AIで死者復活、中国で新ビジネス

 

投稿者:リカオンさん

  

中国で亡くなった方をAIで復活させるというビジネスが登場しました。

まるで生き返って本人が話しているかのような動画を作るサービスです。

 

 

「パパ、ママ、会いに来たよ」AIで死者を“復活” 中国で新ビジネスが論争に 「冒とく」か「心の救済」か

https://news.yahoo.co.jp/articles/4f86413e7329182edd3b7da2d347e7cdc611eb9c

 

 

死者への冒涜ではという意見もあり、私も家族がもしも亡くなったらAIは見たいとは思わないはず。

 

過去に撮った写真や動画を見るとは思いますが。

 

本人の意思を無視しているし、過去にこだわって現実逃避する心の病を助長しそうだし、神を畏れていない行為のようにも感じます。

 

 

そういえば私が過去に投稿したものにAI安倍元首相というのもありましたね。

過去に拘り、未来をダメにするというのはまるで自称保守、男系固執派みたいですね。

 

≪過去記事≫

安倍氏AI音声を突如公開→削除(2022年10月30日)

 

 

 

 

(管理人カレーせんべいのコメント) 

 

ときどき、死んだ人が夢に出てきてくれる。

 

それでいいじゃん。

 


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コメント: 8
  • #8

    田舎のおっちゃん (日曜日, 21 4月 2024 23:01)

    つい最近公開された中国のSF映画「流転の地球」に似たような場面が出て来ますね。
    まあ作中では、我が子を失った親の哀しい執着として描かれていて共感出来るものでしたし、
    AIに移植された人格を当人と認めるべきか否か?との難問も提示されていて興味深い内容ではありましたが…。
    日本人のAI技術者はさすがこんなグロテスクな事は考え出さないんじゃないですか。
    中国って変なトコだけぐんぐん先に行っちゃいますね。

  • #7

    パワーホール (日曜日, 21 4月 2024 19:09)

    コロナ騒動を題材に徳川家康をAIで復活させ総理大臣にするという内容の本があります。たとえAIで復活させたからと言ってまともに政策を実行できるとは思えません。フィクションだから許されるかもしれませんが。映画化もされるとのことですが、監督は「飛んで埼玉」の武内英樹とのこと。小林先生の漫画を映画化した方がよっぽどいいですし、コロナ論を献本したいです。

  • #6

    牛乳寒天 (日曜日, 21 4月 2024 14:05)

    本当に気持ち悪いです。テレビニュースでは、製作者は「人助けになる」といった話もしていました。本心なら履き違えも甚だしいし、どんな事でも物は言い様だと呆れました。
    実際大切な人を亡くしたら、こんなものにさえすがりたくなるのかも…と思うと、悲しくて悔しいです。そんな弱味につけ込んでいるからこそ、こんな技術に軽蔑し、怒りが沸きます。

  • #5

    新米派 (日曜日, 21 4月 2024 04:10)

    『人は見た目が9割』であれば、顔貌や体形などの外見を似せるだけで再現AIとしてはほぼ成功なのでしょう。
    更に声質や喋り方も模写できれば、被写体当人の知人ですら99%の精度で当人だと感じるでしょう。
    それでも被写体当人の家族やファンであれば、当人の思想や口癖・仕草など残り1%の部分で根本的な違和感が残るかも知れませんが、それすらも当人が様々な場面で話したり書いたりした多数のサンプルをAI学習させれば解決するのかも知れません。イエス・キリストや釈迦など、写真や音声が存在しないどころかどの文献が本当に被写体当人の言動を表しているかすら定かではない人物ですら、AI使用者が自身の信仰に合致していると思い込んでいる文献のみをAIにつまみ食い学習させれば、そのAI使用者にとってのみ理想的な故人の思想・文体を正確に再現できると思われます。

    今さら指摘するまでもありませんが、再現AIとの対話は、当人の言動ではなくあくまでもAIが再構築したに過ぎない諸要素でしかないことを対話相手も自覚せざるを得ない点に本質的な問題があります。どこまで当人っぽいことを喋ったとしても、それはAIが学習した過去の情報に基づくものでしかなく、そこに我々が素朴に希求している人と人との交わりは顕れない、ように思われます。
    その一方で、我々が本来は成り立たないはずの対話を仮構してきたことも事実です。先述の信仰に基づいた被帰依者のありがたいお言葉、霊やペットや水素水や地球そのものの“声”が聞こえるというスピリチュアル感などは我々の周囲に溢れています。
    そしてそもそも、我々は生者同士でも本当に対話できているのかという疑問もあります。昔はキャバ嬢、今はVtuberと心からやりとりできていると思い込む男は絶えません。部活の後輩や会社の部下は自身の説教・激励を本心から受け入れているのかも知れません。その一方で、自身が基幹の部分で長年信頼してきたはずの同志がえげつねえ陰謀論にハマっていたり、兄や師と崇める人から理不尽な人間関係を押し付けられたり、これまでの交際は見せかけのものでしかなかったのではと疑ってしまう経験もあるでしょう。

    そうしたすれ違い・失望も含めて人間同士の交わりなのだと自分は信じ続けたいところです。けれども、≪自身が不快な気持ちになることを避けるために、対話相手を選別したり、対話相手から怒られたり嫌われたりしないように突っ込んだやりとりを諦めるという判断≫と、≪学習済AIに「使用者へ肯定感を与える言動を多めにする」と追加プログラムすること≫とは、あまり違いがないのかも知れません。
    自分自身を抑えつけるぐらいなら嫌われてもいい、孤独になってもいいと構えている人は存外に少なくないとしても、実際に嫌われたり孤独になったりすれば言動の平衡感覚が狂ってしまいがちなのも事実です。
    どうせAIと対話するのであれば、小林よしのり先生の思想や松本人志さんのお笑いセンスを疑似再現したプログラムも少し興味ありますが、上記のようなAIと非AIとの本質的な違いに関して自分がまだ知らない多くの論点を紹介してくれるものに触れてみたいです。

  • #4

    はな丸 (土曜日, 20 4月 2024 22:57)

    悪趣味ですね、こんなのは

  • #3

    ハックスレー (土曜日, 20 4月 2024 20:03)

    「いずれあの世とやらで会える」の死生観すらも失わせそうですね。こんなのは。

  • #2

    サン (土曜日, 20 4月 2024 16:31)

    生と死は対立しない、死とは人生の最期であり生に含まれ、必ずしも生はよいもの死はわるいものではないと考えます
    死を受け入れないことは生を否定することに繋がる危険があるので、こういった需要に対して供給しただけのような行為がビジネスになるのはやはり抵抗がありますね

  • #1

    くれは (土曜日, 20 4月 2024 15:29)

    人生は終わりがあるから素晴らしいのだと思う。