投稿者:ハックスレーさん
※太宰府政庁跡ー4月5日は妻とお花見へ。前から気になってた太宰府政庁跡へ。
現在の太宰府市に置かれた「大宰府」は7世紀後半から奈良・平安時代にかけて九州全体を治める役所の名、その中心の政庁域だったのが「都府楼跡」として知られている場所です。
太宰府は地理的に日本の西を守る防衛の要で、元寇が攻撃・占領しようとしたのも頷けます。大陸との交渉の窓口としても機能したので、政治の中核として大宰府の中心地に政庁が建設されるに至りました。 現在ではかつての大宰府の大きさをしのばせる立派な礎石が残っており、国の特別史跡に指定されています。そこを中心に周辺の役所跡も復元され、緑豊かな史跡公園になっています。この時期は約100本の桜が満開になっていました。実に見事な光景でした。
※太宰府天満宮ー太宰府政庁跡から太宰府天満宮へ。誰もが知っている太宰府天満宮は菅原道真をお祀りする全国約12,000社の総本宮と称えられており、学問・文化芸術の神として崇敬されています。901年に無実の罪によって大宰府に左遷された道真は、2年後にこの地で亡くなりました。
道真の埋葬で亡骸を運んでいた御車の牛が突然伏して動かなくなり、これは道真の御心によるものであろうとされ、その地を墓所として、その上に社殿が造られたといわれています。この境内は梅・樟・花菖蒲などが四季を彩り、デートスポットとしては最高のエリアです。
実は太宰府天満宮は2022年11月22日に124年ぶりに御本殿の大改修を実施すると発表しています。改修期間は23年5月から約3年間。26年ごろに工事完了予定です。現在は仮殿が建てられています。これは建築家の藤本壮介氏が代表取締役を務める藤本壮介建築設計事務所(東京・江東)がデザイン・設計したものです。この仮殿、まるで境内に森が出現したかのようでした。藤本壮介氏は同宮に伝わる飛梅伝説から着想を得たそうで、円形の屋根の上には、梅や桜、紅葉や樟、樫、槇など60種近くもの植物が植えられています。
※感想ー太宰府天満宮に訪れる人は韓国人、中国人、アメリカ人、東南アジア系の人ばかりです。歩いてて日本語が殆ど聞こえてきません。その外国人観光客のマナーの悪い事。韓国人らしき家族がローソンのゴミ箱の上でタコ焼き食ってました。観光客が増えれば必然的にゴミが増えます。ゴミ捨ての頻度も増えて店側も大変でしょう。
驚いたのは昼食です。ある飯屋では肉うどん一杯1280円、鮭いくら丼1670円、天ぷら定食2750円、非常に値段が高く、もはや日本人相手の商売ではありません。こんなのでは、逆にコロナ騒動期の方が静かで良かった。日本人観光客の需要を掘り下げる方策を練った方が良くないか?アトキンソンはロクでもないことすんじゃねェよ。このクソ野郎、バカタレめ!
インバウンドの検証をせよ。グローバリズムの急先鋒政策のインバウンドのせいで、コロナが侵入して長き騒動が始まりました。おまけに外資系製薬会社のワクチン工場まで造られる羽目にも。国境の壁は高くなくてはなりません。例え国境の壁が高くても、日本が好きな外国人は必ず来日するのだから。
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希蝶 (月曜日, 08 4月 2024 23:45)
2年前の晩秋の旅行のことを思い出しました。
確かに、大宰府跡は、こんな感じの礎石だったな、と。、「遠の朝廷」(とおのみかど)と呼ばれた往時が偲ばれます。
天満宮の方は…世紀がかわる10年ほど前に行ったきりで、ご無沙汰です。そちらも行ってみたいです。時間と予算の都合が取れたら。
外国人のマナーの悪さは…ゴー宣DOJOでも、伊勢神宮には中国人向け便所がある、と語られていたのを思い出します。
お金儲けが肝腎だとしても、掃除の手間がかるのでしたら、内需拡大の方が良いのかも、です。
素敵なレポートを、有難うございました。
パワーホール (月曜日, 08 4月 2024 23:01)
写真を見たところ外国人が多いとのことですが素顔の方が多く当り前の日常が戻ってきたとの思いがあります。それにしても、外国人向けだからって食べ物が高すぎます。物価高も原因かもしれませんがもう少しリーズナブルにしてほしいです。
まいこ (月曜日, 08 4月 2024 18:32)
太宰府の今をお伝えいただきありがとうございます。
福岡の研修の際に、子供の受験の前だったので、電車で一時間ほどかけて、お守りをいただきに足を運んだのを思い出します。港近くの貿易・外交拠点の鴻臚館に比べると、大宰府はかなり内陸にあって、政治の拠点が外敵から守られているという印象を受けました。今は、たくさん、海外から人が集まっているのですね。天満宮の総本宮にお参りしたお陰で、相当チャレンジング≒ほぼ見込み無しと言われた学校に合格。道真公の霊験あらたかです。参道で購入したのは、梅が枝餅と御当地キティちゃん、今は値段が上がっているのでしょうか。
昨夜の「光る君へ」で藤原兼家が呪詛される発端となったのが、光源氏のモデルの一人・源高明が
大宰権帥として菅原道真公と同じく大宰府に流されたこと。身分の高い人にとっては悲劇でも中流貴族にとっては大出世で、紫式部の夫となる藤原宣孝は、豊かな筑紫に赴任して後に大宰少弐になったことを喜んでいます。幕末には三条実美はじめ五卿も流され志士たちが集まった場所でもあり、政治的な土地柄なのでしょうね。