≪弁解≫ 『ゴー宣』は「バトル漫画」か?

 

トッキーさんのブログ

 

2024.3.29 11:39

『ゴー宣』は「バトル漫画」か? 

https://www.gosen-dojo.com/blog/46006/

 

 

カレーせんべい氏が生放送で、「ゴー宣はバトル漫画」「ゴー宣もドラゴンボールと一緒」と言い出し、ギャラリーも全員それに賛同して盛り上がっていて、これに同意する感想も出ているようですが…

 

全然違います。

 

ライジングVol.498の「鳥山明の戦闘漫画に敬意を表する」をちゃんと読んだのでしょうか?

その前に、ゴー宣のどこを読んでいるのでしょうか?

 

よしりん先生が、「戦闘漫画は嫌いだが格闘漫画は好きだ」として、「戦闘漫画」と「格闘漫画」を分けて書いている意味を考えなかったのでしょうか?

 

じゃあ、『はじめの一歩』も『あしたのジョー』も『ドラゴンボール』と一緒ということになるのでしょうか?

 

格闘漫画は「どんな練習をして、どんな技術を修得して強くなっていくのかといった理屈がわかる」から好き。

戦闘漫画は「なぜ強くなるのか全くわからないけれど、戦闘がエスカレーションして、果てしなく強くなっていく」から理解できない。

と、よしりん先生は書いていますよね?

 

格闘漫画は、そうやって修業が描かれることを通して、人間の成長とか、精神性とかが描かれるのです。

戦闘漫画は、人間が描かれず、ただ強くなるのです。だから飽きるのです。

 

確かに格闘漫画にも戦闘漫画にもバトルは描かれます。

しかし格闘漫画はバトルを通して人間が描かれるのに対して、戦闘漫画は人間が描かれず、バトルだけが描かれるのです。

 

バトル「を通して、テーマを描く」のが格闘漫画。

バトル「だけを」描くのが戦闘漫画。

と言ってもいいでしょう。

 

確かに『ゴー宣』はずっと戦ってきたし、これからも戦っていくでしょう。

でも、『ゴー宣』はバトル「だけを」描いてきた漫画ですか?

ゴー宣の戦いは、単に戦いのための戦いだったのでしょうか?

「何のために」戦っていたか、それこそが最も重要なのではありませんか?

 

「バトルがあるから一緒」だなんて、そこまで表層的なことを言って、それに誰もツッコミを入れずに、みんなで盛り上がっている様子を見て、私は愕然としてしまいました。

 

前半の「初見読み」が凄かっただけに、この落差は一体何なんだろうと思ってしまいます。

 

 

 

投稿者:カレーせんべい

  

「ゴー宣はバトル漫画」という言葉は、私が考案しました。

 

乱暴かつ不正確な表現で、作品のスタッフさんから「全然違う」とのご指摘を受ける事態になったことについて、申し訳ございません。

 

 

もちろん私は『ゴー宣』はバトル「だけを」描いてきた漫画とは考えておりません。

 

 

驚いたことに、昨夜、私がお話した内容を文字起こししてくれた視聴者さんがいたので、それをアップしておきます。

 

≪文字起こし≫ ゴー宣はバトル漫画

 

 

昨夜私が生放送でお話しした主旨は「ゴー宣は、バトル漫画とロールプレイングゲーム(RPG)に慣れ親しんだ世代に響く要素が多い漫画」ということでした。

 

確かに参加者も視聴者も盛り上がってしまいましたが、それは【ゴー宣にはバトル漫画的・RPG的要素が含まれている】という感想が、一定の共感を得たからだと思っています。

 

ツッコミを入れなかったからといって、彼らには、罪は無いです。

 

 

そして私が誘導したかったのは「それぞれのペースで成長しながら、思想の冒険を楽しみながら、実際に世の中を動かしてしまうゴー宣を盛り上げていこうぜ!」という鼓舞でした。

 

ライジングVol.498の「鳥山明の戦闘漫画に敬意を表する」の論文に対する感想やアンサーではなかったです。

 

 

以上がカレーせんべいからの弁解です(汗)

 


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コメント: 22
  • #22

    君の縄。 (金曜日, 05 4月 2024 16:34)

    私もやっぱりカレーさんは「弁解」で十分で「謝罪」までする必要あったのかなあと思ってしまっています。サンチョ・パンサさまの(すごい)分析でいいじゃないかと。

    カレーさんよりも謝罪するべき人は他にいると思います。
    4月2日に暴言コメントを残された固定ハンドルネームの○○○○○氏(漢字五文字)のことです。
    すでに削除されていますが、このまま謝罪も無く無かったことにされてしれっと発言を続けるようであれば不愉快でたまりません。

  • #21

    すろん (木曜日, 04 4月 2024 16:20)

    時浦氏がブログに書いていた、格闘マンガと戦闘マンガの違いって、ボクはワタシはこう思います ああそうですか 以上のモノとは思えません。マンガ業界の人たちにとっては、正解なのかも知れませんが、これって時代小説と歴史小説の違いと同じ程度のお話しだと考えます。
    事の本質は、小林よしのり氏やゴーマニズム宣言作品群を広く一般に周知広報するスタンスとして、ゴー宣はバトル漫画だ という捉え方がある と、カレー氏が提案したことにあります。
    そこでの問題は、一人称主人公の小林氏がヒーローとなり、作品の特殊性から、教祖さまになりかねない という危惧を感じます。また、バトル漫画のお約束のベネフィットである勝利の陶酔が素直に感じられることはないと思います。
    こんなことで、みずからの可処分時間のほぼすべてを費やして、ゴー宣ファンサイトを運営してきたカレー氏をここの場でキャンセルするのは、間違いだと思います。

    以上

  • #20

    サンチョ・パンサ (木曜日, 04 4月 2024 16:17)

    カレー氏本人がすでに撤回してしまったので、外野がさらにあれこれ言うのもおかしな話だが、あまりに馬鹿馬鹿しい展開なので一言コメントする。

    カレー氏は、ドラマツルギーの話をしていただけではないか。
    ゴー宣一話一話の計算されたドラマチックな展開の核に、論敵の理路を打ち破るダイナミズムがあって、それをバトル的要素と形容しただけではないか。
    そのダイナミズムを体感したときにカタルシスを感じる。
    それのどこがおかしな読みなのだ。

    ドラゴンボールなどとひとくくりに語ったのは軽率だったかもしれないが、文字おこしされたものを読めば、カレー氏がゴー宣のプロットを力強く支えるダイナミズムを魅力と捉えていることがよく伝わる。
    これを、ゴー宣をバトル「だけ」の漫画だと主張していると解釈する方がどうかしている。

    作者としての小林よしのりに、爽快感などないのは当たり前のことだ。
    しかし、読者は、作中の「よしりん」の「ごーまん」にカタルシスを覚える。
    それはゴー宣が、凡百の単なる知識人がなしえないこと、つまり、ドラマで思想を語ることをなし得ているからではないのか。
    カレー氏はそこを言語化しようとしていたのではないか。
    単なる知識人は思想を語ることしかできない、が、「よしりん」は思想をキャラクターとして生きている、そのキャラクターが言論戦で論敵を完膚なきまでにやっつけている。
    カレー氏の言いたかったことの中心に、もうすこし思いを馳せてもいいのではないか。

    カレー氏を揶揄したり、謝れと言ったり、ついには謝罪にまで追い込んで、一体なんなのだ。
    稀有な作家にたいして言うもおこがましいが、よしりんも、熱烈なゴー宣読者としてのカレー氏をもう少し信頼した方がよい。

    私は、カレー氏は「よき読者」だと思う。

  • #19

    アルトマン (水曜日, 03 4月 2024 04:05)

    私は今回、ファンサイトは敷居が低いことが魅力だなどとコメントしました。
    これはゴー宣道場に敷居が高いというレッテル貼りをし、敷居が高いと感じながらコメントするというかなり恥ずかしい行為だった様です。反省します。
    しかしカレーさん、初見読みに関しては小林先生、時浦さん共に評価していました。これはすごい事だと思います。

  • #18

    叶丸 (火曜日, 02 4月 2024 14:59)

    自分もチャットで参加していたので、やんさんのコメントが有り難かったですし、内容も納得出来ました。
    マンガにはグラデーションがあると思います。
    今回の事はゴー宣は(1%未満かもしれないけど)バトルマンガ「でも」あると言う見出しであれば、ここまで問題にはならなかったのでしょうか?

    自分が生放送時に書いたコメントの意図は「愛子様・よしりんと男系カルトの関係はマンガ(聖闘士星矢)の正義と悪のようだ」と言うものでしたが、ゴー宣はバトルマンガだとする言葉に賛同するものにも見えたのかもしれないです。
    すみませんでした。
    今は「ゴー宣はバトルマンガでは無い」と思っています。

  • #17

    君の縄。 (火曜日, 02 4月 2024 13:09)

    私は結構、海八さまのおっしゃることに共感していて、【単なるバトル漫画ではないが、バトル漫画の要素はある】という趣旨でもって、ここまで強く不快感を示されることに戸惑いを覚えていました。流石にカレーさん(たち)が気の毒だなと。それでここ数日モヤモヤして過ごしていましたが、昨夜ある考えに思い至るというか思い出したことがあります。

    山野車輪氏の『嫌韓流』が話題になった時に、『戦争論』を同じジャンルとして捉えた読者(のちのネトウヨ)が一定数現れましたよね。ゴー宣ファンならきっと呆れるなり憤慨するなりしたと思います。『嫌韓流』のようなとにかく韓国の悪口を見本市のように並べただけの単なる情報漫画と、読者の情緒に訴えかけることにゴー宣という作品の命運すら賭けた『戦争論』をいっしょにされてはたまらないと。

    とはいえ『戦争論』に情報漫画の要素が全くないかというと、いやいや情報漫画の要素もそりゃああると思います。そういったことを念頭に置いて今回のカレーさんの発言を置き換えて考えてみると…。【『戦争論』も『嫌韓流』と同じ情報漫画だ!】と殊更に連呼して、視聴者と共に盛り上がったとします。あくまで【単なる情報漫画ではないが、情報漫画の要素はある】という趣旨に過ぎませんが、想像してみるとなかなかに不快感をもよおします。トッキーさんたちが示した不快感とはもしかしてこういうことなのか、と思うに至りました。(全然違うかもしれませんが。)私としては『嫌韓流』とは違って『ドラゴンボール』には好感を抱いていたので、それで鈍感になってしまったんだろうと反省しております。

    最後に、鎌倉三四郎さまのおっしゃるように私もいつも「カレーせんべいさんはタフで凄いな」と思って見ています。閲覧するだけでコメントまではほとんど出来ませんが、毎日楽しく学ばせて頂いております。応援してますね(*˘︶˘*).。.:*♡

  • #16

    希蝶 (火曜日, 02 4月 2024 12:25)

    すみません…すこしうちまちがいがありました…。おわびします。

  • #15

    希蝶 (火曜日, 02 4月 2024 12:19)

    遅ればせながら、私見を述べます。
     (ライジングコメント欄にも記したのですが)私の知人(だった人)に「小林よしのり信者は小林よしのりの言うことにYesなんだろう?」とか「マスクでもうけやがって」「反ワクチンでもうけたやつらもいるぞ」、という揶揄をとばす人がいたのです。
     結局、最後まで彼は私の言うことを(何度説明しても)分かろうとしませんでした…。

     私もあの場にいて、雰囲気に飲み込まれてしまっていて、大きなことは言える立場ではないのですが(とはいえ、辯解を少しだけ。自分は「光と闇」の話とか、埴輪のこととかに関心が向かっていたようでもあります)
     「バトル漫画」というと、「格闘」ではなく、「戦闘」のイメージになります。「自分がこれこれこういうつもりだった」というのは(むしろ)言わなければいけないころですが、「相手がどう感じたのか」も重要ですし、「ゴー宣」の目的は喧嘩や論争ではなく、一定の結論を(止揚、アウフヘーベンする形ででも)得なければいけないのは、と。
     そして、(上述の)揶揄するようなやからにつけいる隙を作らぬようにすることだとも思います。確かにそういう人たちは(どんなふうに説明しても)勝手な解釈をしますし、また厄介なのは、彼らが「はぶられている人間」ではなく、むしろ「人德者扱い」されていることもあったりすることです。
     そして(場合によっては)こちらを「挙動不審」とか「なんか変だ」と言ってきたりもするので、餘計に大変だったりします。

     私は検閲みたいなことは好まないし、ファンサイトという性格はあるにしても…「これこれこういう解釈で発言しましたが、ご迷惑をかけていけなかったかおしれません」というような言葉は明確にするのもありかな、ろ。

     そんなところです。自分もなっていない人間なのですが…。

  • #14

    通りすがり (火曜日, 02 4月 2024 09:46)

    #15グッビオのオオカミさん
    乱暴かつ不正確な表現で、作品のスタッフさんから「全然違う」とのご指摘を受ける事態になったことについて、申し訳ございません。

    お詫びはしていると理解してますが。

  • #13

    グッビオのオオカミ (月曜日, 01 4月 2024 22:34)

    カレーせんべいさん。
    このスレッドにはこれで書き込みを終えますが…。
    命懸けで作品を創り続けた、小林先生らの活動に対して「バトル漫画」という表現は、本来ならば無礼なのだと思います。
    だからスレッドを消す必要まではありませんが、お詫びと訂正くらいは表明するのが筋だと、私は思いますよ。
    後はお任せします。

  • #12

    さとがえる (月曜日, 01 4月 2024 19:45)

    ※すみません、#13書きかけなので再送します。

    文字起こしを読ませていただいて、ゴー宣とバトル漫画やRPGの共通点くらいの表現だと思いました。
    #11グッビオのオオカミさんが言われるように、漫画のジャンルで行けば、バトルの過程と結果を全面に出したバトル漫画とは言えないとも思います。根本は思想であり、読者がそれを読み、考える漫画だと思います。
    考え方の整理の生放送があれば視聴したいです。

  • #11

    さとがえる (月曜日, 01 4月 2024 19:36)

    文字起こしを読ませていただいて、ゴー宣とバトル漫画やRPGの共通点くらいの表現だと思いました。
    #11グッビオのオオカミさんが言われるように、漫画のジャンルで行けば、バトルの過程と結果を全面に出したバトル漫画とは言えないとも思います。根本は思想
    考え方の整理の生放送があれば視聴したいです。

  • #10

    グッビオのオオカミ (月曜日, 01 4月 2024 11:24)

    追記
    今、シフト表を見たら4月4日木曜日は休みだし、動画配信するなら顔出しで出て議論しましょうか?
    小林先生のブログでのコメントを読むと、ファンサイトというより、カレーせんべいさんに「気付いて欲しい」のじゃないかと思います。
    また、カレーせんべいさんには期待もしていたのじゃないかな?
    このまま終わるべきでは無いでしょう。

  • #9

    グッビオのオオカミ (月曜日, 01 4月 2024 11:01)

    カレーせんべいさん、カレーせんべいさんがことさらに悪意があった訳では無いのはわかりますが、小林先生も時浦さんも岸端さんも、納得行ってないのだし、「ゴー宣はバトル漫画」という表現をもうやめませんか?
    私も戦い自体を目的とし冒険エンターテイメントとする、ドラゴンボールや聖闘士星矢の様な「バトル漫画」とはゴー宣は違うと思います。
    もちろん、鳥山明先生や車田正美先生を私は尊敬するし、死ぬ程の努力をし続けて来られたと思いますが、ゴー宣はジャンルが違います。
    ドラゴンボールや聖闘士星矢がバトル一切無しにドラマのみという事はあるでしょうか?
    それらのドラマはメインの目的である戦闘シーンを盛り上げるためのサブだと思います。
    ゴー宣はある公的な目的や意図を持った表現であって、必要に応じて手段として(または結果的に)「論争」や「批判」をしています。
    逆に必要が無ければ論争や批判無しに公的な表現は可能でしょう。
    特に小林先生は現実に命を狙われた事や、雑誌を移籍する破目になった事もあり、小林先生の生身の心が悲しみ、苦しみ、傷つき、怒り…真剣勝負だと思います。
    現実に命懸けの覚悟で表現し続けておられる小林先生には「バトル漫画」の比喩は、私もふさわしく無いと思います。
    特別、カレーせんべいさんにも小林先生にもアンチになるつもりはありません。
    私のコメントに納得が行かなければ、電話でも、ヲワカに顔出し出演でも、正面から直接反論をうかがっても構いません。
    よしりん企画としては、岸端さんのブログにある様にこの件にわざわざ作品を書いて反論するほど労力は割けないでしょう。
    だから、ファンサイト内で自浄作用が無くなれば、終わると思います。
    これが私なりのカレーせんべいさんと、小林先生への誠意の形のつもりです。

  • #8

    コバティ (月曜日, 01 4月 2024 06:59)

    ♯9 海八

    ジャニーズ問題から入られた?

    〈「さすがに」窮屈になりました〉
    などと書かれるくらいだから、かなり長くウォッチしているのかと思って見ていました。

    先にライジングに書く?という大胆さ、躊躇のなさも、かなり慣れている印象を感じていました。

    ジャニーズ問題から入られたということは、
    《キャンセルカルチャー》《文化や共同体の破壊》への警戒心や危機感が人一倍高く、人権より文化をとる思想に、共感している読者と受け取って良いですか? 

    それであれば…
    あなたの、結果的に分断を招くようなコメントを見るのが非常に苦しいです。

    (特に、あの外れたタイミングでライジングに登場した2回目の投稿。不思議でなりません)

  • #7

    海八 (日曜日, 31 3月 2024 21:08)

    ライトなファンは、コメント書きづらいですね・・・・

    ゴー宣に対する思いや情熱、理解度には、創り手と受け手との間には、決して埋められない差があり、創り手に極めて近いものを共有しているのが、公論サポーター方々やカレーせんべいさんだと思います。

    カレーせんべいさんは、理解度が高くないファンが一定数増えることも織り込み済みの上で、ゴー宣ファンになる入り口のハードルを下げて、ライトなファン層を増やすことと、そこからコアなファンを増やすことを考えているのだと思います。

    ゴー宣に対する理解と、絶大なリスペクトがある上で、普段から、よしりん先生をいじったり、敢えてトリッキーな表現を用いていますし、動画中の「バトル漫画」も、よしりん先生の論考を十分に理解した上での、カレーせんべいさん独自の「あそび」の表現です。ただ、その「単語」を用いたことを許容できるか否かは、創り手の判断です。

    私はジャニーズ問題から、「日本人論」や動画、ブログ、ライジングを見るようになり、今回、素直に感じたことを初コメント(ライジング№68)してみましたが、よしりん先生は、「わしもトッキーも言葉に敏感で、思想する人間だから、人の言葉や考え方に敏感すぎる。カレーのサイトに関与することは止めた方がいい。自由にやってもらおう。」と書いて下さり安堵しました。同時に、「いちゃもん」「ほっといたら、つけあがる」「ファンサイトをやっているような人が、全然理解していなかったら、~」等の、創り手側の方々の辛辣な批判を見て驚きもしました。

    これでは、理解度の高いコアなファン層は別として、それよりも圧倒的に多いライトなファン層は委縮してしまい、素直な感想も書きづらくなるように思いますが、それが本当に、ゴー宣の目指すところなのか、疑問に感じた次第でした。長文失礼しました。

  • #6

    やん (日曜日, 31 3月 2024 09:18)

    先日の配信内での我々の発言内容に対して、ゴー宣執筆に関わる皆様を不快に感じさせてしまった事に改めてお詫びいたします。
    申し訳けありませんでした。

    長文になりますがこの機会に私も弁解させて頂かせてもらえるなら、カレーさんや私及びチャットを含めた配信に参加した方々は、ゴー宣の定義は何が何でもドラゴンボールの様なバトル漫画である、とは思ってないのではないでしょうか。
    私の考えとして例えばアンケートや検定で、「ゴー宣を○○漫画とあらわした場合の言葉を一つだけ書け」と問われれば、思想漫画と答えます。
    しかし同じ設問で複数書けと問われれば、思想漫画だけでなく、時事、ギャグ、恋愛、風刺、啓蒙、歴史、エンタメ、バトル漫画など、様々な回答が出てきます。
    もちろんパーセンテージにすれば、ギャグやバトル等は小さな値の物もありますが、それぞれの一面は例え僅かでもあるのではないかと思ってます。

    ファンサイトでは参加する方にハードルの低くさを感じてもらおうと、軽いノリで低俗な話題もたくさんしてしまいます。
    それはひとえに私の様な素人が議論をしているからです。
    今回のバトル漫画話しも、バトル漫画が好きな人たちでゴー宣やライジングを読んだ事がないような人たちに、ゴー宣入門として難しく考えなくても楽しめる漫画である事を共有したくて、話しを膨らませて盛り上がりました。
    その事が小林先生や周りの方々に、不快な思いをさせてしまったのは、我々外野の責任でもあります。
    しかし素人だって議論したい。
    議論レベルに達してなくてもゴー宣ファンと作品を通してお喋りしたい。
    その想いは変わりません。
    先生方にご迷惑をかける事は、管理人始め我々の総意ではありませんので、書籍の内容についてはもう少し丁寧な議論(お喋り)をしていければと思います。

    最後に、バトル漫画の定義は色々あるのでネーミングには問題アリアリですが、数%に満たないほんの僅かな割合ではあっても、ゴー宣がバトル(闘い)漫画という一面が存在していると、私個人の心の中には今でも持っています。

  • #5

    アルトマン (土曜日, 30 3月 2024 21:02)

    今週のライジングをよく読んでみました。
    戦いのインフレーションて強い敵を倒してしまって、終わってしまうのでまた更に強い敵を作り出してという流れに陥っているという事ですよね。
    自分の価値を作るための戦いとして見ていたゴー宣をあんなのんべんだらりと続いていたマンガと一緒にしてもらいたくないという思いが沸々とわいてきました。
    戦いがあるからバトル漫画と一緒だなんて価値相対主義の言葉遊びだと思いました。

  • #4

    千本通り (土曜日, 30 3月 2024 12:53)

    >昨夜私が生放送でお話しした主旨は「ゴー宣は、バトル漫画とロールプレイングゲーム(RPG)に慣れ親しんだ世代に響く要素が多い漫画」ということでした。

    私はRPGをやったことがないが、その世代には通じるものがあったということでいいんでは? 知らない世代はその話題をスルーするだけだし。ヲワカの店にいた人々の意見があのサイトを見ている人の意見の大半であるわけじゃない。その場の雰囲気で盛り上がって終わり、ということも大いにあるだろう。もちろん、あの放送を見て突っ込む意見があってもいいわけで、その自由はあってほしい。

  • #3

    松平 (土曜日, 30 3月 2024 10:01)

    カレーさん、皆さん、こんにちは。
    時浦さんのご指摘、カレーさんの『弁明』、ライジングコメント欄、本件に関するファンサイトの皆さんのコメント、全て目を通しました。動画を文字起こしして下さった方、本当にありがとうございます。振り返るのにとても助かりました。
    カレーさんの仰る通り、申し訳ない気持ちなのと同時に、私もその「弁解」の通りの想いでもあります。
    ゴー宣に関する私の活動を支える根本は、カレーさんが先日動画で話した"ゴー宣はバトル漫画だ!"に通じる感情であり、右も左も分からない、バスケとガンダムとコロコロコミックしか知らない子供だった自分に"現実で思想を戦わせる"、自称保守のように権力者に取り入って"フィクサー"ぶるのではなく、決闘のような果たし合いで互いを高めていく、その戦いのたまらない熱さをよしりんは教えてくれた…と今でも思っています。それで、予告タイトルを観て"もしかしてカレーさんも同じことを考えていたのか?"と気になり、生放送でその通りのことを話していたので、とても嬉しくなった…という流れでした。
    時浦さんのお怒り、ご指摘はその通りです。小林先生の本物の戦いを間近で見続けて、時には文字通り命懸けで戦ってきたスタッフの皆さんから見て、私のふるまいは"同好の士を見つけてハシャぎ過ぎていた"と、反省しております。
    その上で私が求められていることは、条件反射で頭を下げたり卑屈になったりするのではなく、むしろお忙しい中、生放送から僅かな時間でご指摘を真正面から下さったことと、それに対して誠実に、そしてただ考えなしに謝るのではなく"ファンとしての気持ち"を率直に表明して下さったカレーさんの姿勢に、反省と感謝をすることだと思います。
    私は、ファンのひとりとして自分の意志をしっかりと保ちつつ、公のためにというゴールを見失わず、道のりを"楽しみながら"冒険を続けることだと思い、これからも色んなことに取り組んでいきたいと思います。

  • #2

    アルトマン (土曜日, 30 3月 2024 08:47)

    今回は生放送見ていなかったんですが、好戦的とかバトルというのは男にとってプラスの評価なのでゴー宣だって充分やんちゃだぜーというノリだったんじゃないかと思います。
    このファンサイトは敷居の低さも魅力なので頑張ってください。

  • #1

    晃明 (土曜日, 30 3月 2024 02:49)

    私も昭和54年生まれなのでモロに鳥山世代ですし、ドラクエやFFはそれこそ初期の頃からやってきました。
    「冒険の書」がすぐに消えてしまう悪条件の中でもあそこまで熱中できたのはやはり育ているキャラクターがちゃんと成長して結果を残してくれるからです。
    昔はそこら辺にいるネトウヨに過ぎなかった私もゴー宣と出会い経験値を貯めてきたお陰で少なくとも今ではベギラマとかベホイミくらいは使えるようになりました。

    それと、不遜な言い方で申し訳ないのですが、小林先生ご自身もゴー宣を通じて時には逡巡し、時には反省される中で常にアップデートされているように思います。
    ゴー宣の読者で本当に良かった。これからも自分の現場で自分にできることを地道にやっていきたいですね。