投稿者:グッビオのオオカミさん
【マンモスやタスマニアタイガーに続き、ドードー鳥の復活を計画する「脱絶滅会社(De-Extinction Company)」 - ライブドアニュース】
https://news.livedoor.com/article/detail/23694196/
【絶滅した飛べない鳥「ドードー」、再生プロジェクトの期待と課題(1/3) - CNN.co.jp】
https://www.cnn.co.jp/fringe/35213248.html
変わった記事を見つけました。
アメリカのコロッサル・バイオサイエンス社は1681年に絶滅したモーリシャス島の飛べない鳥「ドードー」を復活させる計画があると発表しました。
絶滅から350年近く経つのにどうやって遺伝子を収集したのかな?と思って読むと、
『今回のプロジェクトでは、ハトのDNAをドードーのものと一致させ、それを卵に移植し、ふ化したときにドードーが生まれるようにするという、この2つの動物で考案されたものと同様のプロセスを踏むことになる。プロジェクトアドバイザーは、昨年ドードーのゲノム解読を成功させた進化生物学者ベス・シャピロ氏。シャピロ氏は「ドードーは、人間がその生息地での生存を不可能にしたために絶滅した種の代表例です」と語り、ドードー復活の可能性に期待を寄せている』
ん?これは別にドードーでは無くないか?
ハトの遺伝子をドードーに近づけてもそれはドードーに似たハトの品種改良に過ぎないのでは?
例えば神戸に絶滅危惧種のハシビロコウがいますが、そういう元になる遺伝情報や実際の観察記録があるものとは違い、現代人はドードーの実物を見た人は誰もいないのです。
『ハシビロコウ | 神戸どうぶつ王国』
https://www.kobe-oukoku.com/friend/detail/301/
まあ確かに現在でも絶滅危惧種というものはたくさんあるし、将来的な生態系の在り方に危機感を持つ事も分からなくもありません。
また、科学の可能性を拓く意味もあるでしょう。
しかしながら、こういう一種の人間中心主義とでも言うのか、自然に対して人間が恣意的に介入する事はかえっていびつな結果になる様に思います。
生態系は微生物や地質や気候、食物連鎖などまだ発見し切れていない多くの事象のバランスで成り立っています。
昔は滋賀県の琵琶湖辺りにゾウが居たと言います。しかし、大きな身体のゾウは力が強くても食料難には弱かったので、絶滅した。
そんな事が以前、琵琶湖博物館で展示されていました。
『A展示室 | 滋賀県立琵琶湖博物館』
https://www.biwahaku.jp/exhibition/a.html
17世紀に絶滅したドードーを人工的に復活する事に、私は違和感を覚えました。
そこには科学的と言いつつも、科学とは如何に現在有力な学説でも"仮説"であるという「謙虚さ」を感じません。
ドードーの復活などは科学者と現代人の"自己満足"に過ぎないし、新しい学説に対する「神格化」に過ぎない…大自然に対する一種のイデオロギーに過ぎない様に思いました。
人工的なドードーの復活。皆さんはどう思われるでしょうか?
(管理人カレーせんべいのコメント)
ドードー鳥再生プロジェクト自体はバイオテクノロジーに対する耳目を集めるための「企画」のようなものだとは思います。
しかしあまり意味のあるものとは思えませんね。
そもそも「神の領域」に踏み込む遺伝子操作は、本能的に「気色悪さ」を感じます。
どうしてもその研究をやりたいのならコソコソやれと思う。ドードーとやるな。
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ねこ派 (月曜日, 26 2月 2024 16:42)
欧米人とは、要するに、キリスト教の価値観に身も心も、どっぷりと漬かっている人達です。キリスト教を信仰していない私の偏見かもしれませんが、キリスト教では、始めに神(God)の言葉ありき、ですから、始めにDNAや遺伝子が生き物の設計図としてある、という思想に、欧米人は、馴染みやすいのかもしれません。そして、設計図思想があるから、次は設計図に従って、実際に生き物をつくろうとする。あたかも神(God)が、この世界を創ったというのを、極小スケールで真似るが如く。ドードー復活プロジェクトでやっていることは、一応、科学ですけれど、キリスト教の価値観からの影響が大いにあるように、私は思います。なお私は、DNAや遺伝子が生き物の設計図である、というのは、科学とはいえ、あくまで一つの見方であって、それが決め手、あるいはそれがすべて、とまでは思いません。しかし、一神教的思想の持ち主なら、逆に、科学者であっても、それが決め手、あるいはそれがすべて、と思い上がってしまう危険性があるように、私は思います。
トカレフ (月曜日, 26 2月 2024 13:14)
人の手で成し得てしまふ事柄は「神の領域」ではないだろう……とは思った 笑
タロー.G (月曜日, 26 2月 2024 11:58)
絶滅動物について興味があって、色々調べていた事があったのですが、一番可哀想だと思ったのはリョコウバトですね。一時期はアメリカ大陸に50億羽もいたと言われてますが、開拓民の乱獲で1911年に絶滅したハトです。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%A7%E3%82%B3%E3%82%A6%E3%83%90%E3%83%88#
このリョコウバトもDNAで復活させようといてるみたいですが、上手くいかないようですね。よしりん先生も言ってましたが、自然に反する行為ばかりしてる人間は必ず報いが来ると思います。
リカオン (日曜日, 25 2月 2024 22:45)
自分の中にある絶滅した動物の姿を見てみたいという欲望がないかというと嘘になる。しかし、倫理的に自己の欲望を抑えるという事がここでは問われているのだと思う。動物を遺伝的に改変して他の命を使ってまで自分の見たい動物を作り出すことが許されるのかと?
問題は違うが、原爆も欲望との戦いであるし、スーパー人類を作るとか、神の領域に入って来た倫理的な問題を一つ一つクリアできているのかと共通な気がする。
大袈裟かも知れないが、世界を統べる指輪を滅びの山で自ら葬る事ができるのかが問われているようだ。
sparky (日曜日, 25 2月 2024 22:31)
復活させる事で一度滅ぼしてしまった罪をキャンセルできる訳ではなかろうし、彼等にそんな意図もないのだろうけれど、最初の記事にもある通り「現存する生物をいかに絶滅させないか」がより重要だと思う。
余談にも程があるが、この最初の記事を書いたのがオカルト方面に詳しい作家の山口敏太郎氏。過去にY染色体の中の「YAP遺伝子」なるものを持ち出して「天皇家のYAP遺伝子が失われると日本神道における宗教的な意義が問われる」と唱え女性・女系天皇容認論をを反日工作と批判するという中々のトンデモ記事を書いている(現在は掲載されたサイトから削除されている)。
パワーホール (日曜日, 25 2月 2024 21:43)
地球上から消えた生物を甦らせようとかいなくなりそうだから保護しようと言いながら菌やウイルスは病気の原因だと一方的に決めつけ撲滅対象にすること自体生命至上主義というか優生思想を彷彿とさせる。それに加え菌やウイルスを生物兵器に利用するのも命を弄んでるとしか言いようがない。あまつさえ人間同士でも共産圏等でLGBTや身障者の人達を隔離する真似をしている。SDGsしかり多様性って何なんだと首をかしげたくなる。
惜春 (日曜日, 25 2月 2024 21:20)
シンプルな洒落に痺れた。
あしたのジョージ (日曜日, 25 2月 2024 21:01)
一度絶滅した生き物を復活させようとするのは、昔からSF映画などでありますが、現実には余計な事にしか思えません。
やろうとしている人達はロマンのつもりでいるのかもしれませんが、他にもっとやる事はないのかなぁと思いました。