で書いたとはいえ不本意だったでしょうね。
    自分の作品が違う形にされてしまう苦しみ。表現者の作品への想い。
    私は何かを創り出すことはなく、ただ受け取るばかりの立場ですが、いろいろと考えさせられました。

  • #1

    さとがえる (月曜日, 29 1月 2024 22:04)

    自分はドラマは見ていないのですが、原作者がドラマ化の脚本に納得しないとの一連のポストを見て、問題に思っていました。
    そこで、この話。本当に無念です。

    確か、「推しの子」の作品内でも舞台化メディアックスでも原作者と部会脚本家のいざこざが描かれており、ドラマ化等は難しい問題だと思います。

    テレビ等メディア側は、作品を世に広められるから感謝しろ、のような高圧的な姿勢なのでしょうか…