「新型インフルエンザ等対策政府行動計画」の改定案で感染症流行初期でも緊急事態宣言と明記

 

投稿者:晃明さん

 

「インフルエンザ等対策政府行動計画」が約10年ぶりに改定され、改定案によると感染症流行初期でも緊急事態宣言が出されるようになるのだそうです。

 

感染症流行初期でも緊急事態宣言 行動計画、10年ぶり抜本改定

https://www.47news.jp/10799855.html

 

なんかもう、民主主義の限界を感じますね。

緊急事態宣言を望む「民」が多いから政府も味を占めたのでしょう。

完全な失政なのに。

 

 

(管理人カレーせんべいのコメント) 

 

新型コロナウイルスでの経験を踏まえ、感染症の科学的な知見が不十分な流行初期の段階でも、医療体制の逼迫の恐れがあれば緊急事態宣言などの「強度の高い措置を講じる」と明記

 

とありますが、そもそも本当に「新型コロナウィルスでの経験」を踏まえているのでしょうか?

 

コロナ対策について検証をしていたなど、寡聞にして知らないですけどねぇ。

 

 

では少なくとも2020年4月に緊急事態宣言が出されるキッカケになった「行動制限なしなら42万人死亡」と言ってのけた西浦博は「科学的な知見が不十分」だった、とお認めになるのかね?!

 

 


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コメント: 15
  • #15

    おおみや (土曜日, 20 4月 2024 16:03)

    #14から続き
    そして先程は駅前にある県産御土産ショップに行きましたら、入る直前に…我らが知事が(おそらくは秘書さんとの二人連れで)出てきまして、この私めと一瞬目が合いました。そこも屋内なのですが…マスクはしていらっしゃいませんでした(あらあら、またしてもかなり「持ってる」な~)(折角なので、職場で触れ回っておくとしましょうぞ)(ちなみに店員さんも素顔)。知事閣下も過去を挙げればあまりにも色々とありましたが…絡み合う様々な仕組みの中で庶民として明日はどう振舞おうか…とりあえず駅マスク率は2週連続5割を切りました。

  • #14

    おおみや (土曜日, 20 4月 2024 14:20)

    まん延防止等重点措置が今後も生き続ける前提ですね。ちなみに「さいたまん防」から少し拡大して「埼玉ん防」、また縮めて「さいたまん防」になっても街中のマスク率は全く変化しませんでした、その後の去年のあの日までは。
    職場にはそれらを含む各宣言の期間が貼られていた事がありました、コメントなしで。その行為自体が大衆及び管理されたい人々の象徴に見えておりました。さすが、色々とわかり易い我が職場。そして政府が何も言ってくれなくなった段階となり、今でも妙な対策グッズやしわしわになった内閣府・厚労省系感染対策貼り紙が各所に。そこに加わっているのが、褒め殺し作戦狙いで私が勝手に復活させた「親しき仲にもマスクあり!」の社内独自の貼り紙。もしもそれらを剥がしたりグッズを撤去したならば、上が最も怖れる「検証・総括」をさせに乗り込みます。何年経とうとも。「検証・総括」がなぜそんなに怖いものとして認識しているのか?も含めて、せめてこの現場だけでも活用します。管理者であろうがなかろうが「お上と集合(という形でのストレスからの逃避)している状態を保ったままでお上は逃げおおせてしまった」…手間はかかりますがそれは想定していた通りでした。
    あの時代には「腕章を着けた職員がカメラをセットして人通り(人流またはマスク率?)をずっと撮影」「駅前の人出がデータとして公開されていた」「駅前デッキには【みんなで取り組もう!新しい生活様式】の横断幕だらけ」「駅前の薔薇に人が集まってしまうので全て切ってしまった」等々、加担する様々な人達がおりました。実に日本らしいやり方でした。
    管理された状態・されない状態に関わらず今年も植物達のエリア争奪戦が激しさを増してきた日本の春に生命の逞しさと脆弱さを感じての散策→先週の休日駅マスク率は半年ぶりのアンダー5割、さて、今日はどうなるか?といった処です。

  • #13

    リカオン (金曜日, 19 4月 2024 23:27)

    今回のインフォデミックだけではないが、日本人は昔よりもセンモンカの言葉を疑わなくなったような気がする。まだ昭和のほうが庶民の感覚に照らし合わせて、「学者様が何言ってやがんでぇ」と言う人が沢山いた。

    我々は理系でなくとも理科教育は受けているし、あのセンモンカ達の言っていた免疫の解説も子どもの生物の高校教科書を開けば載っているので、高校生ですらセンモンカの齟齬にもっと気づけたはず。

    医学に限らず他の分野のセンモンカも素人目におかしい事怪しい事をしているのが散見されるが、結局一般人が信じ、役所に提出する書類にはセンモンカのお墨付きが必要となるので盲目的にセンモンカにお伺いをたてる。かくして、センモンカを甘やかし、センモンカを疑わない大衆が出来上がる。それは令和は昭和よりひどい。

    御用学者やセンモンカの意見を添えれば、大衆はいくらでもコントロールできると知り、政権は好き放題できる。

  • #12

    男系シェーン (金曜日, 19 4月 2024 22:04)

    もう日本以外の国では、新型のインフルエンザやコロナごときではロックダウンや外出制限などやらないでしょう。日本だけまた自粛ですか?

  • #11

    パワーホール (金曜日, 19 4月 2024 22:00)

    緊急事態宣言よりも小林先生がコロナ論でおっしゃっていた感染症流行時に「煽り」を犯罪とする法改正をした方がいいと思います。
    それと、コロナ騒動総括の際には感染症学そのものの要否や問題点及び弊害につきメスを入れる必要があります。カイジロウさんがブログで医学は宗教とおっしゃっていましたが、感染症学は感染防止を名目に人々の生活や文化を破壊するキャンセルカルチャーの一種とも言えます。これからは、感染症学ではなく生物としてのウイルスを広い視野を持ち研究し平和的共存を目指す「ウイルス共生学」の立ち上げこそ必要です。

  • #10

    千本通り (金曜日, 19 4月 2024 13:32)

    鳥インフルエンザの人への感染が確認されたのを受けての改正だと思います。当時の安倍総理の緊急事態宣言の評価は十分しなくていけないが、日本は検証せずうやむやにするのが良いと勘違いしている国民が多すぎる。

  • #9

    RUIDO (金曜日, 19 4月 2024 06:54)

    感染症問題にしろ、皇位継承問題にしろ、政府がセンモンカに頼りきっている事が問題です。

    この「インフルエンザ等~」もセンモンカの提言を精査せず、そのまま反映しているだけに感じました。まさかセンモンカが、コロナ禍の反省を踏まえて提言しているとでも思っているのか?本当に馬鹿馬鹿しいです。

    因みに個人的には、こういう時こそ「人権真理教サヨク」の出番だと思っています。とっとと他人の行動(人権)を制限しようとする、コロナセンモンカをキャンセルしてもらいたいものです。まぁ絶対に無いでしょうが…

  • #8

    まさひー (金曜日, 19 4月 2024 06:07)

    記事を読んでみると、緊急事態宣言が繰り返されたのは最初に強い制限をしなかったからだと、思い込んでしまっているように感じました。ロックダウンで日本より強い介入をしている欧米でも、制限は繰り返されています。そもそも、繰り返し宣言を出しても、意味はありませんでした。奈良県など宣言が発令されていなかった地域と、宣言が出されていた地域とで、感染傾向がほぼ同じというデータがあります。宣言が繰り返されてしまったのは、マスメディアが煽ったからです。陽性者数が減ったのは、緊急事態宣言やまん延防止による制限で抑え込まれたのではなく、自然に下がっているからです。国は、宣言の効果があったかどうか、きちんと検証してほしいです。

  • #7

    大阪の一会社員 (金曜日, 19 4月 2024 05:35)

    連投すみません。
    そもそも、何の為に、何とか宣言をするのか?
    本来の目的は、医療機関のパンクを防ぐ為に感染拡大を緩やかにする…というものだったはず。
    しかし、
    現実は、
    1.補助金目当てに病床を確保した…と言いながら、実際には受け入れしない。
    2.発熱等の患者を拒否するなどして、わざわざ医療機関のキャパを自作自演的に縮小する。
    この様な対応をするのであれば、何とか宣言など意味無し芳一。
    しかも、人の移動や交流も、感染拡大には何の関係も無く、一定の周期で変化するだけ、人間の小細工など通用しない…という事も証明されたはず。
    感染症対応に限らず、私が危惧するのは、南海トラフ地震でも過剰ヘタレ対応を続け、一層国家再建が遅れ、活力がますます無くなる事。
    頻発する地震の度に、南海トラフとの関連は?などとマスコミが煽りまくっている現状に、その傾向は既に現れている。
    冷静に対策せず、ヒステリックに右往左往するだけ。
    どこまでこの国はバカなのだろうか?

    私なりのこの数年の総括。
    1.多大な国家のカネをバラマキまくった
    2.大衆があまりにもコントロールしやすい、何も考えないという事が露呈した
    3.大手のマスコミは、自己保身、エセ正義感、不勉強のカタマリである事が露呈した
    4.命を救う…と言いながら、超過死亡は増加した。

    毎日通勤で、公共交通機関を利用していますが、未だに半数ぐらいがマスク着用している現実を見るにつけ、この国に対して、嫌悪感にさいなまれる。

  • #6

    新米派 (金曜日, 19 4月 2024 01:40)

    通商や伝統産業を含めた商業全般に関しては自由化に反対し公権力による規制の継続を望む人が多くいる一方で、一般生活や思想信条に関しては公権力による規制を最小化し人権と自由の恵沢を求める人が多いようです。
    一見矛盾とも思われる前記二つの考え方について自分なりに言語化すると、――放縦に過ぎる経済活動は歴史や文化を損ねてしまう(ほどに経済活動には強い力がある)危険性があります。また、歴史や文化の喚起では公権力の役割も重要ですが、政治権力は本能的に自身達の地位確保が最優先であり、そのためにむしろ国民を抑圧する過程で歴史や文化を毀損する事例が珍しくありませんでした。したがって、歴史/文化/国体に最上の価値を認めるのであれば、原則的には公権力の抑制を志向しつつ、経済分野においては歴史的経緯を踏まえた規制を許容する――と整理したいと思います。ただし、「経済分野」のみを明瞭に摘出することは難しく、また経済活動そのものに自身の価値観を仮託する者もいる以上、「わが国では経済活動っぽいものは規制志向だけどそれ以外っぽいものは自由志向」という建て付けは、制度設計者の恣意でしかないのかも知れません。

    疫病禍における行動規制もまた、公権力と人権との関係論において難しい課題です。
    コロナ禍において、憲法上や法律上の根拠が曖昧なままで、強制なのかお願いなのかを役人すらよく判っていない異常な状況が続いていました。新型コロナウイルス感染症そのものの総括と併せて、緊急事態下における公権力による人権制限の是非も議論が深まってほしいと思います。

    コロナ禍において国家ぐるみで失敗した学習例のある我が国としては、もはや疫病を理由とする人権制限は排除するべきでしょうか。
    それでも個人的には、将来において遥かに強力なウイルス等が蔓延したり、疫病に限らず戦乱や災害等により通常の人権規定を適用するべきでない状況も生じ得ると確信しているため、憲法に緊急事態条項を明記した上でそれに基づく人権規制法令も整備するべきだと考えています。言うまでもなくこのような緊急事態対応を可能にした結果、無能な政府が百害あって一利なし的な方向へ突き進む可能性も充分にありますが。
    いずれにしても、緊急事態条項の議論においても、重要かつ分かり易い事例であるコロナ対応の検証は避けて通れないはずです。

  • #5

    リカオン (金曜日, 19 4月 2024 01:13)

    どこから手をつけたら良いやら。
    スタートから間違っているから、多少の修正では対応できない。
    リセットするしかないね。

  • #4

    惜春 (木曜日, 18 4月 2024 23:55)

    救いようがない。

  • #3

    大阪の一会社員 (木曜日, 18 4月 2024 23:05)

    とりあえず、今後予定されているパブリックコメントに意見をぶつけようとは思います。
    あまりにも馬鹿げていますので。

  • #2

    あしたのジョージ (木曜日, 18 4月 2024 23:02)

    間違いを認めない、嘘の上に嘘を重ねているようにしか見えません。
    謝ったら死ぬ病の末期症状だと思いました。(⁠╯⁠︵⁠╰⁠,⁠)

  • #1

    パワーホール (木曜日, 18 4月 2024 22:54)

    コロナ対策の検証も大事ですが、ウイルスの生物としての正しい姿につき国民に啓発したり共存していく方法の研究も進めるべきです。