投稿者:リカオンさん
文藝春秋総局長の腹立つ言動にあきれかえる日々ですが、福島先生のワクチン後遺症の論文が掲載されるとまんまと文藝春秋を買ってしまいました。
しかし、尊王派の野田佳彦氏と友納尚子氏の寄稿文が掲載されていることはGoodでした。
特に立憲民主党が皇位継承検討委員会にて「女性宮家創設」と「旧宮家復帰」の両案が出されていることについて、どうして併記しているかを書いておりました。
ネットニュースでも冒頭の部分だけ無料で読むことができます。
悠仁さまと愛子さま世代に新しい選択肢を
https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h7781
ふぇいさんが投稿された「立憲民主党の論点整理を考える」と内容的には一部被りますが、野田氏の考えをうかがい知ることができますので、小見出しと要点を紹介いたします。
全文を読みたい方は文藝春秋4月号を購入下さい。
◆自民の動きは本物か
・野田氏は皇室制度の安定のためには早期に皇室典範を改正し、女性宮家を創設するしか道はないと考えている。
・自民党内でも首相の直属機関として「安定的な皇位継承の確保に関する懇談会」が始動したが本物なのかパフォーマンスなのかまだわからない。
◆安倍さん不在は大きい
・自民党に責任をもってまとめていく求心力のある人がいない。
・特例法も内心は反対だったはずの安倍さんが党内をまとめたからこそ成立した。リーダーの不在は皇室典範の改正の動きを緩慢にする。
◆あえて「旧宮家復帰」も残す
・旧皇族の皇籍復帰案を否定すれば、永田町ではハレーションが起き、女性宮家だけを認めるわけにはいかないと議論は全く進まなくなる。
・二者択一ではなく二つの道を残しながら進めないと、どの道も潰えていよいよにっちもさっちもいかなくなる。
◆それぞれの問題点
・男系派は「旧皇族」のことを万能の特効薬のように唱えるが、明らかに門地による差別。
・急に「皇族になりました」という人を日本の象徴に連なるものと理解を得るのは大変。
◆消えた「Ⅰ-A案」
・「女性皇族の配偶者や子に皇族の身分を付与する案」(Ⅰ-A案)が消えたのは、女性宮家がいつしか女系天皇の誕生に発展することを恐れた政府側に移行の反映。
◆若い世代に皇室を知ってほしい
・東日本大震災で国民に寄り添った平成の天皇陛下が、行政や政治を超えた素晴らしい存在と痛感。
・中東や欧州、タイ、ブータンなどとの皇室外交はとても長く、絆の深さがある。
・海外からの天皇制の憧憬の年が日本への敬意に繋がっている。
◆愛子さまにオードリーが重なる
・愛子さまの成年会見を拝見して『ローマの休日』のオードリーヘップバーンを思い浮かべずにはいられなかった。
・王女としての義務を果たす覚悟を決める瞬間のオードリーの顔は崇高なもので、愛子さまにも同じような表情が宿っている。
追伸:コロナ公費負担が全廃するタイミング(政府に睨まれないタイミング)で福島先生の舌鋒鋭い論文でなく、編集のできるインタビューを載せて後遺症患者や反ワクへのアリバイ作り。
今回の野田氏の論文掲載も、上手に世間を渡っているように見えてなりません。
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新米派 (日曜日, 17 3月 2024 01:38)
旧宮家案をも受け入れる野田佳彦氏を、許し難い妥協と罵倒する向きもあろうかと思います。
≪理念を掲げる思想家≫と比べ、野田氏にせよ安倍氏にせよ≪妥協を探る政治家≫を適切に評価することは難しいのだろうという思いを禁じ得ません。
戦後に限らず、政治は妥協の連続でしかあり得ません。片面講和/沖縄復帰/日中国交/TPP加入…等々、政策の純粋性を求める左右両陣営から「日本を滅ぼす折衷案」と批判された妥協は数え切れません。個人的に見ても、コロナ施策や憲法論議など未だに納得できない妥協も多くありますが、日韓慰安婦合意やTPP加入など評価を一部修正した妥協もあります。
政治が妥協する度に、思想家・評論家や我々有権者は、タフネゴシエーターとは程遠い風見鶏だと政治家を罵り、原理原則からブレない自身たちの姿勢を自賛します。その妥協が後世に一定の再評価を受けたとしても、「我らが政治家のケツを叩いたからあの程度の妥協で落ち着かせられたのだ」と都合よく脳内記憶を修正する割には、その時の政治家に対する悪印象は返上させてくれないままです。
自身の人生において、交渉力/能力/努力/知力/財力/学力…等々の現実の前で、日課の筋トレに始まり志望大学に至るまで目も覆わんばかりの妥協を重ね続けている割には、政治家だけは妥協などあり得ないと断じるのが我ら有権者なのであれば、政治家志望者は減り続ける一方でしょう。
女性宮家案を通すために旧宮家案との抱き合わせを受け入れる野田氏を自分は支持します。施策全体の純粋性・合憲性も譲り難い要素ではありますが、双系拡張に繋がる女性宮家案を通すことが最優先と考えているからです。
思想家・評論家や我々有権者は、政治家に非ざる者としてひとまずは純粋に原則に基づいた施策案を推進し続けるべきでしょう。そうでなければ、政治家の妥協を単に追認し続けるだけの存在となってしまいます。しかしながら、自身らが推進する施策案において、譲り得ない要素と妥協し得る要素とを仕分ける作業――すなわち優先順位付けもおこなっておくべきです。そしていざと言う時には次善策としての妥協案をも議論できる環境づくりが重要なのだと考えます。
古代からの各戦役や組織内の内ゲバなど、最後まで一切妥協を模索する空気すら生まれなかったために悲惨な末路を迎えた事例はいくつでも挙げられます。原理に拘り続ける一徹ぶりに尊さを感じつつも、少しでも達成目標に近づけるために巧みな妥協を図る営為を適切に評価したいものです。
はな丸 (土曜日, 16 3月 2024 21:25)
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