三重県教師が差別行為 「差別解消条例」で初の措置

 

投稿者:まいこさん  

 

被差別部落の土地であると主張し、購入した土地の契約解消を申し出た三重県の公立学校の教師に、差別解消条例で初の措置が講じられたとのことです。

 

公立学校の教師が差別行為をし、知事から「説示」受ける 三重県の差別解消条例で初の措置

https://news.yahoo.co.jp/articles/d46fae76e7e429da7e0a5217138eff72b8c6939c

 

元記事

https://www.nagoyatv.com/news/?id=023253

 

三重県によりますと教師は2023年5月に土地を購入したものの、被差別部落の土地であると主張し不動産仲介業者を介して売買契約を解除しました。

 

その後も教師が仲介業者への非難を続けたことから仲介業者が11月、三重県に対して申し立てをしました。

 

一見知事は2月29日、「私人としての行為でも教育公務員が差別を行ったことで信用を傷つけた」などとして関係者にもたらした苦痛を理解し同様の行為をしないよう求める説示を出しました。

 

三重県の差別解消条例は2022年5月に施行され、条例に基づく措置が今回、初めて講じられました。

 

***

 

先日、ゴー宣ファンYouTube配信に参加した際、初めて読んだゴー宣SPECIAL本として解放出版社『差別論SPECIAL』を挙げさせていただいていました。

 

喫茶ヲワカに向かう車内で、名作に付箋を貼りつつ、久しぶりに拝読しながら、「1995年刊行から30年近く、現状はどうなっているのかしら?」と思っていた矢先の報道、「三重県の差別解消条例は2022年5月に施行」という事実にも衝撃を受けました。

 

 

『愛子天皇論』で描かれた男野系子の妹・漢乃益荒子のような悲劇は、まだ繰り返されているということなのでしょう。

 

男系固執派の姉妹の物語の続きも、読んでみたいと願っております。

 

 

(管理人カレーせんべいのコメント)  

 

部落差別はこの世で最も愚かな行為の一つだと思っています。

 

これを認めることは、絶対にできないです。

 

しかしそれでも、人間から「差別をする心」自体を消すことはできないです。

 

 

人間って、ろくでもない。

心って、ろくでもない。

オレって、ろくでもない。

 

だからこそ闘うしかない!

 

20の時「ゴーマニズム宣言 差別論スペシャル」を読んで、そのように感じました。

 

 

私は今年45になりますが、「ろくでもないモノ」から逃げずに闘えているだろうか・・・?

 

これは日々自問自答です。

 

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コメント: 5
  • #5

    グッビオのオオカミ (水曜日, 06 3月 2024 20:37)

    差別か…人間のサガかも知れませんね。
    人間は自分を確かめつつ、生きているのだと思います。
    自分を確かめるために、他者と比べるのでしょう。自己顕示欲や承認欲求もそうでしょうし、議論と言いつつ"マウントを取りたがる"のも、それでしょう。
    差別は既存の差別問題だけでは無く、コロナ禍も、ジャニーズ問題や松本人志氏へのキャンセルカルチャーも、十分に差別だと思います。
    きっと差別は無くならない。
    歴史だけでは無く、人間の欲求に根差している。
    だからこそ、差別は本当に危険で、本当に嫌らしい。
    それを自覚し続けなければいけないものでしょうし、戦い続けないといけないものでしょう。
    戦い、葛藤を止めた時に"劣化"するはずです。
    …だから、コロナ禍という壮大な"差別ごっこ"が4年間も続いてしまったのだと思います。

  • #4

    パワーホール (水曜日, 06 3月 2024 17:48)

    公立高校の教職にあるものがしてはいけないことですね。部落差別も男尊女卑も同調圧力もなくなってほしいです。そうすれば、だれもが生きやすい国になるのに。

  • #3

    枯れ尾花 (水曜日, 06 3月 2024 09:02)

    国立ハンセン病療養所の高齢女性を取材したドキュメンタリー映画の中で、主人公の女性は手指を全て失い、片足を切断、目も悪い状態。当然、そこは同じく周囲から隔離され差別されてきた人達が一緒に生活しているわけだが、彼女はそこでも症状の軽い入所者からのいじめに遭い、死を考えたことがあったそうです。
    差別されてきた人が今度は他者を差別する。
    人間というものの業なんでしょうね、差別する心というものは。

  • #2

    牛乳寒天 (水曜日, 06 3月 2024 08:35)

    まだ部落差別がある事が驚きです。自分も幼い頃から差別を感じる環境にあったら、差別する側の気持ちも理解できるのだろうか…と考えますが、それでも、差別する側の狭量さに嫌悪します。
    先日の部落差別の投稿と、自分がずっと関わる機会なく現在に至っている事を合わせ、部落差別に関しての本を読んで勉強中です。(ゴー宣の差別論は勿論すでに読んでいます)

  • #1

    sparky (水曜日, 06 3月 2024 01:49)

    日本社会は「どうせ無くならないのだから」と言って余りにも多くの問題を放置し過ぎている。
    差別する心を無くす事が出来ないなら、それが誰かの言動に現れた時に指摘なり注意なりして、本人や周囲(自分自身を含む)に気付かせ考えさせる努力が必要だろう。
    この国では「差別は良くない」が「だから少しでも無くそう、改善しよう」ではなく「あいつは差別した!悪だ!叩け!潰せ!」にしか展開しない。この国民には差別が減る事が「叩く愉しみが減る」でしかなく、だから差別を無くす気がないのだと思えてならない。