「光る君へ」でゴー宣やおぼっちゃまくんを思わせたシーン

 

投稿者:まいこさん

  

『光る君へ』第7回「おかしきことこそ」の散楽のシーン、ゴー宣や「おぼっちゃまくん」を思わせました。

 

『光る君へ』毎熊克哉だから成り立つ直秀の“優しさ” 身分違いの“同士”道長はどう動く?

https://realsound.jp/movie/2024/02/post-1576796.html

 

 

道長(柄本佑)への想いを断ち切れず、没頭できる何かを模索し始めたまひろ(吉高由里子)は、散楽の台本を作ろうと思い立つ。

ある日、まひろは直秀(毎熊克哉)を訪ね、自分が考えた散楽の筋書きを伝えた。辻で披露されることになったまひろの演目は評判を呼び、民たちに笑顔を与える。

 

***

 

神に化けた白塗りの狐が、藤原右大臣家を模したサルたちを翻弄、

 

「そこに馬が落としたものがあるであろう。唐の国では、あれを頭に載せると皇帝にも劣らぬ力を得ると言われておる。運が上がるぞ」と、そそのかし、サルたちは喜んでお手玉のような落とし物を頭上にして踊り出す…

 

毎熊克哉さん演じる狐が持つ扇に描かれた画が登場した瞬間、「嗚呼、これは『ごーまんかましてよかですか?』だなあ」と。

 

虚ろな権威を揶揄する秀逸な表現がNHK大河ドラマの芸能の場面で映像化されたこと、覚えておきたいと思います。

 


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コメント: 6
  • #6

    トマト (日曜日, 25 2月 2024 15:40)

    今回も楽しく視聴しました。
    打毬のシーンとか、少女漫画チック♡だな~と思いつつ。

    でも、最後の方、道長の公達仲間が女性への品定めをしている場面でイヤ~な気持ちになってしまった。

    今とは時代背景も違うし、これからもっとイヤ~な気持ちになってしまう事もあるかもしれないけれど、全部ひっくるめて、続きが楽しみな気持ちは持続中♡

    ところで、未だに「公任」と「斉信」の見分けがつかない・・・
    そして、「斉信(ただのぶ)」の読み方が覚えられない・・・
    今も名前と読み方を検索してしまった(^_^;)

  • #5

    まいこ (水曜日, 21 2月 2024 22:28)

    投稿採用とコメントいただきありがとうございます。
    毎熊克哉さん、秀逸な表現を巧みに演じられていて、活躍されて良かったなと喜んでおります。
    「最近、見つかった弟」としても後半に登場されていますが、これは『源氏物語』の玉鬘や近江の君の変奏曲かなと。

    神に化けた狐は、安倍晴明という見解もあるようです。
    兼家と対峙した後、道長の顔をじっと見ていたのは、将来を予見した人相見のようでした。

  • #4

    おおみや (火曜日, 20 2月 2024 19:56)

    この場面、ほんの数年前の全員マスクの街の中でその光景へのカウンターとして鼻から上の狐面を被って歩いていた事を思い出していました。観客様?からの注目度合いが格段に上昇していました。外国人観光客にもエキゾチックジャパンを感じて頂きたかったのですが…その頃は全然来ていなかった…おかしきことこそめでたけれ IN SAITAMA 、令和の初期。 
    虚ろな権威を揶揄、なるほど、ですね。
    たまに見かけるゴスロリFASHIONの女性に比べれば私なんぞはまだまだヒヨッコであります。

  • #3

    希蝶 (火曜日, 20 2月 2024 08:39)

    興味部会「ウン」の描写だと思いました…。
    別の場面になりますが、安倍晴明が道長にはいたセリフもよいですね。そのあとの場面の、兼家の情けなさや、息子道綱をアピールする母親のたくましさも。

  • #2

    リカオン (火曜日, 20 2月 2024 07:16)

    政権批判をして憂さを晴らす庶民の知恵として散楽や風刺絵が登場。鳥獣戯画は偉そうに振る舞う僧のような動物などが描かれ、昔から日本には風刺を込めた芸術が発展できた素地があるのだと思う。

    そこが権威主義国家との違いで、日頃小林先生が、日本だからこそ漫画が描ける、他の国では自由を制限されると言われる所以なのだろう。

    直秀は散楽で「権威は死んだ」をギャグで表現し、夜は義賊として行動する。
    心の中に直秀を持ち、ゴー宣を楽しみ考え、普段の暮らしの中に還元していきたいものである。

  • #1

    ひとかけら (火曜日, 20 2月 2024 07:09)

    平安時代の芸能は平和で良いですね。権力側は如何にして権力を維持するか腐心してますが芸能を通じて皮肉ってる様子が面白いです。