投稿者:リカオンさん
能登の震災ボランティアの報告をします。
これまで富山県氷見市の震災ボランティアを3回経験しましたが、同時に石川県の震災ボランティアの登録もしておりました。
石川県の震災ボランティアは2万7千人もの方が登録して、そのうち石川県外の方が2万人いるということでした。
活動の申し込み方法を説明します。登録者に週の半ば(だいたい水曜か木曜)に活動の案内があります。
能登の各市町ごとの活動の内容と日程の案内が届き、同時に活動予約フォームのURLとエントリーの受付日時が告知されます。
受付日時になったらフォームに入り、名前や年齢、性別、住所、ボランティア経験の有無などを必要事項を入力して申込みし、後日決定通知をいただきます。
各市町15~40人で申し込み人数が達すると募集フォームが閉じられます。
初回募集は数分で募集枠が埋まってしまうという状況でした。
中能登町の位置は能登半島の中央部にあり、今回の地震では最大震度6弱を記録しました。
ボランティアの集合場所は金沢駅西口のバス乗り場でバスで8時出発ということで7時半ごろ金沢駅に到着しました。
集まった方にお尋ねすると金沢市の女性はもう既に8回ぐらいボランティアに参加しており、いろいろな市をまわっているとのこと。
神戸からいらした男性もいて、「阪神淡路の時もボランティアされたのですか?」と尋ねると「僕はその時被災者側で学校が避難所でした」と答えました。昨日金沢に宿泊したそうです。
バスに乗り込むと床はブルーシートが敷かれ、座席はビニールで覆われており、バスの内装が汚れるのを防ぐためとわかります。
相当汚れ作業になるのかと覚悟しました。
今日は時折雪やみぞれが降ったかと思うとお日様が顔を出したりと(アマテラスはご存命!)不安定な天気でした。
のと里山海道を北上しますが、道路は快適に舗装された道を北上。途中柳田から緊急車両以外通行止めの規制がかかっており、自衛隊の車両や工事関係の車両が増え、一般乗用車は少なくなりました。
志雄PAでトイレ休憩します。
自衛隊の車両もトイレ休憩したため、男性トイレは自衛隊員で混雑しているようでした。
水道や下水が完全に復旧していないと聞いていたので、私はできる機会ごとにトイレを利用していましたが、ボランティアセンターのトイレは使えたのでそれは杞憂でした。
◆◇◆◇◆◇◆
中能登町にバスが入りますと、倒壊した建物は見当たりませんでした。
しかし、歪んだ家や屋根や壁の一部をブルーシートで覆われた家が目に入ります。
被害の程度は氷見と同程度に感じました。
9時30分に中能登町のボランティアセンターに到着しました。
登録をすますと、ガイダンスがはじまり、その後マッチングです。
参加者は20名でうち女性は私を含め4名でした。
被災された個別のお宅の災害ごみを集積場に運搬するという内容で、軽トラックが活躍します。
2台の軽トラックを運転し、4人で一つの家の災害ごみを搬出するというチームを5チームを作ります。
軽トラックはミッションとオートマチックの2種類あり、各チームこの2種類を1台ずつ運転することになりました。
まず運転する人をから決め、次に残りの2人を決めていきました。
年齢の若い方はオートマ車の運転免許しか持たない人が多いので、ミッション車を運転できる人が少ないです。
それで、私もミッション軽トラの運転を申し出ました。
私のチームのオートマ軽トラックの運転手は30歳くらいの富山から参加された男性がなりました。
他に東京からこられた20代と50代くらいの男性が加わり、なぜか私がリーダーに。
このメンバーでボランティア経験が多いのは私だったからのようです。
さて、依頼内容が書かれた指示書と目的地と集積場所を記した二次元コードを渡され、10時に軽トラ2台で出発しました。
危険と判定された家屋なので、ボランティアは中に入る事はできません。
被災宅の親族の若い方二人が家の中から家具や家電や布団を運び出してくるものをどんどん軽トラに載せます。
家を改めてみると屋根がナマコのように歪んで上部がブルーシートで覆われていました。
布団が濡れている事から想像して雨漏りがひどいようです。
氷見の経験で集積場の並ぶ時間ロスを減らすことが効率アップのコツと知っていたので、積んですぐに集積場に向かいました。
作業終了は2時半、昼休憩は30分と決められているので10時から4時間の間に何度集積場を往復できるかが勝負です。
幸い私たちのチームは他のチームより集積場に早く到着したようでした。他の軽トラックもほぼ同時期に集合してきてどんどん後ろに車が並びます。
軽トラックを少しずつ移動させながら、燃える粗大ごみ、木くず、金属、ガラス、瓦、家電などに分類し、下ろしていきます。
昼はボランティアセンターに戻り休憩をとりました。
入り口近くで野菜と生麩が入った汁を振る舞われました。
その野菜汁と持参したおにぎりで昼食です。生麩が具なのは石川ならではでしょうか。柔らかくて口当たりが上品です。
休憩終了してさらにお宅と集積場の往復を繰り返し、結果的に3往復できたため、依頼者さんのほぼ希望通り災害ごみを片づける事ができました。
はじめて出会ったメンバーで満足の成果に4人とも上機嫌でボランティアセンターに戻り、活動報告を終え、バスに乗り込みました。
ボランティアセンターのスタッフさんに見送られ、帰途につきます。
のと里山海道を日本海を眺めながら南下。
今日は少し風が強めでした。東京から参加した若い男性は作業中横殴りの雪に寒がっていましたが、私は割と慣れていました。
やはり作業の服選びは重要です。
石川県の園八のあんころが大好きで探して金沢駅のコンビニで入手。味噌饅頭と能登牛コロッケも購入しました。
これで報告を終了します。
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≪報告≫ 震災ボランティア2回目に行って来ました(2024年2月4日)
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昭和43号 (月曜日, 11 3月 2024 18:04)
ボランティア活動本当にご苦労様です。
写真とイラストのおかげで状況が詳しく把握できます。
ボランティアの皆さんが大勢登録してくれているというのは心強いですね。
なのに交通事情で制限されてしまうとは何とも勿体ないです。
牛乳寒天 (月曜日, 11 3月 2024 14:56)
リカオンさん、いつも率先して行動されていて素晴らしいです。ご報告ありがとうございました。屋根やお布団などのくだりで、現地の大変さがリアルに伝わりました。まだまだ地震の爪痕は生々しくあり、復興への道のりを暗示させられます。
被災地をさておきして、女川原発再稼働の動きを腹立たしく感じています。国は原発再稼働なんかせず、被災地におもいを馳せ、そちらを優先的にすべきです。
おおみや (月曜日, 11 3月 2024 08:43)
能登への心づくしと行動、ありがとうございました。細かいノウハウも駆使され(さすが!リカオン様!)です。リーダーさん抜擢、「なるほど~」と納得しました。
冬の雲間からのあの日差し、(アマテラスはご存命!)もよ~く解ります。
報道的にはあまり取り上げられない地域ではありますけれど、おかげ様でこうして尽力してくださる方々を感じる事が出来ました。もし柳田(やないだ)から一般道で向かったとすると、おそらく私の実家の地区も通っています。うちは無事で、造りがゆるい2階建ての納屋までも無事でしたが、地区内では僅かに「再建を諦め、みなし仮設に入っている」という方も。中能登町に繋がる地域、南北サイドに山があり細長い平野部が挟まれている風景に(これって、どう見ても断層活動で出来た地形だよな)と思いつつ育ちました。平野部と山沿い・立地する地盤構成の違い・住宅の形状や経年劣化によっても揺れ方や現れる状況が異なり、その後の選択は否応なくされる事に、そういった中でも何とか日常に近づける努力、本当に有難いです。
生麩が入っているのは確かに石川らしいですね。そして若き日に学校のマラソン大会で走った海岸、冬の高波で砂浜は見えなくなっていても、それでも日差しの逞しさを感じる画像です。
・サッカーJ3カターレ富山は3引き分けとまずまずのスタート、ツエーゲンは…
まあよい、今年も元気に乗り切ろう、って妙なコメント締め…
あしたのジョージ (月曜日, 11 3月 2024 06:29)
リカオンさん、いつも貴重なボランティアの報告ありがとうございました。
いつ自分がそういう立ち場になるわかりません。
参考にさせてもらいます。
枯れ尾花 (日曜日, 10 3月 2024 21:02)
御苦労様でした。
中々真似出来ないことですから頭が下がります。
リカオン (日曜日, 10 3月 2024 20:58)
コメントありがとうございます。
#1 ひとかけらさん、説明が不足していましたが、県外登録者は2万いるのですが、募集されているのは1日300人程度と大変少ないです。
各地の災害でボランティアをして来た方がラジオで語られたのを聞くと、この規模ならば1日3000人活動していてもおかしくないとの事でした。まだ十分の一と。とにかく現地へのアプローチが大変なため、大勢のボランティアが入って行けず、先は長そうです。
英二 (日曜日, 10 3月 2024 20:38)
お疲れ様でございました。
本当に頭が下がります。
サン (日曜日, 10 3月 2024 20:16)
リカオンさん、お疲れ様でした
バス内部はあんな感じなんですね、写真付きでありがたいです。俯瞰図での作業模様も。クローズアップの写真とロングショットのイラストがとても分かりやすく、ご報告は初回から興味深く拝読しております
パワーホール (日曜日, 10 3月 2024 20:15)
リカオンさん、お疲れ様です。
被災地の復興が早く進むことを心から願います。
グッビオのオオカミ (日曜日, 10 3月 2024 19:46)
そういえばもうすぐ3月11日になりますね。もう東日本大震災から13年目になるのか。
文章の合間に出て来る手描きのイラストに臨場感がバッチリ伝わりました。
実際には、聞くとやるとは大違いなのでしょう。
能登半島地震の被災地の復興はまだまだ時間がかかりそうですね。
リカオンさん、ボランティア活動お疲れ様でした。
ひとかけら (日曜日, 10 3月 2024 19:06)
県外から二万人ものボランティアが参加するとは日本もまだまだ捨てたものではないと感じます。災害大国だからこそ非常時には助け合うという精神が素晴らしいですね。東日本大震災の時何か更地に建物を建てるというボランティアを友人達とした事が有りましたが現地の人は温かく迎えてくれました。
リカオンさんボランティアお疲れ様でした。