投稿者:まいこさん
金沢大学法学類教授の仲正昌樹さんという方が、松本人志さんの報道を「キャンセル・カルチャー」として論じています。
松本人志報道に見られる「先走る世論」 多数派によって物事が決まってしまう危険性【仲正昌樹】
https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/2777510/1/
文春による松本人志氏の性強要疑惑報道に代表されるように、近年マスコミで“疑惑”が報じられると、警察の捜査や裁判、専門家による正規の調査等によって公式的な「答え」が出る前に、ネットの世論で“決着”を付けてしまい、当人を社会的に葬ってしまおうとする傾向、キャンセル・カルチャーの過激化が目立っている。本当に犯罪を犯したのなら、いずれ法の裁きを受ける可能性が高いし、そうすべきなのに、どうしてそんなに焦って他人を裁こうとするのか。
中略
「キャンセル・カルチャー」の問題は、一度「キャンセル」されてしまった人は、たとえ“冤罪”か“嫌疑不十分”と判明しても、元の立場に復帰できなくなる可能性がある、ということだ。
やりかけていた仕事が中断されたり、まとまりかけていた企画が流れたりして、本人以外にも大きな経済的損失が生じる恐れがある。
今更、言うまでもないが、世論の多数派によって物事が決まってしまうのは危険である。
① 何が真実かをめぐるきちんとした議論がないまま、事実上その時の雰囲気で“真偽”が決まる
② 大勢が真実だと言っているので、自分もそう思っていいと考えてしまう
③ 自分たちが勝っていると思う多数派が少数派に圧力をかけて黙らせてしまう
④ 世論の帰結で特定の人を処罰したり、取り返しのつかない判断ミスがあったりしても、誰も責任を取らない。
中略
有名人だけの問題だったと思っていたら、一般のユーザーも同じ目に遭うかもしれない。
リアル社会ではほとんど無名のSNSのユーザーが、プラットフォーム企業などの都合でキャンセルどころか、
デリートされても、誰も気付かない。
***
小林先生のブログを3月29日に日刊スポーツが報道し、ヤフーニュースになったことに続く「キャンセル・カルチャー」記事の掲載。法律の専門家から見ても、やはり核心を突いた言葉なのでしょう。
小林先生がジャニーズ問題が起きた当初から事の本質を見抜き、松本人志さんの問題を表現するにももっとも的確な言葉として使われている「キャンセル・カルチャー」、日本の文化そのものが消滅してシマウマえに「日本人論」と共に、さらに流布しますように。
(管理人カレーせんべいのコメント)
すばらしい意見!
「キャンセルカルチャー」という言葉と概念は、もっともっと広く普及して欲しいですね!
ところで仲正昌樹教授は、金沢大学の人間社会学域法学類の教授。
以前、取り上げたことがありました。
≪過去記事≫
統一教会元信者の仲正昌樹教授の証言「東京大学入学直後に入信した」(2022年10月10日)
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カフェイン中道区 (木曜日, 11 4月 2024 18:42)
人が最も残虐になるときは「悪に染まった」ときではない。
真偽どうあれ「正義の側に立った」と思ったときに
人は加虐のブレーキが壊れるのだ。
漫画「氷室の天地」より。
パワーホール (水曜日, 10 4月 2024 23:14)
知識人からどんどんこういう声が上がってほしい。
田舎のおっちゃん (水曜日, 10 4月 2024 19:47)
やっと社会思想専攻の知識人からこの言葉がきけました。
でもね、これでもやはり「空気」を読んでますよね。
もうすっかり文春側も腰が引けて、哀れな子飼いのライター陣をけしかける様な記事作りしかやらなくなって来てますから、そろそろ大丈夫と思われたのでしょう。
でもまぁ、それでも有り難いことです。
たしかアーレント(「凡庸な悪」の人)やハイエク(20世紀最大の自由の擁護者)の解説書も出してる人ですよね。
だったらこんな自由の危機には声をあげなきゃね。
牛乳寒天 (水曜日, 10 4月 2024 07:36)
キャンセルカルチャー、まさにその通りです。
随分昔に協会の信者だったとはいえ、脱会し、時事問題で真っ当な見解を発してくださっている事に、本人次第でいくらでもやり直しはきくのだと励みも感じました。
リカオン (水曜日, 10 4月 2024 06:44)
キャンセルカルチャーについて言葉や考え方が広まって欲しいですね。TVやネットでこの様な論考がもっと出ていいはず。
ワイドショーでも扱ってもらいたい。
あしたのジョージ (水曜日, 10 4月 2024 06:27)
よしりん先生以外にも松本人志さんの問題をキャンセルカルチャーという人がやっと現れましたね。
もっと世間に知られて欲しいですが、マスコミはだんまりを決め込んでいるから、難しそうです。
新米派 (水曜日, 10 4月 2024 03:28)
リベラル派と目される仲正昌樹さんは、西尾幹二さんの『国民の歴史』などに表される保守的な教科書運動に対し、自虐系サヨクとは全く異なる手法で思想面から批判していたことが印象的でした。井上達夫さんなどもそうですが、保守派とは異なっていてもその言説に留意せざるを得ない方は少なくありません。そして今回記事での仲正さんの論考は、保守・リベラルを問わず読まれるべき重要なものだと思います。
なお個人的には、議論の実効性を維持するためにも「キャンセルカルチャー」や「大衆リンチ」の定義はそれぞれ明確であった方が望ましいと考えています。
「キャンセルカルチャー」とは「明確な目的の下に、その存在や事績を無かったことにする行為」で、また「大衆リンチ」とは名称の通り「大衆による大義なき私刑」であると、それぞれ理解しています。
例えば王朝交代は、新王の正当性を強調するために以前の支配者や社会・文化に対するキャンセルカルチャーが伴い易いです。
アメリカでの偉人排斥や日本などでの言葉狩り・ポリコレ推進は、キャンセルカルチャーに加えて大衆リンチの要素もあるでしょう。
昨今の政治家や芸能人へのバッシングは、まず大衆リンチが該当すると言うべきでしょう。その上で「いない人」扱い、つまり支持対象でもなければ批判対象ですらない人とされてしまうのであれば、キャンセルカルチャーにも該当します。スキャンダルを噂された芸能人が、説明のないまま収録済のテレビ番組からカットされたり、過去の作品が絶版になることもこれに含めてよいでしょう。その一方で、(汚職政治家など)バッシングされた者がそれゆえに一線を退くことを余儀なくされただけであれば、キャンセルカルチャーには当て嵌まらないと考えます。
また、不適切行為に対して、サラリーマンであれば停職・謹慎など会社関係者以外には認知されない処分となったりしますが、そもそも民衆の前で活動することを生業としている芸能人などは謹慎がそのまま民衆の認知からキャンセルされることを意味します。過去事績の抹消を伴わない、単なる一時的な活動停止までをすべてキャンセルカルチャーと表現するのはやや行き過ぎにも感じます。
以上を踏まえると、元より大衆支配を批判している保守主義者としては大衆リンチを無条件に拒絶するべきであることは言うまでもありません。その一方でキャンセルカルチャーは歴史的に必然と言うべきもの、相当の理由があり大衆リンチとあまり関わりないもの、(及びそもそもキャンセルカルチャーと呼ぶべきか微妙なもの、)があります。もちろん不断の思想研鑽を志向する者であれば、対象を抹殺してお仕舞いとするキャンセルカルチャーとは原則的に距離を置くべきでしょう。しかし比較問題としては、キャンセルカルチャーよりも大衆リンチこそ、その本質において懐疑するべきです。
現象としては、大衆リンチとキャンセルカルチャーとは一組みになって生起する場合が多いためまとめて論じた方が分かり易い場合もありますが、批判対象を見定めるためにも両者を仕分けて考察することも重要だと自分は思っています。
ひょうろくだまノ介 (水曜日, 10 4月 2024 01:13)
この方、ジャニーズ問題ではどんな立ち位置かと思ったら、やはり「キャンセルカルチャー」の問題とご覧になっているようです。
以下はダイヤモンドオンラインをの有料記事で私自身最後まで読んでいませんが、無料部分だけでもスタンスが確認できます。
https://diamond.jp/articles/-/335164?_gl=1*14xcn9f*_ga*YW1wLVBPcjVzTUVobHlkTlJIZ2RybGZGTWtmLW4zbHI5ZFNMQWU2QTRrdWRfZWdNYXZEdHBJenVnVGdPV1ByTi01dG0.*_ga_4ZRR68SQNH*MTcxMjY3ODgzNi4xLjEuMTcxMjY3ODgzNi4wLjAuMA..