投稿者:ねこ派さん
愛子さま、ご就職おめでとうございます。
ご就職先は日本赤十字社で、この春から勤務される、とのこと。
そんな愛子さまは、間もなくご卒業される学習院大学文学部では、日本の古典文学をご研究の対象に選び、ことに平安時代の歌人・西行に心を寄せられているとか。
私は、古典文学を朗読するのが好きで、著名な歌人の和歌などを、時間のある時に声に出して読むのが、ほとんど習慣のようになっています。
なかでも、西行の和歌は、かっこいい。
『コレクション日本歌人選048 西行』(橋本美香著 笠間書院)
この本は、著者が西行の和歌を数十首選んで収録し、解説を付けている本です。
そこでは、天の岩戸をモチーフにして作った西行の和歌が、二首、紹介されています。
「岩戸あけし天つ尊のその上に桜を誰か植ゑ始めけん」
「天の原同じ岩戸を出づれども光異なる秋の夜の月」
実は、これまで幾度も、私は、声に出して読んでいながら、この二首を、見過ごしていました。
この二首に気づかされたのは、つい最近です。
著者によると、「天の岩戸」は、和歌のモチーフとしてはあまり使われない、とのこと。
そんなモチーフで和歌を作った西行を、愛子さまは好まれている。
国民の絶対的大多数は、愛子さまが皇太子となり、ゆくゆくは天皇に即位されることを願っている。
あたかも、皇祖の女神・アマテラスが籠られた、天の岩戸が開かれるのを願うが如く。
西行と、天の岩戸(開き)と、愛子さま。このつながりは、偶然ですかね?
西行は、アマテラスを祀る伊勢神宮を詠んだ和歌もあります。
確か、ゴー宣『天皇論』で、紹介されています。
これです。
「何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」
蛇足ながら、私が好きな西行の和歌一首を。
「風に散る花の行方は知らずとも惜しむ心は身にとまりける」
春爛漫、咲き誇った桜の下、しかしピンクの可愛らしい花びらが、ひらり、ひらりと舞っている中、愛子さまがご卒業なされ、次のステップに進むお姿が、目に浮かびます。
(管理人カレーせんべいのコメント)
ゴーマニズム宣言で西行法師の歌が紹介されたのは「ゴーマニズム宣言第15巻」の第219章ですね。
(出典:ゴーマニズム宣言 第15巻
第219章「そうだ、伊勢神宮に行こう」)
僧侶がカミに対して「かたじけなさ」を感じるところに、”ホンモノ”を感じます!
実に感動的です。
そして私たちも、愛子様に対して「かたじけなさ」を感じています。
それでいいんだよな、それで。
それが”ホンモノ”だから。
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ねこ派 (水曜日, 14 2月 2024 21:55)
声に出して読むときのご参考になればと思い、以下に書き記します。
「岩戸あけし天つ尊のその上に桜を誰か植ゑ始めけん」
(音読:いはとあけし あまつみことの そのかみに さくらをたれか うゑはじめけん)
「天の原同じ岩戸を出づれども光異なる秋の夜の月」
(音読:あまのはら おなじいはとを いづれども ひかりことなる あきのよのつき)
実は、私は、解説文はあまり読んでいないのです。また、数十首の各和歌には、それぞれ現代語訳が添えられているのですが、こちらにも、私は無頓着。和歌を何遍も、ただただ、声に出しているばかり。何遍も読んでいるうちに、雰囲気は掴めるに違いない、そして自然と憶えてしまえるだろう、という魂胆でおります。
ただ声に出しているだけでも、西行の和歌は、ビビっと来るものがあります。感動します。
パワーホール (水曜日, 14 2月 2024 17:20)
傾奇者で知られる高杉晋作も西行を尊敬しており一時期「東行」を名乗っていました。明治維新後に僧侶の参拝が許されたとのことですが、その際に女系継承をしっかり認めておけばよかった。
牛乳寒天 (水曜日, 14 2月 2024 10:32)
愛子様も、このサイトに集う方々も、造詣が深く素晴らしいと思います。私は西行法師を教科書に出ていたな…くらいにしか気に留めておらず、和歌や古典もほとんど馴染みなく過ごしてしまいました。日々の読書や勉強の中で、心が豊かになるような文化にも触れていきたいです。
まいこ (水曜日, 14 2月 2024 08:47)
素敵な投稿、ありがとうございます。
愛子さまは2022年に西行展をご覧になっていらっしゃるのですね。
https://www.youtube.com/watch?v=8Gn9fDdTGVM
「天の原同じ岩戸を出づれども光異なる秋の夜の月」
御紹介の西行の歌、天岩戸から月という発想が意外で、手元にあるビギナーズクラシックス「西行」を開いたところ「伊勢」という項目がありましたので、引用してみます。
***
神路山月さやかなる誓ひありて 天の下をば照らすなりけり
(天照大神は人々を救うために、神路山の光清かな月として現れようと誓願なさった。だからこの月は格別に清かに天下を照らしているのだ)
中世神道の思想を西行は伊勢在住期に享受したようである。院政期に成立したという両部神道書『天照大神儀軌解(宝志和尚口伝)』には、伊勢神宮の内宮・外宮両宮を日月輪に対応させて、天照大神は日輪、豊受大神は月輪であると述べるが、宝志和尚の頌に応じて、天照大神は天の岩戸から日月輪として顕現したとある。…西行在住時の伊勢で何らかの形で浸透しつつあった思想だったのであろう。和歌に「日月」を同時に読むのは難しいので、日輪(太陽)だけでなく、この「神路山の月」も天照大神の誓願の証しとして清明なのだ、と詠んだことになる。
宮柱下つ岩根に敷き立てて つゆもくもらぬ日の御影かな
(伊勢神宮は、神殿の柱を大地の堅固な岩盤深くにしっかりと立てていて、天上からは曇りひとつない日の光が射し込んでいる。)
など、西行も天照大神の神威としては日輪を詠むのが通例である。『西行 魂の旅路』西澤美仁 編 124-125p
***
天照大神が日月輪として顕現したという思想を元に、西行は天の岩戸の歌を詠んでいたのですね。
愛子さまには、日も夜も、世の中を照らしていただきたいと感じました。
うねめ (水曜日, 14 2月 2024 04:19)
西行は自然な、でも強い尊皇心がある人なんですね!
この本読んでみたいです。