投稿者:リカオンさん
能登半島地震で車で避難した時の報告が欲しいという要望がありました。
その時から1か月も経過してしまい、さらに災害ボランティアにも出かけたため、報告の順番が逆になってしまいました。
写真記録もなく思い出してイラストに描いたので余計に時間がかかってしまいました。
◆◆◆◆
令和六年の元旦は親戚宅へ新年の挨拶に家族で出かけました。運転は私がしました。
その帰り、夕方家に向かって国道8号線を走っていると家族全員の携帯が「ズイッズイッ」とけたたましく緊急地震速報が鳴りました。
(イラスト1 緊急速報)
そのすぐあと、車のハンドルが取られるように制御が効かなくなり、細かく車体が揺れました。
揺れは長く続きました。
並行して走っていた周囲の車は次々と減速してハザードランプを点滅させて左車線の路肩に停車しました。
私も同様に減速し、他の車にならって路肩に停車しました。
(イラスト2 ハザード)
すぐラジオをNHKに切り替えると女性アナウンサーが津波が来るので海岸から離れるよう連呼しています。
石川で5m、富山で3mの津波の予測と言っているので車内で3人とも自分のスマホで情報を検索し始めました。
私はNHKニュース防災のアプリでNHKのニュースを見ました。
日本海側の海岸線に赤の津波警報のラインが描かれた地図が目に入りました。
自宅のある場所はまさに警報の対象地域です。
(イラスト3 情報)
家族で協議し、海辺の我が家に帰るのは危険かもしれないので、近くの高台まで行こうと車を再び走らせました。
その際津波の予測が富山は3mでしたので、これまで東日本大震災などで予測の3~5倍の津波が来ている例があることも考慮し、3mの3~5倍、つまり9~15mを目安に20m以上の標高ならばとりあえず安全と考えました。
助手席の主人に国土地理院のアプリで標高を絶えず確認してもらいました。
8号線沿いは20m以上だったのでこのまま西へ向かいました。
信号で停止すると、北の海側から大量の車が南の山側に向かっているのが目に入りました。
山側の道路は渋滞になっています。
(イラスト4 避難の車)
「あの大量の車は海側に住んでいる人が山側に避難しているんじゃないか」と私が指摘すると息子がYoutubeで自宅の近くの橋スレスレを遡る津波の映像を見つけました。
↓↓
https://www.youtube.com/watch?v=2rZVkI_A6y8
やはり今家に戻るのは危険と判断し、このまま家の近くで待機するより、むしろ親戚の家に戻って宿泊させてもらった方がいいのではと話合いました。
親戚に電話すると標高40m以上の安全なところにある家にもかかわらず、さらに山側に避難中とのこと。
また、別の親戚は富山県の山間にあるお嫁さんの実家にいるとのこと。
結局親戚を頼らないこととし、当初の予定通り自宅近くの標高20m以上のコンビニに辿り着きました。
ラジオでは既に津波は到達して富山は80cmを記録した、港を波が乗り越えたところがあるとラジオでは言ってました。
想定3mよりも津波は低いなと思いましたが、地震は頻発しており波と波が重なると増幅してさらに高くなることがあるので、警戒は続けました。
(イラスト5 コンビニ)
コンビニは大変混んでいて、既に駐車場はほとんどいっぱいです。
当地は冬場通勤時に雪にとじこめられることがあるため、私はシュラフと毛布と水を一人分、軽食としてビスケットなどを常に車に積んでおりました。
そこで不足する二人分の飲料水と夕食としておにぎりとカップ麺を買い、駐車場で待機しました。
他のお客さんも同じ身の上のようで車は駐車したままで動きはほとんどありません。
私はこのまま車中泊を提案しました。
地震は強さも頻度もだんだん減少してきており、主人は持病の薬を取りに戻りたいと言うので、私も家のことが心配でしたので、必要なものを持ったらすぐに安全なコンビニに戻るという事、主人の車も一緒に避難する事を決めて一時的に自宅に戻ることにしました。
(イラスト6 夜の町)
自宅のある町はいつもより暗く、人の気配がなく静まり返っています。
消防署は消防士に混じって一般人数人と乗用車が数台ありました。
各家は灯も車も無くガラーンとして、たまに車のある家を見つけると2階だけ灯がついていました。
遠くで小学校のグラウンドの照明が点いていました。
(イラスト7 一旦帰宅)
富山市は最大震度5強でしたが、帰宅すると幸い家具は倒れておらず、棚の上のガラス製の食器が一部落ちて床に散乱していました。
家具を壁に固定したり、突っ張り棒などで揺れ止めをしていたのは有効だったようです。
主人は薬や服を持ち出し、私は湯を沸かしてポットに入れ、追加の毛布と服と食料を車に積み込みました。
息子は貼るカイロと万が一のために救命胴着を積み込みました。
主人の車はもともとキャンプ用品が積んであるのでオートキャンプには好適です。車二台で高台のコンビニに再び戻りました。
(イラスト8 夕飯)
コンビニの駐車場で休憩し、カップ麺に湯を注いで夕食としました。
(イラスト9 閉店)
夜の9時ごろラジオで県内コンビニが従業員の安全を確保するため閉店すると報道がありました。
コンビニは戸締りをはじめ、駐車していたお客さんの車もどこかへ移動していきました。
閉店のためトイレが使えない事に困ってしまい、トイレを探しに移動しているうちに、とうとう富山駅に辿りつきそこで済ませました。
再び元のコンビニに戻ると真っ暗で駐車しているのは私たち家族の2台の車だけ。
(イラスト10 車中泊)
外気温は4度くらいでしたがカップ麺と貼るカイロで体が温まり、シュラフや毛布をかぶって座席を倒して仮眠しました。
主人は体調があまり良くなかったので車中泊はきつそうだと判断し、津波警報が解除された夜2時ごろ帰宅しました。
結局早めに戻った事になりますが、いつでも車で移動できるよう車に積んだものはそのままにしました。
ということで車で避難の顛末は以上のとおりです。
車中泊というものの朝まで寝ていたわけではなく夜中に戻ったので真の車中泊と言えるか微妙です。
町の他の住人の多くは翌日の10時に津波注意報が解除されるのを待って戻ってきました。
◆◆◆◆
<避難の判断>
NHKのアナウンサーの避難の連呼、津波予測3m、波が逆流するYoutube動画、港を波が乗り越えたという報道で避難を判断しました。
<他の方はどうしていたか>
〇同じ町内の方(海に近い地域)
・自宅で酒盛りしていた人は徒歩で高台を目指したが(酔っていたので運転できず)避難する他の車の方にピックアップされて高台へ移動
・徒歩で小学校に避難
・親は遠方のショッピングセンターで買い物中で子供は自宅で留守番していた家族。子供を迎えに行きたいと言ってもショッピングセンターにとどまるよう制止され、車を出せず。たまたま車で通りかかった同級生の家族が子供をピックアップし、ショッピングセンターに送り届けた。
・自宅に孫を連れた娘家族が訪れていたので全員で避難し、駅前のホテルに宿泊。
・車で避難した人たちは一斉に同じ高台を目指したため大渋滞になった。
〇富山市中心部以南の方(津波の心配のない地域)
・避難はしていない。
<津波の実際>
津波の規模ですが、実際の高さについては調査中のようです。
近くの漁港は地震と津波の影響で15cm沈み、ひび割れ、定置網の破損などが確認されているようですが、海岸を超えて家屋に迫る被害はなかったです。
また、能登半島先端が震源だと津波到達まで5分かかるそうですが、実際は1分で来たのは地震で海底の砂が土砂崩れを起こし津波を起こしたためと言われています。
もしも富山平野から富山湾にまたがる呉羽断層が動くと震度も7、津波も秒で来るのでその時は車では間に合わず救命胴着しか助かる手段はないと考えています。
◆◆◆◆
日本は災害の多い国ですので、自動車をお持ちの方はいつでもオートキャンプができるようにしておけば、万が一自宅が被災した時でもスムーズに対応できるのではないかと考えます。
その延長線上で趣味のキャンピングをさらに充実させていこうと画策中です。
例えば車の中で体をまっすぐに寝られるように工夫するなど。
長いお話お付き合いいただきありがとうございました。
何か皆様のご参考になれば幸いです。
【関連記事】
◆≪報告≫ 災害ボランティア活動をしてきました(2024年1月27日)
◆≪報告≫ 富山市からリカオンさんからの報告(2024年1月1日)
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勤務医一筋 (金曜日, 02 2月 2024 22:19)
世界的な災害のその国の後報道を見ますと、我が国の国民ははとっても立派な国民である、と今まで思っておりましたが、ピンチになると変わりないんですね。あと、投稿して下さい。
リカオンさんへ。
リカオン (金曜日, 02 2月 2024 21:47)
#19 勤務医一筋さん
コメントありがとうございました。
地元TVでは、避難所開設前に住民が殺到して学校のガラスを割って避難する例が少なくとも23例あったとか。
津波の到達時間が短いので、スピーディーに開設できるように避難計画を見直す必要がありそうです。
これも投稿した方がよいかな?
↓↓
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/964635
勤務医一筋 (金曜日, 02 2月 2024 19:48)
リカオンさん
切実なレポート、ありがとうございました。
ただ、「避難所の中学校の窓破り」は、日本人としてショックでした。
リカオン (金曜日, 02 2月 2024 00:33)
加えるとしたらイラスト4と5の間で山側に行く車列に加わり渋滞にはまる場面と、ICの駐車スペースで様子をうかがっていたらどんどん車が増えてくる場面がありました。
長くなるので割愛してしまいましたが、振り返るべき事例としては入れておいた方が良かったかも。
#17たこちゃんさん
コメントありがとうございました。
冬季北陸でJPCZ(日本海寒帯気団収束帯)が発生する時期の対策として、毛布、食料、水の他に、スコップ(マフラーに被った雪を取り除き一酸化炭素中毒を防ぐ)、スノーヘルパー(雪にはまったタイヤを脱出させる)、簡易トイレを積んでいます。雪に閉じ込められてしまいますので。
たこちゃん (木曜日, 01 2月 2024 16:53)
思い出すこともお辛いでしょうに、報告ありがとうございます。
日々の準備しておくことの大切さが、よく分かりました。
冬季に、車で北陸方面へ出かける際には、毛布やちょっとした食料の準備を忘れない
ようにしたいと思います。
かわじ (木曜日, 01 2月 2024 12:29)
ご報告読ませて頂きました!
ありがとうございますっm(__)m
自分も最近、冬用寝袋(マミータイプシュラフ)を購入したのですが、冬キャンプイベントで使ってみたら、普通の封筒型寝袋と違ってかなり暖かかったですね。あと下に敷く折り畳みマット。
これだけでだいぶ、冬空の下で寝付ける確率は変わるなと思いました。
装備もそうですが「事前にどう動くか」をシミュレートしておくのも大事なんですね。
勉強になりますっ( ..)φ
リカオン (木曜日, 01 2月 2024 00:20)
皆様コメントありがとうございます。
記録として評価していただいた方もおられますが、長くなるので端折っております。
一時渋滞に巻き込まれそうになったので戻って空いている場所に移動し、とにかく安全な標高で渋滞の少ない場所で時間をつぶし、地震と津波が減衰するのを待っていたので、そのあたりは割愛しております。案外その事も大事だったのかな?
TVで検証番組もやっていたので見たところ、かなりあちこちで渋滞を引き起こしていたようです。また第二避難所の中学校が閉まっていたので、地域の大勢の人が中に入るためにガラス窓を割って入ったりとかなり混乱していた様です。
地方都市なので大都市に比べて混乱の規模は小さいですが、どこでも似たような事は起きると思いますので、皆様も参考にしていただければ幸いです。
トマト (水曜日, 31 1月 2024 23:06)
貴重な体験を文字とイラストで伝えてくださりありがとうございます!
文章にもイラストにも引き込まれました。
あるでぃー (水曜日, 31 1月 2024 20:31)
大変な貴重なご報告をありがとうございます。この地震大国に住む多くの人に役立つ記録だと思います。(さらに広く公に共有される価値を感じました!)
リカオンさんの詳細な記述とイラストで、その時の緊迫した様子が非常にリアルに伝わってきてました。madokaさんもそうでしたが、ご家族の体調不良の中での避難、不安を抱えながら平常心で切り抜けられたことにも感服です。日頃の備えと心構え、突差の適切な判断と行動、情報収集スキル、地域の繋がり等々ちょっとしたことが生死を分ける事も改めて実感できました。
我が身を振り返ってみると、諸々と不足してるなーというのもひしひしと再認。リカオンさんを見習って、まずはNHKの防災アプリを先程携帯にインストールしました。今さらですが(~_~;)
枯れ尾花 (水曜日, 31 1月 2024 09:42)
リカオンさんは私とは同世代だと思いますが、その行動力には敬服させられます。
非常時のこと、このように冷静に記憶、記録出来るか、甚だ心許ないです。
やん (水曜日, 31 1月 2024 08:33)
リカオンさん、詳細な報告ありがとうございます。
津波に対して予断を持たず行動されていて、今後に役立つ内容だと思います。
周りの方もパニックになってる様子も無いのが印象的です。
はな丸 (水曜日, 31 1月 2024 08:24)
興味深く読ませていただきました。
私もキャンプ好きで、いざ災害が起きた時にコレが役立つな、アレをどう使おう、などと考えますが、自宅を短時間で脱出する必要がある事態に至ったときどうするか、とはあまり考えてませんでした。
最低限クルマに常備するべきなのか?
考えさせられます。
牛乳寒天 (水曜日, 31 1月 2024 07:41)
イラスト10の、車中泊俯瞰の図が特に秀逸です。絵の上手さと観察眼が鋭く、歓声でちゃいました。
状況説明も大変わかりやすかったです。
絵を描くことの色々の可能性を感じ、私が頑張ろうと思えました。
リカオンさん、ありがとうございました。
パワーホール (水曜日, 31 1月 2024 07:13)
リカオンさん
詳細な記録ありがとうございました。
早く被災地と被災者の方々に平穏な日常が戻りますように。
あしたのジョージ (水曜日, 31 1月 2024 06:22)
貴重な報告ありがとうございました。
地震も怖いですが、津波も怖いですね。
そんなに早く津波が来るとは。
機転を利かせた行動判断で、かなり違ってきますね。
リカオンさん家族の判断は良かったのではないでしょうか。
普段からの備えは大事ですね!
(と言ってる私はほとんど何も備えてません。•́ ‿ ,•̀)
ひとかけら (水曜日, 31 1月 2024 05:03)
迅速な判断と危機を脱する能力、リカオンさんと御家族を始め日本人の強さを感じます。
サン (水曜日, 31 1月 2024 01:19)
大変ななかご報告ありがとうございました、興味深く読ませていただきました
コンビニ駐車場から一時的にご自宅に戻られるところなど、面白がってはいけないと思いつつも引き込まれてしまいました。。
避難の判断、他の人の様子、津波の実際なども気になっていたので参考になります
ありがとうございました
平井 智也 (水曜日, 31 1月 2024 01:06)
避難レポート、ありがとうございました。
一刻を争う時、判断力がものをいうのだと読んでそう思いました。緊張、焦りの連続だったことでしょう。無事で改めてホッとしています。
うちの子どもたちが小さい頃、家族で毎年夏に朝日町のヒスイ海岸に泊まりで海水浴に行ってました。海岸のコテージで寝るのですが、冗談で私が「津波が来たら一家消滅だぞ」なんて家族に言っていました。
日本海側は、その地殻の特徴や大陸との距離の近さで波の跳ね返りがあることなどから、津波到達までの時間が短いとニュースで知りました。その土地土地での災害の固有性を情報として頭におきながら、いざという時のために役立てたいですね。
さとがえる (水曜日, 31 1月 2024 00:16)
ご報告ありがとうございます。
現場からのご報告、非常に読みごたえがありました。参考にさせていただきます。
まいこ (水曜日, 31 1月 2024 00:07)
詳細な記録をありがとうございます。神社仏閣などに残された先人の痕跡のように、後世に残すべき歴史的価値のあるものになってゆくと思います。
小夜侘助 (火曜日, 30 1月 2024 23:55)
リカオンさん
ご家族の体験を共有してくださり、ありがとうございます。皆さんがご無事で本当によかったです。
まるで自分もその場にいたかのような感覚になりながら、読ませていただきました。
子どもと離れ離れだった親御さんがどれほどの恐怖と、再会できたことにどれほどの喜びを感じられたかを思いました。
早く水道が復旧してほしい。他は何とかなっても、水が本当に困りますから。