投稿者:まいこさん
管理人さん、24日土曜日、喫茶ヲワカでお会いできるように調整して下さってありがとうございます。
細川ガラシャ&高山右近のキリシタンの足跡と、大極殿址をめぐり、中之島公会堂を観て、中之島美術館でモネ展鑑賞の後、午後3~4時位にお伺いできればと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
前回、年末に大阪を訪れる際に計画していたルートを、今回、実行に移そうと思っているのですが、キャンセルカルチャーの話題で、ファンサイトを訪れるのが辛くなる方がいらっしゃるというお話から、このルートにキリシタンの足跡や洋館と、キリスト教文化圏の文物が並んでいるなあと、改めて感じました。
戦国時代からのキリシタンの足跡は、愛知にも多く残されており、日本の既存の宗教に救われなかった人々が信仰を貫こうとした志そのものは、尊いように感じています。
何より、ステンドグラスのある教会や、レンガ造りの洋館は、格好よくて絵になるので、大阪の中之島近辺を歩くのは、とても楽しみなのです。
出雲の阿国がロザリオを首にかけていたのも、当時からキリスト教の文物は格好よいと見なされていたということ。
バレンタインデーも、愛する人を故郷に残すと兵士の士気が下がると結婚禁止令が出ていたローマで恋人たちを結婚させて死刑となったバレンタイン司祭が聖人となったことに因んだという日で、クリスマスと同様、日本人はキリスト教という文化を、受け入れやすいところは自然に受け入れていますね。
愛知には明治村という、主に明治時代の建物を集めた野外博物館があり、年に何度か訪れるのですが。
戦後、老朽化等で次々に壊されてゆくのが忍びないと、名鉄が主体となって誕生した場所で、現在も当時の遺構を楽しめるようになっています。
先生が大パーティを行おうとしておられる現在の帝国ホテルの前身、フランク・ロイド・ライトの設計した旧帝国ホテルや、京都に建てられた聖ザビエル天主堂など、キリスト教文化圏の影響の大きい洋館も沢山あり、コスプレをした若い方々が撮影に集まる姿は、出雲の阿国と同じだなあと。
ディズニーランドやUSJも、キリスト教文化圏のアトラクションですが、多くの日本人を楽しませてくれていますね。
キリスト教文化が、特に性文化においては日本とは違う思想であることは認識しつつ良いところは受け入れる。
大らかに楽しむのも日本の文化ではないかなと思います。
(管理人カレーせんべいのコメント)
本当に素晴らしい論考です。そして根本的に優しい。
先週のYouTube生ライブでもお話しましたが、キリスト教徒のゴー宣ファンの方が、当サイトを見るのがつらくなったという人がいました。
https://www.youtube.com/watch?v=XrAP_oGAJw4&t=5710s
もちろん「日本の歴史に基づく感覚」と「キリスト教的グローバリズム」の対立について、思想的に警戒することはあります。
しかし私自身、キリスト教そのものを敵視したり、キリスト教をキャンセルしようと企むことは無いです。
なぜなら「キリスト教徒の中に私が好きなゴー宣ファン達がいるから」です。
・・・そんな風に考えていたので、まいこさんの論考が、とても心に染みました。
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まいこ (火曜日, 20 2月 2024 22:01)
投稿採用とコメントいただきありがとうございます。
グッビオのオオカミさんの投稿や御発言、いつも学ばせていただいています。
特に2022年8月6日「ウクライナ戦争の真実」オドレら正気か?横浜LIVEでは、①経済制裁について②ロシア正教会との関係、神格化について③大ロシア主義(モンゴル帝国・ローマ帝国)について、端的に質問していただき、頭が整理されると同時に、ハンドルネームの由来と共に、いつか直接、お話を伺ってみたいと思うきっかけになりました。また是非、ファンサイトで御名前を拝見させていただきたいです。
グッビオのオオカミ (日曜日, 18 2月 2024 20:47)
なるほど。なおジョカさん、さすがやなあ。
私はまだまだ未熟者ですわ…イカンイカン。
まあ、落ち着いてぼちぼちやります。
なおジョカ (日曜日, 18 2月 2024 18:37)
そのような背景があっての、まいこさんのこのような論考に、心なごみます。ありがとうございます。
僕はクリスチャンですが、ファンサイトの内容に辛いと思ったことはありません。よしりん先生やゴー宣が語るところの「キリスト教的倫理観」と、本来のキリストの教えは異なると思っています。
また、自分の信仰が否定されるような思いも一切していません。信仰とは一面的なものではなく、非常に複合的なものであると思います。僕自身、倫理観を重んじますが、だからと言って多少の不品行がキャンセルカルチャーに行っちゃうというのは、非常に短絡的で愚かだということぐらい、常識で認識できると自負しています。
新約聖書を重んじる立場であれば、パウロの教えを尊重するでしょう。しかしパウロは、今の時代からすれば時代錯誤的な、男尊女卑的なことを語っています。
第一コリント14:34‐35にはこのように書いてあります。
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婦人たちは教会では黙っていなければならない。彼らは語ることが許されていない。だから、律法も命じているように、服従すべきである。
もし何か学びたいことがあれば、家で自分の夫に尋ねるがよい。教会で語るのは、婦人にとっては恥ずべきことである。
--------
この言葉から、「キリスト教はろくでもない」と非難されたとしても、僕としては、「時代がちがったんでしょう…。」というほかありません。僕にとっては、パウロの言葉よりもキリストの言動のほうがはるかに大切です。信仰の対象はキリストですから。
同じように、後世に築かれた「キリスト教的倫理観」は、本来のキリストの教えとは異なるということは多々あると思います。
グッビオのおおかみさんが分かち合ってくださった善きサマリア人の話は、僕も大好きな話です。一君万民の日本人であれば、容易に理解できる話です。しかしキリスト教徒が歴史的にどれだけの人種差別をしてきたことか・・・。
姦淫を犯した女は、モーセの律法では石打ちにしろと言われているが、あなたはどうするか、と偽善者どもに試されたとき、キリストは、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい。」と言われました。これこそがキリストの教えの本質です。つまり、「寛容」や「赦し」が、より上位な価値観です。異常なほどに潔癖で品行方正なキャンセルカルチャーとは真逆ではないでしょうか。
僕はこのような理解をしているので、「キリスト教的倫理観」をいくら非難されたとしても、「当たり前ですよねぇ」としか思いません。不良なクリスチャンなだけかもしれませんがね。
潔癖なパリサイ人や律法学者に反逆して殺されたのがキリストです。
「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。 わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」と言われたのがキリストです。「病人=罪人」をひたすらキャンセルする側にキリストが立つわけがないと思うのです。
改めて言いますが、「キリスト教的倫理観」と、「イエス・キリスト」とは、明確に異なると僕は断言します。そして僕が信じているのは、「キリスト教的倫理観」ではなくて、「イエス・キリスト」です。
リカオン (日曜日, 18 2月 2024 12:09)
グッビオのオオカミさん
お応えいただきありがとうございます。
Xの方ではご活躍されているのを拝見しておりました。
キャンセルカルチャー関連では色々と思われる事があったのですね。
決してグッビオのオオカミさんの事について書き込んでいる訳ではなくともグッビオさんの心に傷をつけるような行いを知らず知らずのうちにしていたかも知れません。
またゴー宣道場や大宴会やヲワカなどでお会いしてお話できればなと思います。
グッビオのオオカミ (日曜日, 18 2月 2024 06:53)
あるでぃーさん、ひとかけらさん、ありがとうございます。
美智子様がまだ民間に居られた若い頃…
美智子様は聖心女子学院のご出身だったと思います。
同期か後輩に犬養毅の娘の犬養道子さんもいたんじゃないかな?
聖心女子学院は聖人と公式に認定されている修道女マグダレナ・ソフィア・バラが始めた女子修道会「聖心会」が母体ですね。
美智子様が上皇陛下とご結婚されてからはやはり立場上、こういう事を前面に出す事はなさいませんが、その体験もまた貴重な経験の一つになっていると思います。
思えば、私もあまり詳しくはありませんが、日本赤十字社の名誉総裁をされ、それは雅子樣にも引き継がれていますね。
イスラム教文化圏の国々では赤十字社では無く、赤新月社が活動します。
赤十字社というのも、キリスト教文化の"名残り"ではありますね。そのものではありませんが。
大学案内 | 聖心女子大学
https://www.u-sacred-heart.ac.jp/about/
聖マグダレナ・ソフィア・バラ修道女
Laudate | 聖人カレンダー
https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=052504
聖心会日本管区
https://www.sacred-heart.or.jp/
ひとかけら (日曜日, 18 2月 2024 03:21)
グッビオのオオカミさん:#7
カーニバルの由来大変興味深かったです。どんな人間でも聖の部分だけでは疲れてしまうので俗に行って息抜きと気分転換が必要ということですね。
サマリア人の例えも久しぶりに聴きました。関わりあいになると厄介だからだとか見て見ぬふりして追い剥ぎにあった人を助けようとはしなかった人達より助けたサマリア人は良き隣人だったのは明白ですね。
これこそ個人として神に繋がり自由に人助けできる人間の見本だと思います。
あるでぃー (日曜日, 18 2月 2024 01:37)
誤字訂正です。ああ、また、、、(><)
カットリック→カトリック
あるでぃー (日曜日, 18 2月 2024 01:31)
「キリスト教というカルチャー」の論考、投稿もコメント欄もとても考えさせられました。グッビオのオオカミさんのキリスト教の「ホスピタリティー」についての下りを拝読し、皇室のことで一つ思い起こしたことがあります。
皇室のことにも宗教のことにも浅薄な知識しかないのに物申すのも正直ためらわれるのですが、、、、美智子様、雅子様のお二人ともが、カットリック精神を学校教育に積極的に取り入れている事で有名な名門ミッションスクールで小中高を過ごされており、共に慈愛に満ちたお人柄というのは、偶然とは言え少々興味深いなーと感じております。
憶測ではありますが、美智子様や雅子様には、ご家庭の教育や元々の人間性の素晴らしさもありますが、学生時代に育まれたキリスト教の「ホスピタリティー」の精神も深く影響しているのではないでしょうか?(と、勝手に感じております。)
特に美智子様は「学生時代に学校で出会ったアイルランド人のカトリック教会修道女たちに深い思いを寄せており、一人ひとりの顔と名前を今、なお鮮明に思い出すことができるという」(ウィキペの情報です^^;おそらくご著書にそのようなお言葉があるのかと思いますが)。
カトリックの修道女でホスピタリティーの権化?と言えばマザーテレサですが、美智子様が深い思いを寄せられるぐらいだから、学生時代の修道女もそのようなホスピタリティー溢れた方々だったのでしょうか(さらに憶測〜)。
何にせよ、多感な少年少女時代に感銘を受けたものは、その後の人格形成に大きく関わってくると思います(おぼっちゃまくんど真ん中世代の40代のゴー宣読者のように)。
美智子皇后のご公務での実践をずっと目の当たりにしてきた者としては、その元来のホスピタリティー精神と、「光明皇后の開いた悲田院、施薬院から始まった皇室の福祉の伝統」(『ゴー宣・天皇論平成29年』p117 目下読者中⭐︎ )とが深く共鳴し、皇室のこの良き伝統が平成の御代にさらに強化されていったのかもと想像してしまいます。「キリスト教の中の良きもので且つ日本に馴染むもの」と「日本の皇室の中の良き伝統」の結びつきというか。。。憶測、飛躍し過ぎているかなー。
グッビオのオオカミさん、いつも考えるきっかけになるような投稿、コメントをありがとうございます!まずはどうぞ御身大切になさってくださいませ。
グッビオのオオカミ (土曜日, 17 2月 2024 22:28)
#3の続きの2つ目です。
◎日本社会の一部となったキリスト教由来の文化について
単語「カーニバル」について。
イースター(復活祭)は今年は3/31になります。
2/14はその46日前で「灰の水曜日」というのを迎えます。
灰の水曜日という、額に司祭から灰を塗布される特殊なミサの後、大斎と小斎と言って、肉を食べないなどの節制をします。
現代は病人や妊婦、肉体労働に従事する人らは免除されますが、復活祭の準備期間として過ごすのです。
その節制の意味は長くなるので立ち入りません。
その前日には…教会の方針とは全く関係無しですが…
火曜日にはしばらく肉が食べれなくなると、"肉よさらば"と、カーニバル「謝肉祭」をやる習慣が自然と出来たのです。
庶民なりの発散と生活の知恵ですね。
彼らは彼らなりに、聖と俗の行き来を「恒例行事」として楽しんでるのでしょう。
ブラジルのカーニバルは有名ですし、謝肉祭というのはクラシックの曲名にもあります。
キリスト教と直接関係はありませんが、キリスト教の暦との関係で生まれた言葉と慣習ですね「カーニバル」。
(出典)
【四旬節 断食(大斎・小斎)とは? | カトリック中央協議会】
https://www.cbcj.catholic.jp/faq/lent/
◎新約聖書と日本社会とワンコと修道士
新約聖書の中に福音書というのが4つあります。
福音書とはイエスの伝記ですね。何故4つもあるのかは、話すと長くなるので割愛します。
その中に、ルカ福音書と言うのがあります。
ルカ福音書を書いたルカとは、ギリシャ人の医師でパウロの後輩に当たります。
ルカ福音書はユダヤ人相手の福音書では無く、ギリシャ人やローマ人相手に書かれた福音書で、そのせいか異文化の人間にも分かりやすい様に"たとえ話"が多いのが特徴です。
そのたとえ話の中に「善きサマリア人のたとえ」というのがあります。
ゴッホやレンブラントがこれを題材に描いた有名な絵もあります。
当時、北部のユダヤ人と南部のサマリア人とは隣国同士で憎みあっており、宗派も違っていたと言われています。
たとえ話はこんな話です。
イエスが神を愛し、隣人を愛しなさいと説いた時に「隣人とは誰か」と聞き返す人が出て来ます。
その彼にたとえ話をし始めます。
追い剥ぎにあい、道端に重症を負った男が倒れていました。
同胞のユダヤ人が横を通ると、スルーしてしまいます。また、ユダヤ人の祭司が来ると、汚れを避けるかの様に道の反対側を通ります。
そして、サマリア人の男性が通ると、足を止め重症を負った男性を介抱し、宿屋に預け金を渡し「また、足りない分があれば言ってくれ」と言い残し、去って行きます。
イエスは尋ねます。
この3人の中で倒れた男性の友となったのは誰か?
相手は答えます。
3番目のサマリア人だ、と。
こんな話です。
中世のヨーロッパには聖地を巡礼する人がいました。修道院などでは巡礼者に宿を貸し、困難な長旅を支える事を「善きサマリア人のわざ」と呼ばれ、ました。(これは以前のゴー宣にあった、昔の日本の"お伊勢参り"の姿を想像したら分かりやすいと思います)
こうして生まれたのがホスピスというラテン語で「客人の保護」を意味します。
hospitālis(お客様の保護)
いわゆるホスピタリティですね。
それがゲストとホストという関係性の宿泊施設「ホテル」の語源となります。
またホスピタル「病院」の語源ともなりました。
元は巡礼に宿を貸す修道院などの習慣(現代ではさすがにやってる所はもう無いでしょう)が由来で、その行為はルカ福音書が由来です。
さて、修道士の中には、著作や指導や生き方の中で聖人と公式に認定された人物がたくさんいます。
その一人にベルナルドゥスという人物がいます。
有名な修道士で彼の名を冠する地名なども出来ます。
イタリアとスイスの国境附近にはアルプスの山岳地帯があります。
そこにベルナルドゥスの名を冠する「グラン・サン・ベルナール峠」というのが、ありました。
アルプス山脈のグラン・サン・ベルナール峠では雪が深くなると、遭難しそうな人が出ます。そこでその地域の修道院では大型犬に酒樽を持たせて救助に向かわせました。
その犬が聖ベルナルドゥスを英語読みした「セントバーナード犬」です。
セントバーナード犬は今でも、人気がある犬種でしょう。
ルカ福音書の「善きサマリア人のたとえ」から巡礼を保護する習慣が生まれ、その習慣がホテルと病院を生みました。
また、その名残りがセントバーナード犬です。
長々と無駄なウンチクでしたが
「キリスト教もたまには良いこともするんよ」
とだけ、申し上げさせて下さい。
また、その名残りは何気なく現代社会にも残っているのですね。
セント・バーナード - Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%89
ホテルの語源 - ほ | 新・ホテル&ブライダル用語集 | ホテリエガイド
https://www.jhs.ac.jp/guide/glossary/3618.php#:~:text=%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB%E3%81%AE%E8%AA%9E%E6%BA%90%E3%81%AF%E3%80%81%E3%80%8C%E6%97%85%E4%BA%BA,%E5%AE%BF%E6%B3%8A%E6%89%80%E3%80%8D%E3%82%92%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82
善きサマリア人のたとえ - Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%96%84%E3%81%8D%E3%82%B5%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%88
お疲れ様でした。
グッビオのオオカミ (土曜日, 17 2月 2024 20:40)
#3
の続きです。2つに分けさせて下さい。
◎カレーせんべいさんの動画のコメントについて。
カレーせんべいさんが先日の動画配信(スレッド上段にある箇所)で言っておられた事は基本的に正しいと
思います。
知り合いにキリスト教徒がいるからキリスト教を批判するな、とは絶対に言えないし、また言うべきですら無いと思います。
私だって、コロナ禍で医師会や医学会や厚労省の批判はしたし、医療不信すら書きました。
いちいち書かないだけで、私の言葉に傷ついた人も中にはいたかも知れません。
ジャニーズ問題や統一協会問題やウクライナ問題もまた然りです。
自分もまた知らずに他人を傷付けた可能性はあります。
ただ、自分なりに批評と誹謗中傷の差を考えると…
「必要」な事かどうかが大切だと思います。
本当に必要な批評には相応の「意図」と「根拠」があるでしょう。
また、言葉に一定の「責任の自覚」があるものだと思います。
必要な事で意図と根拠が明確。責任を持つ。
ならばまた本当に「必要な事」ならば、キリスト教の批評や批判は気を使わずに今後もやって欲しいと思います。
※ちなみに別スレッドで怒っているアンチの行動に必要性や意図や根拠はあるか?責任の自覚はあるか?…まあ、無いのでしょうね。
実は椎野カロリーナさんの事を投稿した時に、「本当の日本人とは何か?」と考えると、キリスト教徒は「準日本人」になるのか?と、疑問に思いました。
椎野カロリーナさんは日本国籍を持ち、日本語で考え話し、日本で育ったら日本人。
そう皆さんは言いますし、全くその通りだと私も思います。
では彼女がキリスト教徒なら?その評価は変わるのでしょうか?「人権真理教の"ザビエル派"」として扱われ無いといけないのでしょうか?
どこかの檀家になって仏壇を持って仏教徒にならないと日本人では無いのでしょうか?
…まあ、そんな訳は無いですね。
日本文化のルーツを知り、人権とグローバリズムのルーツを考察する「日本人論」
大事な事を書いていると思いつつ、そんな葛藤をあまり話せずに、いたのです。
まあ、全て自分自身の問題です。
ちょっと消化する時間を下さい。勝手を言います。
パワーホール (土曜日, 17 2月 2024 18:28)
グッビオのオオカミさん
お久しぶりです。無理をなさらないでください。
リカオンさん
日本は自然との共存を大事にしてきたということはとても大事だと思います。そのおかげで、菌類による発酵食品の恩恵も受けてきました。日本人は、マスクとワクチンよりか自然の一部でもあるウイルスや菌類との共存について考えてほしいですね。とくに感染症専門家は感染対策の名のもとに微生物を敵視するだけでなく日本古来の価値観にもめをむけるべきです。
まいこさんのコメントにコスプレについて書かれていますが、私もコスプレの源流は出雲の阿国だと考えています。別のところでコメントしましたが、「カワウソに」のコスプレにチャレンジしたいです。
サン (土曜日, 17 2月 2024 14:46)
グッビオのオオカミさん、そうだったんですね、そんななかコメントありがとうございました
何卒何卒ご無理なさらず。。。
グッビオのオオカミ (土曜日, 17 2月 2024 12:18)
ご無沙汰しています。
仕事と生活が今、本当に忙しく書き込みと投稿が出来ていません。
それと、ジャニーズ問題に端を発するキャンセルカルチャー問題は本当に深刻です。
日本人のルーツを含めた問題としての日本人論。
その過程で読者の側も「日本に馴染まないキリスト教」や「植民地支配の尖兵のキリスト教」や「男尊女卑のキリスト教」や「性に潔癖で不寛容なキリスト教」などの言葉を何ヶ月も聞き続けて、私が個人的に疲れたのは正直な所です。
今は少し休んでいます。
ただファンサイトは読み続けているし、アンチ行為をする気は一ミリたりともありません。
何故ならそれは自分自身の問題であって、誰かのせいでは無いからです。
昼休憩が終わりますね。仕事に戻ります。
残業遅くなりそうですが、夜にまた続きを書かせて下さい。
ひとかけら (土曜日, 17 2月 2024 07:51)
イエス・キリストは女性や子供、徴税人とか社会的に当時疎まれていた人々と積極的に関わり福音をもたらす人生を送りました。
キリスト教最大の布教者であるパウロは元々はイエスを迫害していた権力者やファリサイ派や律法学者側の人間で旅先でイエスの幻を見てキリスト教を述べ伝えるようになったと言われてます。
キリスト教がローマの国教になり巨大化して
国民や信教者を統制するために利用されたと見ることも出来ます。イエスは福音書の中でも言われているように大食漢で大酒飲みです。人々を自由にし救い出すためにイエスは存在しパウロは組織としてキリスト教を盤石にするために活動したと感じます。
しかし、イエスの福音も必要だし、パウロの考え方も容認出来ます。何故なら人に欠点があっても受け入れる寛容さが世の中には必要だからです。
リカオン (土曜日, 17 2月 2024 07:21)
日本は元々持ってい自然を信仰する多神教から様々な宗教の良いところを少しずつ取り入れながら文化を作ってきた。一神教の神様まですらたくさんの神様のひとりとして取り込み、良い教えを得ている。
まいこさんはその歴史の跡を訪れて、キリスト教と日本の関係を辿ろうというお気持ちなのですね。
感想の報告をしていただければ嬉しいです。
統一協会の問題ではマスコミでは小さくしか取り上げられないたくさんの記事を掘り起こして紹介していただき、大活躍されていた方がおられました。
ゴー宣道場でお会いして直接お話した時はなんて優しい方なんだろうと思いました。
再びお会いできたら、そして再び私達が見落としている記事を紹介していただけたらと願っております。